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5:バカと煙は


「午後九時、初任務の開始ね。仕事熱心なことだこと」


 皮肉の混じったヤヤの言葉を桧田木(ヒダキ)は無視した。


 ──6月14日。

 目覚めたは彼女はいくらかの説明をヤヤから受けた後、早速任務を受けることにした。魔法少女保護局としては一日二日空けてになると考えていたため、予想外のことである。

 これにはヤヤからさすがに無茶であるとの指摘を受けたが、そこは押し通した。

 善は急げ、思い立ったが吉日。果報を寝て待てないヒダキは、多少の無茶でも必要ならばと走り出す。


 なんせ、この世に生を受けてから二十数年。ようやくその無茶が出来るようになったのである。溜まっていた鬱憤は本人の予想を遥かに超えていた。




 ヒダキは五階建てのビル屋上で柵に腰掛け町を眺める。ヤヤはその背後に立つ。

 北関東の片田舎では四階建てすら珍しい。

 この町ではここより高いのは送電線の鉄塔くらいであった。

 病人着から替えたデニムに包まれた足を揺らし、日の落ちた町を眺める。


「何も起きない可能性が高いけれど、起きた時の備えなんてそんなものよ」


 ヤヤはそう言って緩い空気を纏っている。

 保護局もいきなり激戦区に叩き込んだりはしない。

 穏やかな場所で数度経験を積ませてから、そんな心積もりをする余裕くらいはあった。


「……別に不満なんてないですよ」

「それ、私にもやるの?」


 ヤヤは既に見てしまっている。ヒダキの本性は荒っぽい。さらにはその素性も知っている。

 今さら取り繕う必要があるのか。そんな疑問を抱いていた。


 胡乱げな視線を首筋に感じながら、ヒダキは夜風を楽しむ。

 必要はあった。彼女なりに。

 擬態と真山に評されたが、見破られないようにするためには徹底しなければいけない。ころころと人によって変えているようでは二流以下だ。


(内心までをも変えるつもりはねぇけど……)


 少なくとも外面は装い続けていく。それは既に決定事項であった。

 魔法少女(ヒダキ)の正体が桧田木幸次郎だとバレるのは避けねばならない。それはいくつかの事情と、何よりヒダキ自身の心情によるものだ。

 だからこそ、彼女は徹底するつもりだった。


「ヤヤさん、ダメですか?」

「ダメではないけど……」


 きぃ、と鉄柵が軋みをあげた。

 古く錆が浮かんだそれは、ヒダキの身体がわずかに傾いただけで苦鳴を発した。失礼なやつですね、と彼女は顔をしかめる。


「なんと言うか、落ち着かないのよ」

「慣れてください」


 にべもなく切り捨てられたヤヤは、大きく息を吐いた。




 午後十時を過ぎた。

 今回の任務は、この町での警戒だ。魔物やモクアミが現れた時に、他の魔法少女の救援に入ることになっている。


「まだ肌寒いですね」

「梅雨入りもまだだからね」


 ほんのりと空気は湿り気を帯び、これからの蒸し暑さを予見させるがまだまだ夜は気温が低い。

 これなら一枚羽織るものを用意しても良かったか。ヒダキは薄手のブラウスを擦り、そう愚痴た。



 そう簡単に魔物など出るわけがない。中々出ないから対応が面倒であり、出たら出たで厄介だから専門家が必要になる。

 モクアミは言わずもがなだ。魔物よりも数段厄介なこの怪物はさらに数が少ない。それもまた当然なことであったが。


「もう少し危ないところに行った方が良さそうじゃないですか?」

「下積みも大事よ」


 嗜める側のヤヤも飽きてはいる。新人の補助としてついている彼女は基本的にメッセンジャーだ。保護局とヒダキを繋ぐ役割である。

 今回のような場合、ほぼほぼ出番がないため脇で見ているだけになってしまう。つまり暇だ。


 しかしこの暇さを味わうことも重要だった。

 待機が出来ないようでは戦力として勘定するには不安がある。贅沢を言うなら警戒を怠らないように、最低限でも危機に反応出来るように。馴致訓練と一緒である。


「あ~、確認だけど。無貌だからって攻撃しないであげてね」

「勿論ですよ。お仲間ですから」


 そう答えて、ヒダキは柵を降りる。建物側に降りたから落ちる心配はない。



 魔法少女には段階がある。

 無貌と呼ばれるランク1は最も数が多く、かつ辞めていく者も多い。

 (しがらみ)が少なく、保護局も引き留めに力を入れない彼女らが仮に巻き込まれでもしたら。どうなるかは想像に難くない。魔法少女が一人減るだけだ。

 そんな無貌は字のごとく顔が無い。魔法少女に変身すると顔面に靄がかかり、外から視認することが出来なくなるのだ。このため、新人魔法少女による魔物との誤認が希に発生してしまっていた。


 ヤヤに注意を促されたが、ヒダキとて分かっている。顔無しの少女に危害を加えるつもりはない。守るべきだと感じている少女たちに害を為しては、本末転倒と言うものだ。




 午後十一時になり、晴れていた夜空に雲がかかり始めた。

 町はいっそう暗さを増していく。

 家々の明かりも消えつつあり、いよいよ寝静まってきた。


「来るわよ」


 ヤヤがぼそりと呟いた。

 気負いのない声は、退屈な夜の刺激を喜んですらいる。



 ──バチッ!



 車もろくに走っていない夜の町で、その音は大きく響いた。

 何かの弾けるような、例えば静電気を何万倍にもしたような音。稲妻の威容には届かない自然ならざる超常の音は、ヒダキたちの居るビルからそう遠くない空中が発生源だ。


 何もないはずの空間が歪む。それに合わせて数度瞬くようにバチバチと音がした。

 ジリジリと大気が震え、やがてのっそりと魔物が姿を現す。

 カーテンをまくるように空をめくり、一体の怪物が虚空から這い出した。


 虫に似ている。ワサワサと生えた沢山の足に、半透明の四対の羽根。長い触覚を二本生やした頭部はわずかな光を集め、てらてらと輝いている。

 気色の悪い生き物だ。

 それが家と同じくらいの体躯を誇っているのだから、人によっては見ただけで悪夢に魘されるのではなかろうか。


(あんなものと戦おうなど、魔法少女は肝の据わった連中だ)


 ヒダキの目に嫌悪感が滲む。

 蔑む視線が魔物に向けられ、同時に懐から変身端末(コンパクト)が取り出された。


「──()を焼こう」

「魔法少女、変身」




 夜を裂く火柱を直視したヤヤの視界は大変なことになっていた。

 新たな魔法少女、それもイレギュラーをよく観察しようとしていたことが仇となった。

 爆発的な白光に目を潰され、悶え苦しむ羽目に陥ったのだ。


 しばらく目をしばたたかせ、ようやく視界が戻り始めた頃には全てが終わった後であり、ヒダキは魔物を灰も残さず焼き払っていた。


「こんなことになるとは思っていなかったんです。すいません」


 涙をぼろぼろと流しているヤヤに、ヒダキから謝罪の言葉が発される。

 彼女もこれはさすがに予想外だった。

 一度目の変身とは、明らかに勝手が違う。


 ただ、それもそのはずで。

 魔法少女の変身は二度目からが本番だ。初回は身体に馴染んでいないために、魔力のロスが大きく不完全になるのが普通で、ヒダキもそのようになっていた。

 しかし今回は、初回変身時の肉体再構成とその後十時間以上睡眠したことによって魔力がしっかりと馴染んでおり、ヒダキのポテンシャルが余すところなく発揮されたのだ。

 その結果として太陽のごとき眩さの光柱が誕生し、哀れなヤヤは目を焼かれてしまった。



「これ、隠蔽とか大丈夫ですか?」


 ヒダキとしては目立ちたいわけではない。

 また、保護局としても魔法少女の戦闘を喧伝したいわけではない。少女を戦わせている点は揺るがない事実であり、そこに議論が向かうのを彼らは嫌がっている。

 両者の利害は一致していた。


「……だ、大丈夫。魔力光の視認は素質ない人には出来ないから。魔法少女候補が偶然、夜空の観察でもしていなければ目撃者はゼロよ」


 ふらつきながらヤヤが立ち上がる。視界が白く塗り潰された瞬間に、尻もちをついていたようだ。

 魔力光? 疑問はすぐに聞いて解消するべし。

 ヒダキはヤヤへそれが何かを問う。


「魔力は光を発しているのだけれど可視光とは波長が異なる……、と言うか普通は見えないのよ。視認が出来れば魔法少女の適性有りとなるわ」


 さらに続けて。


「先ほどの貴方が発した魔力光は膨大過ぎて、感覚制御が未発達な魔法少女なら気絶して朝までそのままよ。魔法少女候補なら見れると言ったけど、変身したことがないようなら多分夢か何かと思うんじゃないかしら」


 そう言いながら、ヤヤは通信端末を取り出した。

 ディスプレイには報告を求めるメッセージが表示されている。


「警戒は怠らないで。今の魔力が呼び水になって魔物が誘き寄せられるから」


 ヒダキへ指示を飛ばすと、ヤヤは端末で連絡をとり始める。

 その声を聞きながらヒダキは再び鉄柵に腰掛けた。


 雲は吹き飛び、月光が町を照らしている。

 そこに不穏な気配など無い。


(何が来ようと返り討ちにしてやる)


 少女は不敵に笑う。

 恐れるものなど何もないのだから──。





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