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6:徐々に慣れつつある非日常


 魔法少女保護局は名前の通りに魔法少女の保護活動を行っている。それは魔法少女としての活動をサポートすることだけでなく、衣食住の提供や学校生活の援助も対象だ。


 魔法少女養育院。

 ここでは主に身寄りのない魔法少女たちが生活している。下は6歳から上は18歳まで。様々な年齢の少女が集まり、協同して日常を過ごしている。

 一部からは人身売買だ、洗脳教育だと批判が向けられているが、概ね平穏に運営されていた。



 その魔法少女養育院の一室にヒダキは居た。

 彼女もまた、この施設での生活を始めたのだ。

 魔法少女となる前の住居は使えない。何故なら、桧田木幸次郎と魔法少女ヒダキは別人という扱いであるからだ。書類上そのような処理が通された都合上、ヒダキの住む場所は他になく、養育院で寝泊まりをすることになった。


(こんな処理が出来るんだから、保護局を危険視するのも分からなくはねぇかもな)


 よもや架空の人物を一から作り上げるとは思っていまい。

 その恩恵に預かる立場のヒダキは早々に思考を切り上げ、もそもそと着替え始めた。



 下着を身に付けて、ブラウスに袖を通す。

 今さら女の身体、それも女児のものに戸惑うようなウブではない。あくびを噛み殺しつつ、ヒダキは身支度を整えていく。

 ああ、いや。ブラジャーは別であった。さすがのヒダキもあれには困惑をした。ヤヤの手配によって紛れ込まされていたそれは、支えるもののない絶壁には無用の長物である。

 着け方以前に必要性で躓いたその下着は、タンスの奥に封印されてしまったのだった。


 姿見を確認すれば、発育の足りていない少女がそこに映る。

 スタイルにメリハリがない身体は少女らしいと言えば聞こえは良いが、すっとんとんのちんちくりんであった。

 ブラウスも胸元の飾り布が悪目立ちしているように思え、真っ直ぐに落ちるスカートの裾がやたらと長く見える。綺麗な少女であるのは間違いないが、棒のような印象を受けるのだ。

 肉付きが悪いことに、ヒダキは食事の量を増やすか検討を始める。


(……って、違ぇよ。見栄えなんて気にしてオシャレに目覚めてる場合か!)


 わずか数日で自身に現れ始めた心境の変化。

 それがヒダキにはひどく恐ろしく感じられ、誤魔化すように頭をガシガシと掻いた。

 彼女のサラサラした髪はその程度のダメージなど意に介さず、艶やかな天使の輪を保っていたが。



 思い出されるのは初の任務の前。

 ヒダキに男性が魔法少女へと変身するリスクが伝えられた。


 そう、男であっても変身は出来る。

 変身端末(コンパクト)を起動できるだけの魔法への適性があれば、男女の別なくあれは力を発揮する。

 だが、持続しないのだ。男の場合は、基本的に変身解除と同時に元の姿に戻ってしまう。そして、魔法少女としての素質は失われる。使いきりの力なのだ。

 その辺りは保護局が設立されるよりも前に、軍によって検証が為されている。多くの軍人が変身を遂げ、フリフリのドレスに絶句し、二度と魔法少女に変身出来ない身体となった。

 女よりも男の方が多い環境だ。初めは男性で活用できるか試すのが当然だろう。しかしそれは無理だった。しばらく研究が続いたものの、やがて諦められた。


『──男性の変身経験者から後遺症の訴えが出たのよ』


 ヤヤの言葉をヒダキは思い出した。

 魔法少女に変身した男は精神に変調をきたすと、軍が認めたのはかなり早かったと言う。

 それだけ多くの訴えがあったのだ。無視できないほどに。

 その理由はヒダキにも分かる。

 混ざるのだ。何か心の奥底で。男性としての自意識に、異物が染み入ってくる。おそらく女性としての認識なのだと考えられるが、具体的なところは分からない。

 ただ、じわじわと変革が訪れていることだけは、彼女も理解していた。


『──軍の研究では二人、貴方と同じように戻れなくなった被験者が居たそうよ。戻すための研究も行われて、道筋は確立している。だから時間さえあれば戻れるのは間違いないわ』


 既に誰かの通った道であることを聞かされた時、ヒダキは心底から安堵した。

 時間はかかるが戻れる確約を得られたことで、彼女の心は羽のように軽くなる。

 その瞬間は確かに救われていた。


 わずか数日でヒダキの心には再び焦りが巣くっていた。

 自身の変化を実感する度に彼女は不安になる。三ヶ月後、果たして自分は元に(・・)戻れるのか。男の身体だけではない。かつてと同じような心持ちでいられるのか。


 恐れをひた隠しにして、ヒダキは今日も食堂で朝食をとる。

 寮母に挨拶をし、トーストを齧った。

 麦が違うのか、ヒダキが桧田木であった頃に買っていた物よりも固い。少女の顎には負担だ。


(よく噛ませることを狙ってんのかね)


 可能な限り迅速に飲み込みミルクで胃へと押し流すと、ヒダキはさっさと荷物片手に養育院を出る。


「おはよう」

「おはようございます」


 養育院の門前でヤヤに拾われ、そのまま二人で保護局へと向かう。

 それがここ数日のヒダキの朝の様子だった。




「……いつもありがとうございます」

「気にしないで。貴方をふらふらと放っておくわけにいかないし」


 ヤヤの運転は少し荒い。今もミニバンが大きく揺れた。ヒダキとしては運転を代わりたいくらいであるが、しかし免許を持たない少女にそれは無理な話だ。ヒュッと息を呑む。センターラインぎりぎりを走るミニバンと擦るような距離を大型トラックが過ぎ去った。

 努めて冷静さを保とうと、ヒダキは手を合わせて呼吸を落ち着ける。車体が遠心力に振り回されながらカーブを強引に曲がった。



「あ、そうだわ。午後の予定は変更よ」

「そう、ですか」


 交差点での急な減速。シートベルトがヒダキの肩に食い込んだ。

 それに気を取られるが話は聞いていた。


 素性が素性なだけにヒダキを軽々しく学校に通わせることが出来ない。元は男性であるし、本人は三ヶ月で辞める気なのだ。それが叶うか否かは置いておいて、継続して開かれた集団で生活を送るのは難しかった。養育院のような環境であれば誤魔化しが効くのだが、学校では保護局の影響が薄い点もある。

 中身は成人していて無理して通う必要がないというのが救いだろうか。


 学校に通えないヒダキを、真山は書類上で成人とした。学校教育の代わりに保護局での研修を割り当て、日中の活動を制限することで監視下に置く。

 外見と書類の不一致は発生するものの、そこは個人差として押し切れると判断して。


 かくして、毎朝ヒダキは保護局へ護送されているわけだった。


「午後は買い物に行くから」

「買い物ですか?」


 午後の研修は取り止めとして、ヒダキの日用品を買いに行く。ヤヤから伝えられたその予定に、ヒダキは首を傾げた。着替えはある。食べるのは養育院の食事で済む。他に何かいるのだろうか。

 その時、信号が青になり急発進によって少女の身体はシートに押し付けられた。


「うぐぅっ……!」


 思わず飛び出した鳴き声をヤヤは一切気にかけない。楽しそうにミニバンを走らせる。


(もしかして午後は丸々コレ(・・)に付き合わされんのか……!?)


 ──残念なことに、その予感は当たることになる。





「ねえ、あなた──」


 午後いっぱいをヤヤ主催の着せ替えショッピングによって消化した後、夕方になって養育院に戻ったヒダキは自室の前で声をかけられた。


 疲れきった彼女が振り向けば、果たしてそこには可憐な少女が。

 元の姿はともかくとして、今の容姿に自信のあるヒダキでも思わず目を見張るほどの美少女がそこに居た。


 緩くウェーブのかかったブロンドヘアに、パッチリとした勝ち気な目。白い肌は陶磁器のようで、品の良い唇は自信ありげな笑みに歪んでいる。学校の制服に身を包み、お転婆お嬢様といった風情だ。年の頃は14~15くらいか。ヒダキの見た目より少しお姉さんな感がある。

 少女は例えるなら、猫に似ていた。血統書付きの、ふわふわした長毛種がヒダキの脳裡に浮かぶ。

 上品さと愛嬌を兼ね備えていながら、どことなく近寄りやすさを滲ませている。


(こんな子居たか?)


 この数日で見かけた覚えはない。この目立つ容姿なら、話をせずとも視界に収めただけで記憶に残ることだろう。

 誰だろうか。楚々とした笑みに警戒心を隠し、ヒダキは少女の方に身体の正面を向ける。


「今日からこちらで世話になるワカバよ! 名字は無いの、捨ててやったから。よろしくね!」


 まさかの後輩にヒダキの反応が数瞬遅れる。


 魔法少女の数は少ない。

 それは魔法への適性を持つ人間が元々少ないからであり、そもそもなりたがる少女自体が少ないからだ。

 だってそうだろう。ともすれば死んでしまうような職業に進んで就きたがる者はそう多くない。

 ましてや年若い乙女となればそれは皆無に近い。

 時間をかけて地位向上を図って、ようやく400足らず。しかしその中には、既に引退してしまっている者も含まれる。実働は300人にも満たない。それで日本全国をカバーしているのだ。


 ヒダキは、そんな希少な魔法少女の後輩が出来るとは思いもしなかった。それもわずか数日で。


「……ええ、はい。よろしくお願いします。ヒダキです」


 勢いに飲まれつつ無難な、味気ない答えを返すヒダキ。それでは面白くないなと、ほんの数日しか魔法少女歴が変わらないことを付け足した。


「あら、そうなの? 先輩かと思ったけどそれなら同期ね。仲良くしましょう!」


 ワカバは明るい笑みを浮かべる。

 また明日ね! そう言って彼女は自室に入って行った。


 その後ろ姿を見送ってからヒダキも自室に入る。手に提げていた紙袋を放り捨て、ベッドに身を投げ出した。

 着せ替え人形は楽ではない。ましてやヒダキは元々そんなこととは無縁の生活を送っていた身。疲労も一入(ひとしお)だった。





 翌日──。


 ヒダキはワカバとともに真山の執務室に呼び出されていた。






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