第35話 カエデちゃんの特製治療
優雅な気分で紅茶を飲んでいると、上空に葉っぱの様なものが飛んでいることに気付いた。……飛行船?
「あれ? なんでしょう?」
指を差すと、九条と望月はあからさまに嫌そうな顔をした。
「あれは、ただの馬鹿だ」
「ただの馬鹿ね、気にしなくていいわ」
辛辣だ。誰かの能力だろうか?
「お待たせしました」
藍太郎が到着したようだ。
「うん、お疲れ様。長谷川くんも一服してくかい?」
九条がカップを差し出す。藍太郎の顔がぱっと明るくなる。
「そんな時間はない」
望月が即答した。言葉にわずかな間もない。
藍太郎は目に見えて肩を落とす。
九条とのティータイムを断たれたのが、よほど残念だったのだろう。
「あらら、そんなに落ち込むなよ。今夜はご所望のチャーハンを作るからさ」
「はいっ、光栄です!」
目を輝かせ、まるで尻尾を振る犬のように反応する藍太郎。
望月が軽く息をつく。
「……じゃあ、お前らは当初の予定どおり北西のルークに向かってくれ。冴木たちが守りに入ってる。交代だ」
「了解しました」
藍太郎に続いて立ち上がる。
「ご馳走さまでした。ありがとう、ダイゴ」
「ううん、頑張ってね」
ダイゴが差し出したお盆にカップを返す。
九条が軽く手を振り、見送ってくれた。
車に戻ると、凛がすぐに口を開く。
「迂闊だったよ、悪かったな」
「いえ、おかげで危険を回避できました」
「それにしても──さすがだな。目を焼かれたのに仕留めたって?」
「無我夢中でしたけど」
苦笑いで返す。
「それって、あれですか? 心眼ってやつですか?」
藍太郎が不思議そうな声を出す。
「いや、漫画じゃないんですから。心の目なんてありませんよ。……ただのカンですよ、カン」
「カンで仕留めるとか、やっぱり人間離れしてますねぇ……」
「褒め言葉として受け取っておきます」
軽口を交わしながら、車は進んでいく。
「そろそろのはずですが……」
藍太郎が首を傾げる。
「どこだっけ?」
凛が聞く。
「北西のルークは──ステーキハウス・ヤマノミですね」
「あー、あそこか。車だとわかりづらいんだよな。ここらに停めて歩いて行こうぜ」
車を停め、外に出ると、ネムルたちは少し距離を置いた位置にバイクを停めていた。
「俺たちはここら辺を警戒してます」
「あ、じゃあ私もここにいるよ」
凛とネムルは大通りの見張りに回ることになった。
藍太郎は軽く頷き、それぞれ別行動となる。
通りを一本入った先に、ひっそりとその店はあった。
煉瓦調の壁に黒い木枠の扉。壁にかけられた真鍮プレートには、控えめに「ステーキハウス ヤマノミ」と刻まれている。
高級店というよりは、知る人ぞ知る隠れ家──そんな雰囲気だ。
「あら、長谷川くん、ツネッチ。いらっしゃい〜」
扉を開けると、カエデが笑顔で迎えてくれた。
柔らかな照明に彼女の穏やかな声が、妙にあたたかく響く。
まるでスナックのママのようだ──ま、行ったことなんてないけど。
「交代だそうです」
藍太郎が望月からの伝令を伝える。
「リノシー、お迎え〜」
「はーい」
奥からもう一人、リノシーと呼ばれた二年の先輩が姿を見せる。
ゆるく結んだ髪に、清潔感のあるエプロン姿。穏やかな笑みを浮かべながら、裾を軽くつまんで会釈した。どうやら、ここは彼女とカエデの二人で守っていたらしい。
初対面のはずなのに、どこかで会ったような──そんな既視感を覚える。
「倉田義経です」
ペコリと頭を下げた。
「あ、七瀬莉乃です。昨日は妹がお世話になったみたいで」
「ノノさんの?」
「そうそう、姉です」
なるほど、姉妹なのか。姉妹でこの世界に連れてこられるのは、運がいいのか悪いのか……。
「藍太郎、ルークは二階にあるから位置を教えるね」
「わかりました」
莉乃に続いて藍太郎が二階へ進む。
二人だけになったフロア。
「なんか飲む〜?」
カウンター越しに声をかけられる。完全にお店の人だ。
「いえ、さっき紅茶をたくさん飲んじゃって」
「そっかぁ。ツネッチ、ビショップを倒したんだって〜?」
カエデがニコニコと近づきながら聞いてくる。
「ええ、みんなのおかげです」
「そっかぁ〜」
距離が近い──意識してしまう距離だ。
「あ、あの……」
「無理してるね〜?」
カエデが、ふわりと両手を広げる。
まるで「おいで」と言うように。
「え、あの──」
戸惑う俺に構わず、カエデが一歩踏み出してくる。
次の瞬間、ぎゅっと抱きしめられた。
「カエデ先輩っ──!?」
「カエデちゃんの能力はね〜人の感情がよくわかるんだぁ〜」
ふわふわな雰囲気に包まれる。
「九条も桐谷も、実はいっつも無理してる。今のツネッチも〜」
(そうか、九条先輩も桐谷先輩も……今の俺の気持ちがわかるから優しかったのか。つまり、二人とも人を消した苦しみが……)
「よしよし~」
頭を撫でられる。柔らかい手のひら。まるで小さな子をあやすような仕草だった。
「実はね、今いるメンバーの中で一番古いのは私なんだ〜」
「そう……なんですか?」
「うん。最初の頃はね〜ミサッピもどこか壊れそうで、毎日心配だったの〜」
カエデの笑みが、ほんの一瞬だけ陰を帯びた。
「だから、私はね〜包む側でいようって決めたの〜」
「……強いですね」
「強くないよ〜」
そう言って、カエデがもう一度そっと抱きしめてくる。
その抱擁は、柔らかいけれど、芯のある温もりだった。
奥の階段から足音がした。
「ん、ありがとうございます」
照れくさくなって、そっと体を離す。
甘い香りと、静かなぬくもりだけが残った。
「おかげで、だいぶ落ち着きました」
「でしょ〜? カエデちゃん特製・精神安定治療〜。ミサッピもコハルンも患者さんだから、よくやるの〜ツネッチも、いつでも言ってね〜」
思わず笑ってしまう。けれど確かに、心が軽くなっていた。
「ルークは確認できました。それじゃあ、後は我々で引き継ぎます」
奥から現れた藍太郎がカエデに報告する。
「了解、じゃあね〜」
Vサインをしながらカエデは店を出て行き、続いて莉乃が軽く会釈して後を追った。
「長谷川です、北西ルークに到着しました」
デバイスに向かって話しかける。
「了解、さっき修武館が黎明最後のルークを破壊してくれたようだ。お前らは午後から暁天に仕掛けてくれ」
「わかりました」
どうやら午前はこれで終わりのようだ。午後からまた頑張ろう。




