第38話 凍てつく刃
「よし、んじゃ降りるか」
──今、サラッと言ったが……まさか二階の屋根から飛び降りろ、ってことじゃないよな?
「風でフォローするから大丈夫だって」
俺の顔にありありと〝正気か?〟という色が浮かんでいたのだろう。凛は可笑しそうに肩をすくめて付け足した。
「ほら、あたしを信じろって」
覚悟を決めて飛び降りると、足元からふわりと風が巻き上がった。まるで見えないクッションに乗ったみたいに身体が減速して、そのまま優しく着地へと導かれる。
「な、平気だったろ?」
──ドヤ顔の凛が上からゆっくり飛び降りてきた。思わずうなずく。
『多分、こっちだゾ』
キョロキョロしながら、ベンケイがずんずん歩き出す。
「こっちみたいです」
その愛らしいけれど頼もしい背中を追いかけ、俺たちは足を早める。
少し進んだ路地の陰で、ベンケイがぴたりと足を止めた。
『いたゾ』
「……見つけたみたいです」
「さすがじゃん。人数とかもわかる?」
凛が興味深そうに問いかける。
『二人だゾ。あのドロドロになる女と、空飛ぶ機械を従えてる男ダ』
確かイヌカイとシズクと呼び合ってた二人組だ。
『そんなことまでわかるのか……本当にすごいな』
『ふふン、もっと褒めていいゾ』
ベンケイが誇らしげにこちらを見やる。
「スライムになる女とドローン使いの男の二人です」
「へえ、どうやってわかるわけ?」
凛が少し驚いた声で訊ねる。
『確かに気になるな。種明かししてくれよ』
俺も内心気になっていたことを問うと、ベンケイが得意げに胸を張った。
『熱だゾ。人間は息を吐くし、体温も残る。その温度の〝尾〟を追えば、どっちに行ったかなんて丸わかりだゾ』
「……熱で感知してるみたいです」
「なるほど、頼もしいね。それじゃ──向こうに気づかれる前に強襲するよ」
リベンジしたかったスライム女に再び遭遇できるとは、運が向いているらしい。
『あの剣、もう出すか?』
『今はやめとくんだゾ。ヨシツネの貧弱な体力じゃ、重すぎて走れないからナ』
……気遣いなのか、それともサラッと馬鹿にされているのか判断に困る。
『……ゲームとかだと背負ったまま走るだろ、ああいうのは?』
『背中に背負ったら抜けないだろ。接敵したら出してやるから、黙ってオレに任せればいいんだゾ』
そこまで言うなら従うしかない。俺たちはベンケイの後を追ってしばらく歩いた。
『向こうもこっちに進んでるナ。多分まだ気づいてない、あと一分くらいで鉢合わせだゾ』
そう告げると、ベンケイは丁字路の手前でぴたりと止まり、こちらに振り向いた。
「あと一分くらいでぶつかるみたいです」
「よし、ここで待ち伏せだね。どっちをやる?」
「じゃあ、スライム女は俺がやります。新しい剣を試したいので」
「りょーかい。ドローンはあたしがやる」
昨日の模擬戦の時のスピードを見る限り、どうあがいても今の俺じゃ後手に回る。適材適所だ。
『それじゃあ、大切に使えヨ!』
ベンケイが足元の影へと手を差し入れると、ズブズブと沈んだ影の中から一振りの剣が滑り出てくる。
顕現した瞬間、ひやりとした冷気が周囲を撫で、路地の温度が一段階落ちた気がした。
「へえ、綺麗な剣じゃん」
凛が目を細める。
「スライム対策です」
俺は柄を握り直し、そっと息を整える。
──そろそろだ。
気配を殺し、風さえも通らぬほどの静寂がその場を満たす。
だが、予想の一歩先を行く動きが、敵側から飛び出した。
目の前の空間に、ぬるりと何かが伸びてくる。
スライム女──シズクの触手だ。先端にはぎょろりとした目玉が付いており、こちらを探るように左右へ泳いでいる。奇襲対策か。
その瞬間、凛が弾かれたように地面を蹴り、触手の目玉を容赦なく蹴り飛ばす。 俺も一拍遅れて走り出した。
丁字路に差し掛かったところで、待ってましたと言わんばかりにイヌカイがドローンを突撃させてくる。
同時にシズクの身体がぶるりと震え、一瞬で網状へと変形すると、イヌカイを守る繭のように前方へ大きく広がった。
「ちっ──!」
凛がスライムの網に蹴りを叩き込む。だがその足は粘つく膜に絡め取られ、勢いを殺されたまま宙吊りにされた。
「優木先輩!」
凛を助けるため、俺は迷わず剣を振るう。
斬撃が空を裂いた瞬間、刃にまとわりつく冷気がスライムの断面へ流れ込み、じわりと凍結が広がる。シズクの身体はぶるりと震え、再生が止まった。
「なっ!?」
イヌカイが目を見開く。
「てめえ、なんなんだその能力?」
怒りとも恐怖ともつかない声が漏れた。
俺は剣を構え直し、胸の内側で静かに吐息を整える。
「助かった」
凛がバックステップで、俺の後ろへと下がる。
(ゲームで言えば、向こうはシズクがタンク役、イヌカイがシューター、今はいないがアタッカーはあの鞭使いのレンカといったところだろうか? 結構バランスがいい、連携も取れてるし)
そう考えてみると、相手が回復型タンクだとしたら、凛は回避型タンクになれるのではないだろうか?
アタッカーを二人とするより、ここは回避に専念してもらった方が効率的だ。
「優木先輩、今は回避と防御に専念してもらってもいいですか?」
「あっ? 足手纏いだってのか?」
「いえ、相性の問題です。スライムが厄介なので」
「ちっ、わかったよ!」
凛は短く毒づきながらも、すぐに体勢を低くした。その姿勢はまるで獲物を待つチーターのようだ。彼女の武器は両手のグローブだが、今はそれを構えず、回避に特化した動きに移行する。
敵の構成は明確だ。前方にいるシズクは、自分の体をスライム状に変形させ、ドームのようにイヌカイを守り、受けたダメージを再生し続ける。
そして、そのドームに守られたイヌカイがドローンで攻撃を仕掛ける。彼の周囲には、小型のドローンが四機、羽音を立てて浮遊している。
「いくぞ!」
凛が叫び飛び出した瞬間、イヌカイが静かに手を振った。四機のドローンが一斉に散開し、凛を四方から囲むように鋭い軌道で突っ込んでくる。
「めんどくせぇな!」
凛はそれを紙一重でかわし、体術だけでドローンの連携攻撃をいなし続ける。
(再生が間に合わなくなるまで、細切れにしてやる)
俺は静かに、影の中から現れた刀を構えた。
刀身が急速に冷却され、刃の周囲の空気が凍てつく。
シズクの腕がスライム状に長く伸び、俺の体躯を捕らえようと迫る。通常なら、切断した瞬間に再生されてしまうだろう。
シュン──
一閃。刀身がシズクのスライム状の腕に触れる。急激な冷気が触れた箇所を一瞬で結晶化させ、その身は硬質な氷の塊へと変わる。
ズザンッ!
氷と化した腕は断ち切られ、地面に散る。シズクは小さな悲鳴を上げるが、失った腕の横から再びスライム状の肉体が生成され始めた。再生速度は驚異的だ。俺はさらに数度切りつけて、ドームに切れ間をつくり出す。
「イヌカイ! 再生が追いつかない!」
シズクが焦りの声を上げる。イヌカイが凛から俺へと意識を変える。
「優木先輩!」
「わかってる!」
凛が手を広げると、瞬時に風の檻が生まれ、ドローンを一機航行不能にする。さらにベンケイが俺の影から弾丸のように飛び出し、イヌカイのドローンの一機を爪で切り裂いた。
ガシャン!
ドローンがバランスを崩して地面に落下した。連携が乱れ、その一瞬、シズクへの意識も途切れる。
残りのドローンが体勢を立て直そうとする一瞬の隙。俺はスライムのドームの切れ間から侵入し、イヌカイへと肉薄した。
「チッ、まじかよ……!」
イヌカイはドローンの操作に意識を集中したまま、俺の接近に気づくのが遅れた。
一刀。
迷いはなかった。凍てついた刃が、イヌカイの首元を深々と切り裂いた。
ドサリ、とイヌカイが崩れ落ちる。その瞬間、空中で羽音を立てていた残りのドローン二機も、制御を失ったかのようにガタンと機能停止し、床に転がり、光になって消えた。
「イヌカイ!」
シズクが悲鳴を上げる。再生に回していた力を、イヌカイの死に気を取られたことで失う。
「これで終わりだ」
俺は刀を振り抜き、怯んだシズクへと向かい直る。シズクの体はまだスライム状に波打っていたが、再生は追いついていない。
数回連続で切り刻むと、シズクは抵抗することなく、光となり霧散するように空気へと溶けていった。
イヌカイとシズクの痕跡は、跡形もなく消え去った。
「……勝ったな」
凛が肩で息をしながら、笑顔を向けてくれた。




