49:願いを叶えた者こそが勝者
エンデは震えた。
喉が貼りつき、背筋に冷たいものが流れるのを感じた彼女は、己れにそのような機能が備わっていないことを思い出し、さらに緊張感を高める。
知識は力だ。
知らぬからこそ人は恐れる。そして知ることで恐れを払う。
しかし、半端な知識は諸刃の剣と呼ぶのも烏滸がましいほどに持ち手を傷付けるものだ。
知っているが故に知らぬことを恐れてしまう。
賢者は恐れを遠ざけ、愚者は恐れを解さない。
人が恐怖から逃れることなど出来はしないのである。
それは魔法少女として頂点にも等しいエンデとて変わらないことである。
星の核は揺らぎ、生み出される魔力に陰りが訪れていた。
魔力が弱まっていく。
満ち満ちていた圧力が、ゆっくりとだが確実に薄れていく。
星の核は不可侵と言って差し支えない場所だ。"真なる魔法少女"でもなければ入り込むどころか、触れることさえ許されない。
この世で最も隔絶された、世界の中心にして世界から別離した場所。近くて遠い世界の果て。それが星の核だ。
時間改編とてそれは変わらず、これまでにエンデが行った全てで星の核は無事だった。まるで影響を受けることなく、何度も改編を越えてきたのだ。
「どうして……!?」
エンデの戸惑いは果てることなく。
気付けば、星との接続を経て無尽蔵と呼んでもよかった魔力が底を見せている。潤沢にあったはずの資源が失われ、無力な少女になりつつあった。
それをもたらした者は一人しかいない。
エンデは依然として変わらぬ様相を留めるヒダキを睨め付けて、さらには指を突きつけて叫ぶ。
「何をした!!!」
それこそが弱体化の確たる証であると理解しながら、エンデは叫ぶのを止められない。
「星の核を弄ったな! 魔物への備えをどうしてくれる!」
「──ふざけるな!!!」
怒りは更なる怒りでもって返された。
激昂するヒダキにエンデはわずかに怯む。
目を怒らせ、満面に朱を注ぎ、甚大な魔力を吐き出しながら光の化身は荒れ狂う。
何においても許しがたい全ての元凶の無責任な言葉に。
「これ以上ふざけたことを、言ってくれるなよ」
跳ね上げた感情を押さえ付けながらヒダキは告げるべき言葉を探した。今にも殺しかねない。そう自覚して、最短で伝える術を選ぶ。
結局、端的に話す他はないのだった。
大きく息を吐いて、それからヒダキは告げる。
「私の妹は解放させてもらう」
エンデは何のことだと叫んだ。
知らない。分からない。身に覚えがない。
どうにか責任を逃れようとするその言葉は、ヒダキの怒りに油を注ぐだけだ。
「……一度目の世界、人身供儀をもって星の核は目覚めさせられた。お前が来てすぐの話だ」
「何のこ──」
「──口を挟むな」
エンデが認識出来ない速度で、いや速さではなく早さになるか、ヒダキはエンデの口を塞いだ。握りしめるように手で押さえて、無理矢理黙らせた上で話を続ける。
「妹は星の核と一体になった。魔力を生み出して人々に力を与える偽りの神になって、世界を救った。それをお前になかったことにされた」
「二度目の世界では引き続き魔力を生み出した。目覚めのトリガーは妹が産まれること。覚醒は早まり、魔法少女が生まれるようになった」
「三度目の世界は私がトリガーだった。更に早まった覚醒は星の核とて悲鳴を上げる。苦しみは誰にも届かない」
「今ではもう覚醒も何もない。お前が来たのに合わせて動き始めた。"真なる魔法少女"に願いを託して」
「どの妹もここに居る。どんな死を迎えても、必ずここへ来るようになっている。存在そのものが星の核と紐付けられているからだ」
顔面を鷲掴みにしたヒダキの手をどうにか剥がし取り、エンデは何故そんなことが言えるのかと叫んだ。
ヒダキには知りようのない話を、エンデすら知らぬことをどうして知っているのかと。
苦し紛れの疑問にヒダキは鼻を鳴らす。
星の核と結び付いたからだと言う答えに、エンデはついに悲鳴を上げた。
理解を越える怪物に、執念のままに己れまで手を伸ばした化け物に。
それは繰り返した世界の話を知っているということであり、人に許された領分を踏み越える行いだ。エンデとてそんな真似をしようとは思わない。真っ当な道から外れる、まさに人の道を踏み外す所業。
魔法少女として強化された肉体と頭脳をもってしても堪えようのない苦痛に襲われるはず。情報を処理できずに廃人と化すのが当然の帰結である。
──だと言うのに、エンデの至近に立つこの魔法少女はどうしてヒトを保っていられるのか。
絶叫とともに振るった拳は容易く受け止められた。エンデは踠き、さらに叩こうとした左手まで掴み止められる。
腕は呆気なく外れた。
トンボの頭を捥ぐように、ポロリと肩から取れた腕にエンデはわずかに呻くのみ。
限界がやって来たのだ。
ルイーネの時間改編はティアドロップという魔法少女を無に帰すことを目的としている。当然、本体であるエンデにもそれは作用し、"ここに居なかった"ことにされようとしているのだ。
いくら星の核が外部からの干渉をはね除けるとしても、元々居なかった者を守ることなど出来はしない。
「あ」
「ああ……」
虚ろな声が響く。
エンデは涙を流してヒダキを見つめていた。
「こんな、こんな! こんな終わりは嫌だ!」
足掻く。足掻く。
薄れ行く己れを必死に繋ぎ止めて、エンデは叫ぶ。ただ思うままに。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ! 嫌だ! あいつはいいのに! あいつはいいのにどうして! 嫌だ! 消えたくない!」
崩れ去ることも、灰になるようなこともなく。
エンデは虚空に消えていく。
溶けるように、呑まれるように。
あいつが誰を指すのか、ヒダキはすぐに悟った。
ルイーネのことだ。
ルイーネが罰を受けないのは不公平だと、ならば己れも助けるべきだと、エンデはそんな論法を展開している。言葉の足らない叫びだけでヒダキはそこまで理解を進めて、あっさりと無視した。
エンデにそこまで気をやる義理などないからだ。
「嫌だ嫌だ嫌だ! 頼む! お願いだから! お願いだから! 嫌だ嫌だ嫌だ! 消えたくない! お願いだから! 消えたくない! 嫌だ! 消えたくない! 消えたくない!」
喉よ張り裂けよとばかりに叫び、最後まで踠いてエンデは消えた。
何も残さず、綺麗さっぱりと消え去った。
ヒダキはエンデの居た虚空をしばらく見つめ、それからゆっくりと動き出す。
あまり時間的な余裕はない。
星の核に居るから誤魔化せているが、ヒダキも既に存在しない人間となっているのだ。正しい時間の桧田木幸次郎へと統合されるのも時間の問題であり、それよりも先に最後の問題を片付ける必要があった。
星の核はヒダキの妹であった。
それを止めるとなれば代わりが要る。
星のごとき魔力生産能力はヒダキの自慢だ。それがこうもお誂え向きの場面が来るとは。
全ては今この時のため。そんな風に信じてしまいたくなりそうだった。
「────待たせたね、迎えに来たよ」
一つの呟きが虚空に消えて、魔力の火が燃え上がった。
雑踏の中。途方に暮れる者がいた。
彼女の名前はルイーネ。
かつて魔法少女であった、今はただの無力な少女である。
「嘘……。うそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそ────」
天を仰ぎ、呆然とする彼女を人々は遠巻きにしていた。見るからに怪しげな、おかしいとしか言い様のない格好に誰もが関わりたくなかった。
虚空を見つめてぶつぶつと何某かを呟く女は、有り体に言えば気が触れていた。
それでも巡回中の警官は声をかけねばならない。
剣呑な雰囲気を隠さずに近寄ってきた二人。それに反応し、ルイーネは金切り声をあげる。
思索に耽っていた邪魔をしたのだ。許しておけない。ルイーネはこれから力を取り戻さなければならないのだから。
そうしなければ生きていけない。
無力な己れがいかに危険な状態に置かれているかを正しく想像できるが故に、ルイーネはあらゆるものを恐れている。誰もが命を狙うに違いない。
そこで彼女はふと思う。この二人組も暗殺者なのではないかと。
そう思った瞬間、不安は肥大化し彼女の判断力を食い散らかす。
絶叫とともに殴りかかったルイーネは警察官に取り抑えられ、そのまま連行されていった。
その行方は杳として知れないが、どこかの病院で壁に話しかける女が居るという話があった。