10.エンディングに向けて。
◇◇◇
サクヌッセン侯爵の王都屋敷に到着すると、エルネスト様が先に降りてすぐにアルティアーナの手を取りエスコートした。
ただのマーガレットは彼に手を取ってもらえない。
…当たり前だけど。
先を行くエルネスト様の背中を追いながら屋敷に招かれれば、彼は執事に何かを指示し、私の不安に寄り添うように隣に居てくれていたアルティアーナ…様、は、コートや夜会で付けていた仮面などを使用人に渡していた。
「さぁ、今夜はすっかり疲れてしまったでしょう。明日の朝にはお迎えがいらっしゃるからゆっくりお寛ぎになってくださいな。」
「マーガレット嬢は私たちの義妹の妹君だ。丁重に扱うように。」
メイドに案内されていった客室で着替え、湯浴みもし、軽い食事もとった。
初恋の人の家に居るというのに、ときめきは無くただただ不安定な気持ちで落ち着かないばかりだ。
そりゃそうだ。だって―――告白をする前に玉砕したのだから。
ただ失恋したはずなのだけど、悲しくはない。
悲しみを感じる暇さえないほどに今夜は目まぐるしく色んな状況が変わった。
…そして、自分が、悲しくなる資格さえないことに気が付いてしまった。
「羨ましいなって、おもったのよ。どんどん綺麗になっていくアマリリスが。私ってバカよね。アマリリスが綺麗になっていくのは贅沢な生活をしているからでも王都に住んでいるからでもないのに、表面だけ見て、……努力や苦労なんて知ろうともしなかった。ううん、何も考えずにアマリリスが出来てるんだから自分にだってって軽んじていたんだわ。」
言葉にして言ってしまったら、自分に失望した。
こんなに恥ずかしいことってない。
無責任に羨んで、嫉妬して、そのくせイザ自分がってなってみたらなにも満足に出来なくて。ただの我儘でみんなを振り回した。
入れ替わるということは、これまでアマリリスが努力してきたこと、培ってきたもの、学び得た知識も経験もすべてなかったことにする所業で。
それなのに、責任はアマリリスに押し付けてる。
「……わたしは、なんて恥ずかしい人間なんだろう。」
ましてやこの入れ替わりの発端はマーガレットのつまらない嫉妬からだ。
何もかも自分より勝り何もかもを手に入れこれから王族の一員になるというのに不安がって涙をこぼしていた姉の心の隙に付け入り我儘を押し通したのは自分自身。それなのにやっぱり駄目でしたとまたも入れ替わりを願ったのも自分だ。
(私は…いつも姉を羨むばかりで……同じようになろうと努力したことはなかった…)
出来ないのなら仕方ない。姉は姉、私は妹で違う人間なんだから。って、言い訳ばかりして。
…だから、知ろうともしなかったのだ。
アマリリスが故郷を離れて暮らす寂しさも、通常の貴族令嬢教育よりも厳しい王子妃教育のなんたるかも、煌びやかな王都の社交界では気軽なお喋りが出来ないことも、自室でさえ気の抜けない品格を保つ姿勢で生活していることも…なにも、なにも知ろうとしなかった。
ただ自分よりも美しくなっていく姉の姿の表面的なことにばかり羨んで無責任に嫉妬していただけ。
沈む気持ちに押されて涙が溢れそうになってくる。
でも、私が泣くなんて、烏滸がましい。だから我慢する。
グッと息を止めて、堪えて、苦しくなったらゆっくり溜めてた息を吐いて新鮮な空気を吸って直情的な感情を押し止める。
「泣か、ない…わ。私にそんな資格、ないもの。」
嗚咽でつっかえるけれど声に出して自分に言い聞かせる。
そうしないと泣き喚いてしまいそうだった。
だってこれは因果応報なだけだともうわかっている。
離宮にいる間、一度たりとも会いに来なかった王子がアマリリスに寄り添っていたことも、恋したエルネスト様がアルティアーナを愛おしい目で見ていることもすべて彼ら彼女らが自身を磨く努力をし相手に誠実に尽した結果なのだ。
私は自分に素直に生きてきた。
それ自体が悪いことじゃないのはわかっている。
…だけど、いつからか愛されることが当たり前だとおもうようになっていた。
アマリリスの偽物になって離宮に居る間、王子に手紙のひとつも書かなかったしエルネスト様が来てくれるのは自分に会いたいからだなんて盛大な勘違いまでした。
(私はいままで自分自身を磨く努力をしなかったばかりか、相手のことを知ろうとすらしなかった…大馬鹿者だわ…っ)
だからこそ様々なことを見落とし、自分勝手な、私にだけ都合がいい世界で生きていたのだとおもう。
自分が世間知らずな自覚はあった。
だけどそれでも困らなかったのは、溢れる愛に守られて生きてきたからでもあり、自分がやりたくないことや知ろうとしなかったからなんだって、今更ながらに実感した。
私の知らないところでも誰かの時間は流れていて、私の知らないことは沢山ある。
(…当たり前のことなのに、今の今まで、エルネスト様とアルティアーナ様のことやアマリリスと王子のことが解らないのは、私が、私のことを見て欲しいってばかりで誰の事も知ろうとしなかったからだって、やっとわかった。)
聖夜祭りの夜は長い。
それでもマーガレットが自分自身に向き合い納得するにはまだまだ足りない夜だった。
◇◇
翌朝早朝にはマーガレットを迎えに三番目の兄ライオネルが来ていた。
だが王都に向かった時とは違い馬車は一台で荷物を載せる荷馬車は無かった。
「おはよう、ライ兄様。タウンハウスへ寄ってから出発するの?」
「おはようマーガレット。いいや、このままマグルアンテに戻るよ?」
「え?…でも随分と荷物が少ないわ。確か王都に向かった時には荷馬車の車列が五台はあったはずだけど…」
「あぁ…あの時のは、二台は救援物資で残り三台分はアマリリスの輿入れの荷物だったからね。タウンハウスに何か大切なものがあるならあとから送るから品目を書き出しておいてくれるか?」
「あっ…そうだった、のね…。ううん、大切なものは、…特にないわ。」
言われてみればそうだった。
マーガレットの持ち物なんて何もなければ誰かから贈られたものも買ったものも何もない。
唯一もしも私のためにではなくとも貰ったものがあるとすれば、それはエルネスト様からのお菓子と思い出だけだ。形として残るものをわたしは王都で何も手にしていなかったのだった。
昨夜あれだけ自分を戒めたはずなのに、マーガレットとアマリリスの差をまたもまざまざと実感する。
黙り込んでしまったマーガレットをよそにライオネルは一晩泊めさせてもらったお礼を言いに一旦離れエルネスト様と話をしていた。
戻って売る時にはアルティアーナ様も一緒に居て、それはそれで王宮内での自分の無知な非礼さに居心地が悪い。
だってまさかただの侍女だとおもっていたアルティアーナが貴族として格上の公爵家令嬢だったなんて夢にも思わなかったんだもの!
…でも、王宮に勤める使用人は全員、掃除婦や小間使いの従僕下僕に至るまで貴族の出身であることも知っていたはずなのに頭から抜けていただけの自分にも肝が冷えたってもんじゃない。
(わたしの王宮での振舞は…反省する事ばかりだわ………。)
いかにマグルアンテ辺境伯爵家が名門の家系であり、有事の際に公爵家と同等の地位を得ることがあろうとも平時では伯爵家でしかないのだ。
流石にそれくらいのことは知っている。
ぎこちなく見送りの言葉に頷き、兄のエスコートで先に馬車に乗り込むと
小公爵であるエルネストは
「あなたはこれからどうしたいですか?」
と聞いてきた。
とても抽象的な問いだ。
だけど昨夜のこともありわたしはまだ纏まりきらないながらも、
「これから…」
こらからは『自分を変えたい。』そう強くおもったことを思い出す。
「これからの私は、…甘えた性格を直したいです。それからアマリリスに頼ってもらえるようになりたい、です。わたしは足りないところだらけで道のりは厳しいかもしれませんが、言い訳ばかりするんじゃなくて、ちゃんと、大人になりたい。」
嫉妬し比べてしまう心を自覚した今、それでも敵わないとただ敗北を認めるのではなく…強くなりたいとおもったことを思い出す。
アマリリスになりたいとは思ってなかった。
だけど羨んで、『もしも』な可能性を夢想して、自分ならもっとどうにかなる…とか、一度も考えなかったわけじゃない。
しかしその夢想という「たられば」は自分を慰めるためだけの夢物語なのであって、現実には努力し責任を全うしようという人に皺寄せが行き、傲慢で無力な人間は自分よりも格上には謝罪する機会さえ与えられないというのが現実なのだ。
例えばそれが双子の姉妹だったとしても。
「今後はアマリリスは王子妃、私はただの伯爵令嬢です。っでも!いつか…いつかは会えることもあるでしょう。その時に恥じない人でありたいです。」
しずかに宣言する。
私はもう今後、守られて愛されることが当然だというお花畑な頭の悪さを捨てる、という決意だ。
「いままで、ありがとうございました。アマリリスを守ってくれて、これからも…ずっと、お願いします。」
椅子に座ったままでは非礼だとおもうししかし馬車に乗ったあとだから、深く腰を曲げて頭を下げる。
長い髪が床についたが構わない。




