3王宮にて
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覚醒すると、私は馬車の中だった。
「……え、あ、っと…ここどこ?」
フカフカの乗り心地のいい馬車の中だということは、わかる。ただどうして自分がこんなところに居るのかが解らない。
「えーっと、…あっそうだ。わたし…アマリリスになっちゃったんだ…」
本当なら、今日の昼に出発予定だったはずが寝室を入れ替え寝ている夜中に急な伝令が入って領地内で大規模な土砂崩れがあったとかで急遽アマリリスだけが出発することになったのだった。
大規模土砂崩れとなれば領地の一大事。同行するはずだった母親も女主人として残ることにしアマリリス(に扮したマーガレット)は王都に戻る日が決められているからと先に馬車に詰め込まれたのである。
なぜならアマリリスは王都に戻った翌日に王宮に召し上げられるので先に予定日は決められており、その日を違えたとあっては王族に反意することになってしまう。
同行のライオネルは土砂崩れがあった道を迂回するルートを知っているからと先頭を走り、領地を抜けたところで引き返した。
領地を抜ければ道案内は不要。
マグルアンテの子息として、領地に戻り復興にあたるたることもそうだがなによりも領民の不安感を払拭するためにも戻らねばならなかった。
結果、予定道りといっていいのか寝ぼけて大人しかったマーガレットは悪戯にアマリリスになってしまったのである。
気が付いた時にはもう遅い。
ライオネル兄様という頼みの綱もないままに王都へと向かう馬車の中で途方に暮れていた。
◇
「お待ちしておりましたアマリリス様。お帰りなさいませ。」
初めて足を踏み入れるタウンハウスでは、当然見知らぬ使用人に出迎えられた。
だからだろう。誰もアマリリスが偽物だとは気が付かなかったし、マーガレットも人生初の長旅がまさか10日も馬車に揺られるだなんておもってもなかったせいでヘロヘロだ。いくら最上級の乗り心地だろうとあんな狭い空間に閉じ込められっぱなしでは気力も体力も削られる。
「おいたわしやアマリリス様…、領地のことでお心を痛めてらっしゃるのですね。」
碌に返事も出来ないマーガレットを見てタウンハウスの執事長と侍女長はすぐさまアマリリスを労うようにと使用人に言いつけた。
マーガレットは宝飾品もドレスもはぎ取られると、苦しいコルセットからも解放され湯に浸からされ身体を丁寧に磨かれた。香油でのマッサージは夢見心地。美味しくて滋養のある食事に舌鼓を打ってたらあっという間に柔らかで軽い寝巻に着替えさせられ煌びやかな寝室に寝かされた。
「………あれぇ?…これでいいんだっ、け…?」
これからのことを考えなければいけないはずなのに怒涛のもてなしを受けてしまったことの余りの心地よさに、思考が酩酊して睡魔にあがらえずマーガレットは眠りに落ちてしまった。
疲労が溜まっていたというのもあるだろう。しかし原因はそればかりではなく、彼女が自分の世間知らずさを自覚するほどに世間知らずに育てた父親のせいでもある。
英雄の末裔であり騎士家系のマグルアンテ伯爵家は男系血族でもあった。男ばかり騎士ばかりの育ちであったマグルアンテ伯爵当主は双子娘をいたく可愛がっていた。
それであるのに長女アマリリスを王家に婚約者として取られてしまい残ったマーガレットを過保護に育てたのである。
それが故にマーガレットは遠出といえば避暑のための領地内の湖くらいで馬車でも一時間くらいのところにしか出たことが無く、令嬢として近隣の貴族令嬢と交流するお茶会にさへ碌々に参加したことがない。
年に数回は母親である伯爵夫人が領地に戻ってきた時には伴われてお茶会やパーティーに行ったことはあるが、第三王子の婚約者の双子妹ということで注目されるし婚約の申し込みもあったがそのすべてを妻である女主人不在を口実に跳ね返す過保護ぶりを発揮したのだ。
……となれば、こうなってしまうのも仕方がない。
まさか寝て起きたら王宮に召し上げられるなどと、夢の中の彼女は夢にもおもわないだろう。
◇
「う、わあ………っ」
馬車窓から見える王城は、まさしく正真正銘のお城だった。
小さい頃に読んだ絵本のものなんかよりも何百倍も立派で、気後れするような。
「…うそぉ。やだ、どうしよう…」
朝早くから身支度を整えてくれた侍女や使用人たちにかいがいしく世話をされて今更自分が偽物だとは言い出しづらく、真実を話せなかった。…なんとなく、アマリリスではないことにガッカリされる気がして怖くて。
そうしているうちに馬車に乗せられ逃げ場がない。
「いや、まぁ…今日を乗り切ってしまえばどうにかなるよね。アマリリスはお城には勉強しに行くって言ってたし。」
そう思い出せば、ちょっとワクワクしてきた。
恐らく一生に一度も行くことは無いだろう王城の中に入れるなんて、こんなラッキーなことはない。
ちょっと中を見て、帰ったら執事に「本当はマーガレットなの。」ってバラしちゃって本物のアマリリスと交代すればいいんだわ。
(もしかしたらその前に、…今日にでも王子様に言うとか? ううん、婚約者なんだもん。きっと先に気が付かれてしまうわよ。)
でも、そしたらアマリリスはすぐにでも戻ってこられるわ。
まぁ…私はすっごく怒られちゃうだろうけど。
仕方ないわよね。私が悪いんだもん。
城門に近づくと馬車は止まった。
下りる用意をしていたら、また動き出してバランスを崩し尻餅をついてしまった。
どうやら馬車は門の中まで入っていくようだ。
◇
てっきりアマリリスやお母様から聞いていた広い謁見の間に連れていかれるのかとおもったら、通されたのはお父様の執務室みたいな部屋だった。
ただその執務机に居るのは絵姿でしか知らないアマリリスの婚約者。第三王子その人だった。
入室してもチラリと一瞥しただけで「長旅ご苦労だった。」と一言労ってはくれたけれど、また書類に目を落としペンを走らせる。
(えっと…それだけ?)
なんと返していいのかわからず、そのまま立ち尽くしていると横にいた黒髪の男性が苦笑いしながら私を隣にある応接室へと案内してくれた。
「悪いね、アマリリス。シュリオールの不愛想は今に始まったことじゃないけど私からも後から言っておくよ。」
「いえ、大丈夫ですわ。お気遣いいただきありがとうございます。」
(へぇ、そうなんだ。第三王子様ってあれで通常なんだ。…えっと、なんか、……大丈夫なの?)
まるでアマリリスに興味が無いようにおもえた。
(一言労うだけであとは存在を無視したようなあんな人とアマリリスは結婚するの?それって…なんだか………。)
アマリリスが声も出さずに泣くほど故郷を恋しがっていたのに納得してしまう。と、おもった。
(それはそれとしても。えーっとたしかこの男の人って…)
つい最近見たばかりの顔だったはず。たしか、お母様に見せてもらった姿絵と一緒に見せられた貴族名鑑に載っていた…サクヌッセン小公爵様じゃなかったけ?
ああそうだ。アマリリスの義理兄妹になるひとだ。
(本物は絵姿よりも細身で中性的なのね…。もっと大柄な男性を想像していたわ。)
対面のソファに座りお茶を飲むサクヌッセン小公爵はにこりと微笑んだ。
どうやらジロジロと見過ぎていたらしい。
慌ててカップを手に取り目を逸らす。
「アマリリスはなんだかいつもと様子が違うようだね。何か心配事でもあるの?」
「あ、いえ…そのようなことはございませんわサクヌッセン小公爵様」
「いよいよどうしたの?」
「え…と?」
「私のことはいつもエルお兄様と呼んでいてくれてたのに…。王子妃になるからといって堅苦しく呼び方を変えられると寂しいよ。それにたった数ヶ月違いでも私のことを義兄妹になるなら兄と呼んで欲しいと頼んだら君は「それならば、親しみを込めてエルネスト兄様ではなくエルお兄様ととお呼びしてもいいですか?」って言ってくれたじゃないか。」
…あ、とてもアマリリスらしいエピソードだ。
そうだ、私はいま、アマリリスなんだって。忘れて自分らしく振舞ったら…アマリリスが困ることになるかもしれない。そんなのは嫌だ。
だとしたら…
「え、ぇ、ェ…エルお兄様。」
「うん、そう呼ばれる方が嬉しいね。君に小公爵様なんて呼ばれるのはムズムズするしらしくないよ。…とはいえ、気が動転しちゃってるのも仕方ないしわかるけどね。やっぱり心配?」
「あ、領地のことは…」
よくわからない。何も知らされないままに馬車に詰め込まれただけなので情報が無いのだ。
それに誰に聞けばいいのか分からなかったのもある。
家にいれば兄様や他から教えてもらえるが、道中に知らない人ばかりの騎士に囲まれていては口が開けないし、タウンハウスでも同じだ。
「まぁ、移動しながらではどうしようもなかったものね。土砂崩れで国境付近の村が三つ潰れてしまったらしくて、隣国からの意図的なものなのか自然災害なのかで王宮からも調査派遣は出しているし、隣国との話し合いもやってる最中だからピリピリして落ち着かないだろうけれどそこは我慢してやってね。シュリオールはその話し合いの先頭に立つことになっていま忙しくて余裕が無かったんだってのも心に留めていてもらえると助かる。」
「ァ、え、えぇ…そう、なんですね。」
…ちっとも知らなかった。そんなことになってるだなんて。
土砂崩れなら自然災害なんだろうくらいにしか、おもってなかった…。
「っていうことで、シュリオールは暫く忙しい。だから義理兄である僕の出番ってわけさ。王宮に教育の為に通っていたとはいえアマリリスは不慣れだろう?慣れるまでは私がシュリオールに代わって王宮の生活のサポートをするよ。ひとまず侍女に案内させるから先ずは休むといい。昼食も私室に運ばせるよ。詳しいことは晩餐の時に話そう。到着早々に一人きりっていうのはあんまりだしね。」
「ありがとうございます……」
座ったままに頭を下げたが、一気にいろんな情報を入れられ過ぎて、この作法が正解なのかもよくわからなくなっていた。
ただ、アマリリスならどうするか?ということだけを想像して身体を動かしているだけ。
◇
晩餐の後は寝室でエルネスト小公爵様に教えてもらったことを反芻する。
アマリリスは三か月後の新年の挨拶の時に、国民に向けて婚姻を発表すること。そのために今からその日に向けてドレスをはじめとした装飾品に至るまでを相応しく選んでいくのが主なことで、それまでは茶会など社交には出ないらしい。
それからその日までは行動範囲も限られると注意を受けた。
与えられた離宮からは決して出ることは許されず、出たければ申請して許可を得る必要があること。必要なものがあれば執事か侍女に言い付ければ用意してもらえるらしい。
なんでそうなるのかと問うと、婚姻式を控えたまだ発表前の王子婚約者はその座に収まりたい者にとって邪魔で狙われるからだと言われたら背筋が冷えた。
「アマリリスは、いつもこんな環境で生活していたのかしら…」
煌びやかで何不自由ない暮らしをしているのだろうとばかり思っていた。
まさか命を狙われる危機がすぐそばにあるなんて想像もしていない。誰よりも守られて大切にされて…お姫様のようなのだとばかり。
いや、多分そうなのは間違いないんだろう。
今着ている寝巻さえも繊細な刺繍が施されていて柔らかく肌触りが良くて軽い。湯船に張られたお湯には花びらが浮いていたしタウンハウスで受けたものより丁寧で気持ちのいいマッサージも。
煌びやかで何不自由なくて出入りを制限されるほど守られている真相のお姫様。ただそこに命の危険があるだけの。
昏くした室内を歩いても小さな照明にさえ反射する宝石の煌めきがチラチラとあるような豪華な部屋。
そんな部屋の窓の下にはランプを持った衛兵がうようよ居るし、視線をすこのし上げればご立派な王城が夜の暗さの中に立派に輝いている。
だけど眩しいそこからもっと上を見ると、夜空には、月はあっても星が無かった。
「こんな夜なのに…本当に星が見えないのね。」
アマリリスの言っていた通りだ。
夜明けの明るさのような地上では、その中に居てはたとえ太陽の消えた夜でも夜空の星はみえなくなってしまうのだ。
ツンっと鼻が痛くなったマーガレットは泣いてしまいそうになる前にベッドに潜り込んだ。
彼女が癖になるくらい習慣にしていた寝る前のポジティブな呟きはないままに。