1.プロローグ
――――カンカンカンカンッ!
砦の城門を開き渡し橋が下ろされる合図の鐘の音が響き渡る。
「お父様にお兄様たち!お母様とアマリリスが帰ってくる音が聞こえるわっ!」
喜び勇んで窓に飛びついたのはこの家の末娘、マーガレット・シグノール・マグルアンテだ。
そして立派な三頭立ての馬車に引かれて城門を潜ってくるのは母親と彼女の双子の姉アマリリス。それと護衛として馬に騎乗しているうちの一人に王国騎士団に所属している兄も居るはず。普段この家族は別々に暮らしているから久しぶりの家族勢ぞろいという訳だ。
というのもマグルアンテ伯爵家はここファーデルセン王国と隣国との国境を守護する辺境伯家で当主や跡取りは滅多にこの地を離れられない。それ故に長女アマリリスが第三王子の婚約者に決まった時から離れて暮らすことを余儀なくされている。
まぁそれでなくともマグルアンテ家は英雄の末裔で騎士の家系であるので子息は13歳から王都の騎士団に寄宿し10年研鑽を積まねば戻ってこれないので大げさな話でもないのだが。
馬車から降りてくる母親とアマリリスをエスコートしている兄にまずお帰りと言ってから母親と抱擁を交わし、最後に馬車から降りるアマリリスと久しぶりの姉妹再会を喜ぶ。
仲良く手を繋いで屋敷に向かうこの二人、双子なだけあって容姿がそっくりなのだが彼女たちをよく知る人々はみな彼女たちを見間違うことはない。
だって鏡映しのように同じ姿形をしていても姉妹の性格が真逆なのだ。
明るく朗らかで天真爛漫な妹のマーガレット、大人しく控え目でおっとりした姉のアマリリス。
性格が違うということは仕草も喋り方もすべて違ってくるのは当然で、黙って動かず並んでいれば見間違えるかもしれないがそんな場面などそうあるわけがない。だから誰もが彼女たちを見分けることが出来るというわけだ。
「ねぇ、アマリリス。あなたの好きなケーキを用意してあるのよ!着替えたら庭でお茶会しましょうよ」
「こらこらマーガレット、アマリリスは馬車旅で疲れてるんだからすこし休ませてやれよ」
「あ、そっか。うーんそれじゃぁお部屋に行ってもいい?」
「いや、だから…お前なぁ」
「なによ、いいじゃない。」
「えぇ、大丈夫よ。ライオネルお兄様もありがとう。馬車旅といっても三頭立てだったから早かったしそんなに疲れてはいないわ。それにお土産もあるし早く渡したいわ。」
「ほんと?お土産ってなんだろ~楽しみだわっ!」
ウキウキとスッキプするマーガレットに手を引かれてアマリリスは背筋を伸ばして歩いている。
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「それで王都ではどうだった?」
夫婦の抱擁を交わしたのはほんの一時ですぐにでも領主と女主人の顔になる両親の切り替えの早さを目の当たりにしてマグルアンテ伯爵家の嫡男であるフォルトはため息を吐きたくなった。もちろんそれは弟たちも同じだろうが。
ソファセットの主席に父が座り次席に母が、その向かいに嫡男が座り次弟は横に三弟は騎士服のまま末席に着席している。
「日頃から報告しているままで相違ありませんわ。王都学園の卒業パーティーでアマリリスと第三王子殿下との婚姻が正式に発表され、輿入れに際するアマリリスの寄親としてサクヌッセン公爵の御子息が共に登壇されました。」
「なるほどな。寄親として公爵が出るよりも義理兄妹として小公爵が共に立つ方がアマリリスの後ろ盾としての意味が深くなる。だが…、はぁ…しかし、アマリリスと親子として過ごす時間はもう、…少ないな。」
全身から「嫌だ。」というオーラを放ち始めた親父殿はどんよりと顔を顰める。
「シュリオール殿下との婚約が打診された時点でこうなることは判っていたではありませんか。なによりアマリリスを養女として親子の縁を切られることなくサクヌッセン公爵さまが寄親となってくださったことに感謝しなくてはいけませんわ」
「それはそうなのだが…しかしだな、嫌なものは嫌なんだ。寄親とはいえアマリリスの親が増えるのが。」
「婚姻するのなら親が増えるのは当たり前ではありませんの。そこに力添えをしていただける後ろ盾は心強いとお考えになればよろしいのですわ。」
「理解っている、だがな、気持ちが…嫌だといっているのだ。これはどうしようもない。」
「っまた!そうやって貴方はいつも娘のこととなるとウジウジして!日頃の騎士教育や鍛錬で発揮なさっている根性論はどうなっているのかしら?頭で理解っているのならその繊細な心にも叩き込みなさいよ。」
父様のどんよりした雰囲気に喝を入れるように母様の激が飛ぶ。この光景は実はいつものことで、普段は剛健実直な巌のような男である父はこういう面に弱く、逆に母は愛情深く淑やかな女性であるし由緒ある侯爵令嬢であったわりに肝が据わっていて合理的で思い切りが良い。このちぐはぐさを埋めるような性格だからこそ夫婦になっても長年仲睦まじいのだろう。でなければ十年かけて五人もの子を儲けまい。
そんな両親を横目に三兄弟は肩を寄せ合って話をする。
そもそもどこの国でも基本がそうであるように伯爵令嬢が王子と婚姻を結ぶことは出来ない。王族の正妃となる条件は公爵か侯爵の令嬢と相場は決まっていて高位貴族と言えど伯爵令嬢は側妃にかろうじてなれる可能性がある程度だ。下位貴族ならばそんな可能性なんて微塵も無い。しかし抜け道はあるもので、要は公爵か侯爵の養女になってしまえば正妃になれるし側妃としても遜色ない。しかし養女にする方にも旨味が無ければするわけがないので殆どこのような手段は実現しないのだけれど。
それなのにどうして伯爵令嬢でしかないアマリリスが王子の婚約者に擁立されたのかは、相手が王太子ではなく第三王子だからだ。
第三王子は王位継承権を返上し臣下に下ることが決まっている立場であり高位貴族令嬢が相手であるならば問題はないことからだろう。しかしながら臣下に下る前は王子という身分でもあるから寄親は必要だし、もしもアマリリスが養女になってしまえば王太子との婚約も視野に入ってくることから政治的にも敵が増える。…なにより親兄妹の縁が途切れることは親父殿同様に兄たちだって嫌だった。
「なぁライオネル、アマリリスは殿下とあの両親のように睦まじくやっていけそうか?」
「どうだろうなぁ…王子妃になるんだし無碍にはされないだろうが、仲睦まじくはどうかな。」
王国騎士団所属の三男は兄の心配をよく分かってはいる。
そもそもこの婚約は政略的なもので、愛だの恋だのというものとは程遠いのだ。なぜなら伯爵令嬢でありながら婚約者に選定されたのは国境を守護するマグルアンテ辺境伯の娘だからという理由が大きいのは誰もが知っている。しかも既に二人の間に生まれる子の未来まで決まっているような婚約だ。
第三王子は継承権を返上し次期王の臣下になるが籍は王族のまま王宮に留まり王弟として政治、特に軍事や国防に関わることになるしだからこそ私兵隊という規模を越えて王国軍に引けを取らない騎士団を有し国防の最前線にある我が家と縁を持つための婚姻を強く望まれた。
ゆくゆくは王太子の子と第三王子の子とマグルアンテ家の子は従兄弟同士になるから自然な流れで婚約の話も持ち上がることだろう。
「家のためであるなら、この上なく好条件ではあるんだよな。親父にとっちゃ孫の代にはなってしまうが侯爵になることが約束されてるようなもんなんだし。」
次男のレオリアンは冷静に現状を捉えているが、歓迎はしていない。
両親だって政略婚だったがいまは睦まじくやっている。けれどすべての政略婚がそうそう上手くいかないのも知っている。
王都で騎士団に寄宿し首都の貴族というものを十年見ていれば、両親のような喧嘩するほど仲が良い夫婦というのが貴族の中でいかに稀なのかをよく知った。同僚に愛のない家庭で育った貴族子息は珍しくなかったし、
王都の貴族夫人に嫌になるほど一夜の誘いを持ち掛けられたし、ウンザリするぐらい婚約者持ちの令嬢から恋文を貰った経験があるからだ。名門であるマグルアンテの名を出さなければ断れない高位貴族夫人でさえ「慎み」などどこかに忘れた手負いの獣のような寂しさを抱えていた。
あんな一見華やかでありながら闇深い地に可愛い妹を置いておきたい訳がない。
「俺は正直、今からでもこの縁談がうっかり破談になればいいのにとはおもってる。だが王都でマグルアンテの家名を背負って王子妃になるべく努力しているアマリリスのことも尊重したいし…はぁ。」
親父のように結局は堂々巡りな考えで答えを出しきれないのは外見も優柔不断さも父に似たせいだとおもっておく。
だからやっぱり気分はどんよりだ。
「レオリアンは変なところが父上に似たな。騎士としては時に非情になれるのに家族や仲間のこととなると途端に繊細な心が出てくる。」
「でもそういうのがレオ兄さんが慕われるところだよね。騎士団でも先輩たちに可愛がってもらえるのは人望厚い兄さんのお陰だよ。」
「うん?俺のことは?」
「あ~…フォルト兄上は、うん、ちょっと…上官も語り草にはしてるよ。はははは…」
「あ゛?」
ドスのきいた声で一音しか発さないのが怖い。
嫡男のフォルトは一見すればすらりと細身であり母親似の美貌の持ち主だが兄弟の中で一番の実力者だ。それだけではなく柔和に微笑みながら毒を吐くし相手を殴り飛ばす苛烈な性格でもある。見目だけなら理想の貴公子然としているらギャップが酷い。しかも本人も上手に自分の見目を利用する狡猾さがあって、ここまでくるともう詐欺だと弟たちはおもっている。
「いや、まーほら!騎士団のことより、いまはアマリリスのことでしょ?」
5人兄妹ど真ん中子のライオネルは素早く話題を無理やりにでも変えるバランス型だ。
「兄上的には、どうなの?レオ兄さんや俺はアマリリスはそりゃ王子妃としては大事にされるだろうとはおもうけど、精神的には幸せになれないんじゃないかなっておもうんだけど。」
「お前たちの尺度でアマリリスの幸せを測ったなら不幸だろうな。けれどあの子は馬鹿じゃない。大人しくて引っ込み思案なままの子供でもない。それに幸せの定義はそれぞれだろう。心配する気持ちはわかるが、信じて見守るのも大事なことだ。」
「兄上…」
「いや、ぜんぜんわかんねーんだけど?」
「…単純バカは部屋に戻って寝ろ。」
「はぁ?!」
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