7:予定より4倍も長く魔法少女をやらなければなりません
「──これからは、ヤヤとワカバで行動してもらう」
真山の執務室に呼び出されたヒダキとワカバにいきなりそんな言葉が投げ掛けられた。
真山はそれで十分だと言わんばかりに、椅子に深く腰掛け直す。気だるげで顔色が悪い彼は、どこか不吉な気配を漂わせている。
ヤヤに書類を押し付け、荒々しく息を吐いた。
ヒダキは鼻を鳴らして話を受ける。昨晩から何とはなしに予想はしていたのだ。このタイミングの後輩、いや同期ならば驚くべきことではない。
それよりもわざわざ真山が呼び出してきた理由の方が気になっていた。
ヤヤは書類を一目して、おおよその事情を飲み込んだ。面倒を押し付けられたことに腹が立つものの、真山の様子を見ればそれも収まる。
彼の抱えた面倒の方がよほど大変なものであると察しがついたためだ。
「それは私が頼りにならないということですか!?」
受け入れられないのは一人だけ。ワカバが叫んだ。
その怒声に三人は視線を向ける。
彼らに驚く様子はない。
それがワカバを侮っているようで、どうにも彼女の癇に障った。
「ワカバさん。新人にいきなり単独での任務を与えることを保護局は奨励しておりません。ここにいるヒダキも私の監督下にあります。そこに貴女も加わるというだけですよ」
穏やかな、しかし有無を言わせぬヤヤの口調にワカバは一瞬怯みを見せた。
たじろぐ少女に畳み掛けていく。
「魔法少女となったからには決意と覚悟を持っているのでしょう。しかしそれは、誰もがそうなのです。故に貴女だけを特別扱いは出来ません。されたければ、特別扱いに足る価値を示してください」
暗にお前にはそれだけの価値がないと切り捨てられたワカバは、目元に涙を浮かばせ唇を噛み締める。ぎゅっと強く握った拳を見つめ、それから彼女は弱々しく「はい」と答えた。
「……ヤヤはそう言うがね、二人での行動も普通の扱いと言い難い。あまり気を落とすな」
見かねたのか、真山のフォローが入る。
「さて、ヒダキだが──」
真山は実に言いづらそうだ。
眉間に皺を寄せ、苦しそうに言葉を吐き出す。
「これからは一人で動いてもらう」
この流れでそれは言い出しにくいだろう。真山の語気は弱々しい。
勢い良くヒダキの方を向いたワカバの両目は見開かれ、ヤヤは呆れたように嘆息した。
真山曰く。能力面から考えてヒダキを遊ばせておく判断は出来ない、と。
つまり、保護局として求めている水準にはとうに届いているという考えだ。
魔法少女には段階がある。
1~5までのランクがその魔力の強さに合わせて割り振られる。1が下で5が上だ。
また、この割り振られるランクはそれぞれの変身術式を安定させる変数として機能し、変身態に影響する。割り振られるランクと魔法少女の状態とで相互に働きかけているのだ。
ランク1は最も安定せず頭部が魔力の靄に覆われ、これが2になると格段に安定した魔力がサークレットになり固定化される。
ランク3となれば変身態の衣装が改変され独自性が増し、4にまでなると固有の武装を獲得する。
そしてランク5では名前が与えられた。
「──ルイーネからの伝言だ。そのうち顔を見せに来い、とな」
ヒダキの変身態が不安定であったのは魔力の総量や出力のバランスに加え、変身術式に変数が未入力であったからだ。これが魔力の少ない魔法少女であれば大したことにならなかったのだが、ヒダキはそうではなかった。揺らぎがそのまま、いや増幅されて外へ出てしまった。
二度目の変身以降に、魔力の爆発的な解放などめったに起こらない。それが意図せずして発生するような事態は、ヒダキ本人が思っている以上に重く受け止めるべきことなのだ。
故に真山は動いた。
問題解決役たる魔法少女がさらなる問題を誘発するようではまずいと考えて。
「『ハイペリオン』。それがお前に与えられた新たな名前だ」
ランク5の魔法少女には管理番号ではなく名前が与えられる。
それは無限の可能性を収束させる働きを持ち、かつ到達点までの足元を舗装する役目を果たす。多くの魔法少女が憧れながら、己れには届かぬと諦めたものだ。
ヤヤもワカバも言葉を発せずにただただヒダキを見つめていた。片方は眩しいものを見るような目で、もう片方は憧れに瞳を輝かせて。
「お前がその名を呼ぶことで定着する」
「…………ハイペリオン」
少女に訪れた変化は劇的であった。
荒々しかった魔力の波はピタリと収まり、腹の奥底に響くような圧力が鳴りを潜める。
そして、少女の艶やかな黒髪の内側が朱に染まった。
どこかモノクロだったヒダキの印象が一気に華やぐ。
魔法少女の名前には途轍もない力がある。それは本名もそうだが通り名も同様で、名前によって型にはめることで魔力が制御を失わないよう枷を着けるということが行われたのだ。
これがまだまだ未成熟な魔法少女であれば管理番号のみで済む。だが、ヒダキはその限りでなく、その強大な魔力を抑え込むためにわずか数日で通り名が用意された。
ハイペリオン。
ギリシャ神話における太陽神、光明神の名前である。一般に知られるアポロン神の前の代と思って良いだろう。追われた神であり力奪われた神である。
(皮肉か……?)
男神の名前を与えてきたのは素性を知っている牽制だろう。
ヒダキの元の性別に合わせてのことなら、敢えてのチョイスに納得出来る。少女の力の性質に準えての選出はむしろセンスさえ感じさせた。
(ここは悪神でないことを喜ぶべきかもしれない)
お前はユダ! なんて名付けられていたらさすがに抗議せざるを得ない。いや、抗議で済めば良いが。場合によっては実力行使だって視野に入る。
それを考えれば許容出来る、とまで考えてからヒダキは顔色を変えた。
一瞬青ざめ、それから頬に赤みが差す。
まなじりを吊り上げて、ヒダキは真山に詰め寄った。
「まさか……、まさか約束を反故にするつもりか!」
元の性別である男性に戻す。それはヒダキの原動力の一つである。
目的があるから彼女は頑張れるのであり、それをナシにされては堪ったものではない。
ヒダキは思い至ってしまったのだ。魔力の安定化が性別の固定化に寄与する可能性を。
魔法少女としての変身がきっかけであれば、魔力に働きかけることは身体をいじくることに近しい。不安定さが元の性別への戻りやすさだとして、それが失われることはヒダキにとって絶望を意味した。
激昂するヒダキに真山は言葉が出ない。
彼は知っていた。
これがルイーネの筋書きであることを。
始まりの魔法少女ルイーネがヒダキに名前を与えたのは意図的なことだった。管理番号でないのはわざとなのだ。
勿論、それに見合うだけの実力をヒダキは示している。だが、実績としてはまだ弱い。
そこを無理やりに押し退けたのがルイーネである。彼女は強引にでも手駒を増やしたかった。ヒダキに目を付けたのである。
さらには酷く脅しつけられ、真山はすっかり弱ってしまっていた。
今もヒダキに詰め寄られながら、力無い答えを返している。
事態は彼の手から離れてしまった。いや、最初からどうにも出来ないところにあったのかもしれない。
ルイーネは北関東の隅での出来事を把握していた。これは彼女の手の者が入り込んでいることを示すに違いない。その事実が真山の心臓を掴んで締め付ける。
「クソがっ……!」
真山の胸元から手を放し、ヒダキが悪態を吐いた。そのあまりの豹変ぶりにワカバは目を丸くしている。
手詰まりだった。
ヒダキは枷を嵌められ、真山は檻の中に居ることを確認させられた。
大人しく従う他無い。
それがヒダキにはどうにも受け入れ難いことだった。
(黒幕気取りかぁ? 腹が立つ)
握り締めた拳を震らし、鼻息荒々しくヒダキは真山を睨めつける。
これに意味がないことは分かっていても、それでも怒りを抑えるのに必要だった。
「すまない」
真山が誰にともなく呟く。
「ルイーネは一年だけだと笑っていた。お前には負担をかけるが飲み込んでほしい」
「真山ッ──!」
「堪えてくれ。この一年内にルイーネは何か行動を起こすつもりらしい。どうかそれに備えてほしい」
真山がヒダキを真正面に見据えた。
隈が色濃く刻まれた顔は、まるで動く死体のようである。
「私はダメだ。目を付けられた。だからヒダキ、皆を頼む」
一瞬、真山の視線が脇に逸れる。
落ち窪んだ両の眼窩が、ヒダキを再び捉え直す。
「すまない。……だが、お願いだ。皆を守ってくれ」
下げられた頭を、震える真山の肩を見下ろし、ヒダキは鼻を鳴らす。
こんなことは望んでいなかった。だがしかし現実に起きている。
意に沿わぬ現実を前に人が出来ることは二つ。
突っぱねるか、意の方を曲げるかだ。
ヒダキは不承不承頷いた。
必死に取り繕って、答えを絞り出した。
「……ええ、まあ仕方のないことです」
自らなってしまったのだから、魔法少女としての責任はとる他あるまい。ヒダキとしては非常に業腹だが、どうにかそんな風に今回の件を前向きに捉え直した。
(──それとこれとは別に、ルイーネはぶっ飛ばしてやりたいけどな!)
苛立ちを隠しているだけであった。




