第3話 無慈悲な洗礼
俺は──正直、混乱していた。 何が起きているのか、サッパリわからない。
けれど、一つだけはっきりわかることがある。
──ユウトが、俺を守ってくれている。
「……ユウト?」
自分の声が、情けなく震えているのに気づいた。
ここは、俺たちがいつも過ごしていた街じゃない。あまりにも似ているが、決定的に何かが違う。 異常だ。異常という言葉では追いつかないくらい、奇妙で気持ちの悪い世界だ。
「……ヨシツネ、大丈夫か?」
ユウトの声はいつも通り落ち着いていて、不思議と安心感を覚える──ほんのわずかだが。
「なんで……お前がここにいるんだよ?」
「説明は後だ。今はとにかく学校に戻ろう。帰れば……なんとかなるから」
ユウトは冷静を装っていたが、その目には強い焦りがにじんでいた。
だが、その焦りは俺を守るためのものだと理解できた瞬間、俺は少しだけ安心した。
ユウトはナイフを持った少女に向き直った。
「なあ、こいつは俺の友達だ。見逃してくれないか。ここで無意味にやり合うのは勘弁してほしい」
少女は一瞬だけ目を細め、俺たち二人をじっと観察した。 やがてナイフをベルトの鞘に戻し、肩をすくめる。まるで興味を失ったかのように。
「あなたの能力、知っているわ。ここで力を使えば、すぐお姉さまたちが飛んでくるわね」
少女はにやりと笑いながら、こちらの提案を受け入れた。
「いいわ。今日は見逃してあげる。その代わり、貸し一つ」
「貸し? 俺はお前をいますぐ殺せる。イーブンだろうが」
ユウトの「殺す」という言葉に、俺は恐怖と同時に安堵を覚えた。──どうやらユウトの方が強いらしい。
「私が死ねば、お姉さまたちが確実にあなたたちを殺しに来る。私は二人を見逃す。あなたは一人を見逃す。だから貸し一つ。おわかり?」
ユウトは一瞬動きを止め、困惑した後、小さく首をすくめた。 そして俺を見つめた。
「そういうわけだ。この子の顔を覚えとけ。貸し一つだそうだ」
意味はわからないが、少なくとも俺が彼女に殺されることはなさそうだ。
「……ユウト、この子、お前の知り合いなのか? ちゃんと説明してくれよ」
ユウトは頷き、俺の背を押しながら歩き出した。
「そうだな。とにかくここは女学院に近い。一刻も早く学校へ戻るぞ」
近くにあった車に乗り込むと、彼は助手席を指さして急かす。
「早く乗れよ」
「お前、免許持ってるのか? ていうか誰の車だよ」
「大丈夫だって」
何が大丈夫なのか分からない。 でも、不思議とユウトの言葉を疑う気にはなれなかった。
俺は助手席に乗り込み、シートベルトを締める。 さっきまで殺気を放っていた少女は、もう興味を失ったかのようにスマホをいじっている。
ユウトがエンジンをかけると、車は音もなく滑り出した。 サイドミラーに映る少女の姿は、すぐに小さくなっていった。
「なあ、ユウト……これ、どういうことなんだよ」
殺されかけたことを思い出し、声が少し荒くなる。心臓はまだドクドクと警鐘を鳴らし続けていた。
ユウトは黙ったままハンドルを握り、やがて深いため息をついた。
「……ってことは、思い出すんだよなあ」
「は? 思い出すって、なにをだよ?」
「……いや、なんでもない。混乱してるのはお前だけじゃない。落ち着けって言っても無理なのはわかってるけど、でも、まず学校に戻らなきゃ」
その言葉に、少しだけ理性が戻る。
「なあ、ここって……死後の世界かなんかなの?」
ふと口から出た疑問。
「いや、生きてるよ。すぐ元の世界に戻れる」
ユウトは軽く笑った。
言葉に少しホッとしながらも、現実感はない。どうしてこうなったのか、どうやって戻るのか、全くわからないままだ。
車で三十分ほど走れば学校だ。ユウトの言う通り、きっと学校に戻れば元の世界に戻れる。今は、それを信じるしかなかった。
──懐かしい気分だ。昔はこうして二人でよく遊んだっけ。
あれ? 二人だったか……?
「なあ……」
「ん?」
「俺、誰かを"忘れてる"気がするんだ。ずっと昔から大事だった人を。 ユウトと二人で遊んでた記憶があるんだけど、それが……"二人じゃなかった"気がして……」
ユウトはハンドルに力を込め、静かに答える。
「……それも、戻ったら分かるよ」
沈黙に耐えられなくなったのか、彼はラジオのスイッチを入れる。 どのチャンネルもノイズしか流れない。世界そのものが、どこか壊れている違和感。ユウトがため息をつく。
ノイズに揺られていると、視界の端に人影が揺れた。 歩道橋の上──女学院の制服を着た少女が、弓を構えて立っている。
紫のスカートが風にたなびき、逆光の中でその姿は女神のように神々しく、死神のように不気味だった。
「おー、また女学院生だ」
俺は気まずく、わざと少し間の抜けた声を出して彼女を指さす。
隣のユウトが突然ハンドルを握りしめ、焦った声で叫んだ。
「ごめん! やっぱ俺ら死んだわ!」
「はぁ?」
ズン──耳鳴りのような重低音とともに空気が震える。 鋭い光の矢が一直線に車に向かって飛来した。
まるで太陽の一部が剥がれて飛んできたかのような目を焼く閃光。
「あの女! 貸しは無しだからな!!」
ユウトの叫びが車内に響く。
閃光、爆発、熱──
声にならない悲鳴を上げながら、隣を見るとユウトと目が合った。
まるで大丈夫だと言わんばかりの、変に落ち着いた目。 何が大丈夫なのかは分からない。
そして──目の前が真っ白に染まった。 光でもない。
ただ、存在そのものを塗りつぶす"白"。
痛みも、熱も、恐怖も、何もかもが、一気に引いていく。 代わりに、無音の世界が広がった。
"それ"はもっと劇的で感傷的なものかと思った。
でも実際には、ただあらゆるものがスッと遠ざかっていく、静かなものだった。
心のどこかで、まだ何か言い残した気がする。誰かに伝えたかった何かがある。
でも、その言葉が浮かぶ前に、俺の意識は暗転していった。
そして、俺は人生で初めて体感した。
──"死"というものを。




