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第四章:血統の剣と俗な相棒


 神田の古書店の裏手、夜の帳が濃く降りた路地裏。

 朱音は、古びた土塀を背にして立っていた。灰桜色の羽織は完全に闇に溶け込み、彼女の存在を隠している。しかし、彼女の全身から放たれる気だけは、鋭利な刃物のように周囲の空気を切り裂いていた。

 そこに、一人の男が足音もなく合流した。内閣直属特務機関の一員、尾崎おざきという。朱音の護衛と、世俗の事務処理を担当するために配置された男だ。


「やあ、朱音様。お待たせいたしました」

 尾崎は、夜目にも派手な笑みを浮かべ、やや賑やかし気味な調子で朱音に声をかける。

「今日のカフェーでのお茶会はいかがでしたか?サンドイッチは美味しかった?」


 朱音は、その軽薄な口調に眉一つ動かさなかった。

「尾崎。私と貴殿とは、血統も任務への認識も、水準が違いすぎる。俗な私語は控えるように」


 「血統」という言葉に、尾崎は苦笑いする。

「はいはい、承知いたしました。当方は俗で結構。ですが、この俗な腕も、時と場合によっては役に立つ」


 尾崎はそう言って、懐から小さな懐中時計を取り出した。カチリと音を立てて開く。


「午前二時。周囲の警戒が最も薄れる、格好の襲撃時間でございますよ、緋の御剣ひのみつるぎ


 朱音は返事をせず、黒瞳を「神田の廃屋」と呼ばれる木造家屋へと向けた。その目は、闇を透視し、獲物の位置を正確に把握している。

 尾崎は、その命令を待たぬ冷徹な意志を理解し、無言で廃屋の裏口へと向かう。彼は、朱音とは対照的に、最新式の小型ピッキングツールを使い、わずか数秒で施錠を解除した。


 「開きました。どうぞ、高貴な剣が先導を」


 朱音は、ためらいもなく暗闇の中へと踏み込んだ。

 内部は腐った木の匂いと、燻ったタバコの煙が混じった、不快な俗臭で充満していた。尾崎は背後の扉を音もなく閉め、小型の提灯を取り出すが、朱音はそれを制した。


 「光は不要」

 朱音の目が、漆黒の闇に慣れているわけではない。彼女は、気配だけで敵の位置を捉える。


 二階の物音。そこだ。

 朱音は音を立てずに階段を上りきった。

 ——いた。

 寝床で浅い眠りについている男が一人。手元には、例の「神田の廃屋」の地図のようなものが広げられていた。

 朱音は、先祖伝来の三層鋼の刀を、音もなく鞘から引き抜いた。

 一、心臓への突き。

 彼女の刃は、迷いも躊躇もなく、男の心臓を正確に貫いた。血飛沫は、朱音の武の動きによって生じた微かな風圧で、全て後ろに散る。男は声一つ上げられず、命を失った。

 続けて、二。さらに三。

 残りの寝床で眠る男たちも、同様に一刀の下に仕留められる。朱音の剣は、理合いの純度が高いため、一切の余計な音を発しない。

 しかし、三番目の男を仕留めた瞬間、残る一人が跳ね起きた。


「誰だ!」

 男は枕元の短刀に手を伸ばす。

 朱音は、即座に踏み込んだ。

 「遅い」


 その言葉と共に、刀が閃く。男の体は、袈裟掛けに深々と切断され、血と肉が、鈍い音を立てて床に散った。

 この音で、同室に隠れ潜んでいた二人が、ガバッと跳ね起きた!

 男の手に握られていたのは、先ほどとは異なり最新式の西洋製ピストル。硝煙の微かな匂いと、殺意が、狭い空間に充満する。

 朱音は、銃口が自分に向けられるのを見た。


(俗な武器)


 朱音にとって、銃は必ずしも脅威ではない。撃鉄の速度を上回る、「間合いの支配」がある。

 朱音は、射線に入ることなく、小手打ちの型で一閃。

 キンッ!という鋼鉄の甲高い音と共に、男の右手が、手首から跳ね上げられた。鮮血が天井に吹き上がり、男たちは絶叫をあげる。銃は、床に落ち、暴発することはなかった。


 朱音の視界の端で、最後の男が、窓から身を乗り出し、一階へと飛び降りるのが見えた。彼は、組織の首魁かもしれない。


 朱音は、即座に追う。


「逃がすか!」


 階段を駆け下り、正面玄関から外へ飛び出す。黒革のブーツが、砂利を踏む音を立て朱音は蹌踉めく。


 (しまった!)


 わずか数秒。しかし、その差は致命的だった。逃走する男の背中は、夜の闇に消えかかろうとしている。

 その刹那、朱音の視界に、一本のワイヤーが地面から浮かび上がるのが見えた。

 逃走していた男の足が、そのワイヤーに絡まる。男は、情けない叫びと共に、顔面から砂利道に叩きつけられた。


 「俗な力も、時に有用」


 背後から、尾崎の声がした。彼は、朱音が追跡に夢中になっている間に、裏から回り込み、事前に用意していた仕掛けのワイヤーで、男の足を絡め取ったのだ。朱音が嫌悪する、世俗的な「罠」や「道具」を使った、卑怯ともいえる手法。

 しかし、任務は遂行された。

 朱音は、転倒し、必死に這い上がろうとする男に追いつく。

 刀の切っ先を、柄元から一気に返した。

 峰打ち。

 男の側頭部に、血に染まった刀を打ちつけ、重く鈍い衝撃が走る。男は、「アワワ…」と泡を吹き、完全に意識を失った。


 朱音は、刀に付着した血を軽く払い、鞘に納めた。

 「二人の捕縛と、四人の始末。…任務完了でございます」


 朱音は、息一つ乱さず、尾崎に告げた。彼女の冷静さは、この血生臭い状況下でも微動だにしなかった。


 「はい、ご苦労さまでした、朱音様」


 尾崎は、顔をしかめながら、切り落とされた四人の手首と、気絶した二人を見比べる。


「始末された方々は、夜明けを待って内務省に処理させます。捕縛した首魁と思わしき六人目と、手首をはねられた五人目は、こちらで特務機関の施設へ運び、尋問にかける手筈でございます」

 朱音は、尾崎の肩越しに、血まみれの部屋を見やった。


 (俗な血は、清められた)


 彼女は、汚れた地面から尾崎が仕掛けたワイヤーを、無言で見下ろした。

 「…貴官の俗な手法が、任務の完了に寄与したことは認める。だが、二度と私の足元に、このような仕掛けを施すな」


 それは、賞賛でもなければ、怒りでもない。あくまで、貴族としての「血統の剣」の邪魔をすることへの、冷たい警告だった。

 尾崎は、小さくため息をつきながら、敬意を込めて頭を下げた。


「ご忠告、謹んで承知いたしました、朱音様」


 夜の闇の中、朱音の灰桜色の羽織が静かに揺れる。逆賊の討伐という主たる任務は、完遂されたのだった。

「最後までお読みいただき、ありがとうございます。もしよろしければ、この作品を応援していただけると励みになります。作品ページの【ブックマーク】や【評価】をいただけると、モチベーションに繋がりますので、どうぞよろしくお願いいたします。」

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