9.脇役はみな退場する。
(主にマーガレット視点)
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バルコニーへ出る大きなガラス戸を押し開かれると、冷たい冬の風が頬を撫でた。
月明かりのバルコニーで対峙した私たちは少しだけ話をして、その場に不釣り合いなわたしは退場した。
当然ながらアマリリスではないマーガレットは王宮に戻らず公爵家の王都屋敷に案内された。其々があるべき場所に戻ったのだ。
帰りしなに耳にした偽物の王子様の声では、本物のふたりはこれから着替えて仮面もペアのものに変えて会場に戻るらしい。
(…あぁ、そりゃそうだわ。わたしはアマリリスのつもりで舞踏会に参加したけれど、仮面をしていたのだから誰にもわかるわけがないんだわ…)
緊張して、でもちょっと後ろめたくて、それなのに物語のお姫様みたいな気持ちで高揚したフワフワの感覚は…マーガレットのものではなかったのね。
最初から、自分には不釣り合いだったのだと。バルコニーで王子様と寄り添いながら見送てくれる双子姉に控えめに手を振ってその場を後にした。
煌びやかな王宮が遠くなる馬車の中にはエルネスト様とアルティアーナが同席していた。それもどうしてだか隣り合って対面に座っている。
「今から向かうのは王宮に比べれば狭く質素な屋敷ですがどうぞご容赦頂きたい。マーガレット嬢。」
ニコリと微笑む公爵令息は、すべてを知っているらしい。ううん彼だけじゃない。侍女だったアルティアーナもだ。
「………あの、いつから私がマーガレットだって知っていたんですか?」
「最初から、ですかね。」
「さいしょから…」
「えぇ。マーガレット嬢が王宮に馬車で乗り込んだ瞬間から…こんな豆粒みたいな遠目からでも殿下は貴女方が入れ替わっていることに気が付いていましたから。」
おどけるように手でジェスチャーしながら、彼の目は細められた。
「殿下とアマリリス嬢は政略的な婚約関係でしかなかったと周知されています。実際に淡白な関係に見えるようお互いに心を律してもいらっしゃった。でも情を深めていたのですよ。そうでなければ鏡映しのような貴女たちを見分けられないでしょう。実のところ私には違いが判りませんでした。なんせ、こんなに小さな遠目からの姿でしたので。」
おどけた仕草で作っていた手の形をはずしたエルネスト様は、柔和な微笑みの奥に射抜くような視線を向けていた。
「ですが…しばらくマーガレット嬢と時間を共にするうちに納得しました。あなた方姉妹の入れ替わりは本当なのだと。喋り方、言葉の選び方些細な仕草…どれをとっても別人でしたから。」
「あ…………それ。昔から言われています。だから同じ顔でも違う人間なんだっておもえてた…」
家族も周りも誉め言葉はいつも違ってた。マーガレットには『明るくて場を華やかにするわね』と褒め、アマリリスは『お淑やかで気品があるわね』と真逆の評価。そのことに不満はなかったし満足していた、…はずだった。
「王子様の婚約者の選ばれたのもアマリリスなら当然でしょって、誇らしかった。だって私は、お作法たかお勉強とかつまんなくて嫌いだったし。…もうわかってるとおもいますけど。」
「ん、まぁそうだね。」
苦笑されるが、いまさら恥ずかしがるには遅すぎる。ただただ自分の至らなさに身が縮まるばかりだ。
「…だから、悔しいとかそういうのはちっともなかったんです。でも…お母様はアマリリスに付きっきりで王都から滅多に戻ってこなくなったし、私はやりたいって言ったことは全然できなくて、それってこんな田舎に居るからなんだろうなっておもったりもして…」
「やりたいこと?」
「はい、うちの領地は辺境ですからお父様もお兄様たちもみんな強いんです。それで剣術を習いたいって言ったら、「女剣士になって身を立てる覚悟はあるのか?」って聞かれて、…その、ちょっと習いたいってだけだったから「違います」って答えたら怒られたり、とか、して。」
「それは、そうだろうね。生半可な気持ちで剣を持ってはいけないよ。」
「え、でも、護身術で短剣は習ってたのに?」
「身を守る為の術と、攻撃のためとでは大きく意味が違いますから。辺境であれば尚更、争いに勝つために相手を殺す覚悟を持ってなければ死ぬということは身に染みているだろうしね。そのことをお父上は聞いていたのだと思いますよ。」
「殺す覚悟は…ないです。そんなことしたくないし出来ないし…」
「それなら反対されてよかったですね。」
あれ、なんだろうこのカンジ。エルネスト様は微笑んでいるのに怒っているように感じる。まるでフォルトお兄様に叱られている時みたいな感覚がする。兄様達の中で一番線が細く嫋やかな美貌の持ち主だが性格の苛烈さは家族一でお母様やお父様さえ遣り込めてしまうほどに言葉繰りが上手なあの兄と話しているような錯覚が起こった。
どうして?
……あぁ、すぐにわかった。
お兄様に怒られている時と同じように、話の脱線を遮られてるんだ。
そして自分が無意識に、叱られたℓくなくて言い訳をしていることも自覚した。エルネスト様にガッカリされたくないからって…
「ァ…あの、えっと……あはは。」
何を言ってももう言い訳してしまうような気がして言葉が出ない。だから乾いた空笑いで取り繕う。
だけど沈黙も怖い。笑顔なのに怒っているかもしれないエルネスト様とその隣に座るアルティアーナとの密室だもの。
「あ、の…」
聞きたくないことは避けて、でも他に話題が無いから沈黙が続かないように声を出す。
「あの、最初からわたしが偽物だと見抜いていたのに、殿下はどうしてそのままわたしを王宮に置いてくれてたのでしょうか?」
はじめの頃は殿下こそがアマリリスに興味が無いとおもっていたがその実、真逆であると判明したのは今しがただ。それにバルコニーで二人が寄り添いながらいた様子からも嘘ではないと確信できる。
でも、それならば尚更に何故なのかと疑問が浮かぶ。
「あぁ、それはアマリリスとマーガレット嬢の入れ替わりが明るみになればそれこそこの婚約自体がマグルアンテの有責による破棄になる可能性があったからだよ。単純に解消というわけにもいかない。なんせ王家を相手に婚約者の入れ替えなんてして「知りませんでした」では通らないからね。」
「…………ぇ?」
補足するように聞かされるのは、自分がやってしまった事の重大さだった。
王家相手に謀った罪の重さ、責任の有無。成人しているとはいえマーガレットは婚約者も持たないマグルアンテ家の令嬢だ。監督責任を問われるのは両親だ。兄様達だって長く努力して得た立場をうしなうことになるし、なにより何も悪くないアマリリスは婚約を白紙にされるばかりか一生結婚などできなくなる未来しかないことなど…
自分の軽率な行動がどれだけの周りを巻き込んでいたのかを知らされた。
「まぁ、だからこそ我々も協力を惜しむ気は無かったしね。アマリリスの寄り親となったサクヌッセン公爵家に泥を塗られるのを回避できるのならそうするよ。第一、そうなってしまえばアルティアーナとの婚姻が遠のいてしまうかもしれないとなればこっちも必死さ。」
隣のアルティアーナの手を取り唇を落とす。エルネスト様の彼女を見る視線は和らいでいて、愛情が込められていた。
あ、これは言外に釘を刺されている。
きっとエルネスト様には私の気持ちなどお見通しだったのだろう。仄かに芽生えた恋心も何もかも。だからこそ牽制するように先に封じられてしまう。
おなじく侍女として傍に居たはずのアルティアーナも。
「うふふ。いつだってエルネストの想いは伝わっていましたわ。離宮で侍女をしている間もわざわざ私の好きな甘菓子をたくさん持ってきてくださったでしょう。あなたってば甘いものが嫌いなのに離れていても常に私のことを考えていると、ああやってまわりに公言なさるから照れてしまったわ。」
「ああでもしないと王宮の使用人たちは黙らせられないからね。万が一にでも君と私との不仲が噂されたら、それこそ私が耐えられないよ。私はアルティアーナに愛を捧げるひとりの男だからね。」
「まぁ、気障ったらしいわあ。でもあなたのそういうところも好きよ。シュリオール殿下はあなたの爪先でも煎じて飲んだ方がいいとおもうわ。そうすれば言葉でも行動でも愛情を伝える人になるのではないかしら。」
「なんだその呪術じみたことは…。効果があるのか?」
「さぁ?知らないわ。呪術だと髪とか血が必要だけど、切った爪のほうが入手困難だし効きそうじゃない。」
「そうかなぁ…?鹿の角なら風邪の時の煎じ薬の定番だけれど、そういう感覚なのか?」
「野生の鹿は薬草をよく食べるらしいから効果があるんでしょう。たぶんそれと同じことよ。まぁ要は見習えってことね。」
「シュリオール殿下は普段から口が重いからな…。対外的な場では王子の顔でペラペラ喋るのにアマリリス相手だと照れなのかデレなのか口数が途端に減るし。」
「それもまたアマリリス様に甘えてる証拠よね。なにも言わなくても解って欲しいだなんて。」
ハンッと鼻で笑い飛ばしたアルティアーナは、まるでお父様を尻に敷くお母様のようだった。
そもそもこのふたりの掛け合いが自分の両親を見ているようで、それだけこのお二人がお互いを深く理解し愛で結ばれているのかがよくわかる。
完敗だ。
先ずもって初めからエルネスト様に付け入る隙など無かったのだ。
私の恋は、恋心は一方的で好いたエルネスト様をどういう人なのかと理解しようとか以前に表面的なことでしか好きになってなかった。
私は私らしくありのままの私でいていいと許されてきたから。
そうであることが正しいとおもっていた。
(…あ、違う。本当は自分がそうしたかったからだ。)
私を溺愛するお父様はソレを認めてくれていたけれど、お母様やフォルトお兄様は違ったもの。でもどれだけ叱られても言い聞かされても納得できなくて自分らしく自分勝手に生きたのは、私の意思だ。
アマリリスやお母様、フォルトお兄様のように社交での完璧な振る舞いを身につけられなかったのは、自分のせい。
そんなことしなくてもいいと尊大だったのは、マグルアンテの家名に甘んじていたからなのだとおもう。
手の指先、足の末端から冷えて…心許ない。
(わたしって…)
自覚するのが遅すぎるけど、マグルアンテ家の庇護のもとでしか生きていなかったのだと実感する。
令嬢として参加した数の少ない茶会や社交場で距離を置かれたり逆に仲良くなりそうな男の子の婚約者にエピソードを語られたりしたのは、当時は「へーそうなんだ。」くらいにしかおもっていなかったけれど、無知な私に対する牽制だったのだとおもう。
(わたしは自分が愛されることは当たり前だとおもって生きてきた。……なんて傲慢なんだろう。)
「あぁそうだ、僕たちの結婚式は三日後なんだ。殿下や義妹のアマリリスも出席する。きみも出席するかい?」
「…………いえ。」
「賢明だね。マーガレット嬢が参加したところで大した意味があるわけじゃなしい。」
ああまただ。
首都の貴族とは皆こうなのだろうか。
笑顔で、耳障りの言い言葉を紡ぐのに、…本心では全く違うことを考えているし、それでも解らなそうならこうやって刺してくる。
マーガレットはこれまで兄のエルネストが特別キツイ性格なのだとおもっていた。
けれど目の前の二人を見て、兄のあの性格は次期当主として首都の貴族とも渡り合えるだけの資質を自ら養ったからこそなのだと知る。
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