47:因果のずれ、永劫の破綻
漆黒の騎士がザラリと風に溶けていく。
吹き散らされて消え行く魔力は雨に混じって大地へと流れていった。
さすがに仕込みは出来なかったのだろう。ルイーネに取り込まれることなく、雷災はそのまま消滅した。
それを見ていたルイーネの顔に浮かぶのは喜色であった。魔物の勝利など見たくなかったのだ。
倒そうとしていたはずの相手の勝利を喜ぶ彼女は、瓦礫を飛び越え泥濘の中に立つヒダキの元へと歩み寄ってくる。
「さすがは"真なる魔法少女"と言ったところでしょうか。いいえ、わたしではあれに勝てないでしょうから、あなた自身が恐るべき存在であるのは間違いないですね」
どこか他人事のような褒め言葉を並べてヒダキを挑発するルイーネ。本人に挑発のつもりはなく、純粋に褒め称えているのが彼女の悪いところだろう。
ヒダキはニコニコとしたルイーネの笑みを一瞥することもなく、焦げた手指の調子を確かめる。
炭化した部分は崩れてしまっていた。
「おやおや、やる気満々のようですね。やはり恐ろしい。魔力の消費も何時の間にやら回復しているようですし」
そこでヒダキはルイーネに視線を向けた。雷災を討ってから初めてのことだ。
その目に動揺はなく、しかし戦意もなかった。
「あら? どうかしましたか。ああいえ、怪我はされましたけど、その程度で気力を失う方ではないでしょうに」
ルイーネはくつくつと笑いながら言葉を重ねる。まるで劇の主役かのように、ルイーネは両手を広げて天を仰いだ。
「どうせその様子はブラフなのでしょう? 虎視眈々とわたしの隙を窺っているのでしょう? そうでなくてはこの旅の終着点に相応しくない!」
あなたとの決着をもって新たな世界への第一歩と致しましょう。
ルイーネはそう宣言する。望む未来へといよいよ近づいてきた実感が湧いて、彼女は興奮していた。
"真なる魔法少女"としてルイーネの影響を振り切ったヒダキとの正面きってのぶつかり合いは、ルイーネの分が悪かった。少なくともルイーネ自身はそのように分析しており、そのために魔物をぶつける判断をした。
だが今なら。魔物相手に消耗し、身体もボロボロとなった今のヒダキが相手なら。
ルイーネは確信していた。このチャンスを逃せば次はない、と。
「……二つ。見落としていることがある」
「何ですって?」
命乞いでも反発でもなく、指摘という反応にルイーネは戸惑った。
いっそ親切心の発露であるようなヒダキの声色がそれを助長したのもある。
「並行世界に逃れたとして。その世界にも魔物がやってこない保証はないだろう」
それはルイーネが既に通過した地点。
悩みに悩み、結論を出した話だ。
彼女の顔から笑みが消えた。
「ティアドロップが来なかったとしても、彼女以外が来る可能性はある。そうは考えなかったのか?」
「だから何です? ならばまた移れば済む話でしょう。一度出来たのならもう一度やれば良いだけのこと」
今さらの指摘にルイーネは少しがっかりしていた。
何か新たな気付きがあるかも、とわずかに期待を抱いていたからだ。それを裏切られたことで苛立ちすら覚えていた。
「そうか」
だが今のやり取りはヒダキにとってジャブだ。
本命のストレートはこれから打ち込まれる。
「それなら"真なる魔法少女"はもう生まれない」
ルイーネの表情が固まる。
何ですって。問う言葉を出せず、思わぬ沈黙が二人の間に落ちる。
「……何、ですって?」
落ち着いて発したはずの疑問も、動揺が拭いされていなかった。
「"真なる魔法少女"はもう生まれない。そう言ったんだ」
ヒダキはさらに言う。責任から逃れた先に待つのは破滅だけだと。
「ならあなたの言う責を果たせば破滅は免れるとでも!?」
気づけばルイーネは声を荒げていた。
先ほどとは種類の異なる興奮に突き動かされて言葉を紡ぐ。
「仮定ばかりでわたしが止まると思っているの!? 止まらないわ、わたしは進む! 新たな世界に辿り着いて平穏を手に入れて見せる!!!」
ルイーネの激昂にヒダキは眉一つ動かさない。
その落ち着きぶりは不自然なほどで、ルイーネもそれを見て少し冷静さを取り戻す。
雨が止み、爆発によって生じていた雲の隙間から光が差す。
「どうしようとあなたは救われない」
「並行世界に"真なる魔法少女"は生まれず、一人で戦う他になく」
「転々と移り住もうにも一度の移動が精一杯だ。魔力が足りずに、いずれ来る魔物の襲来に怯えて過ごすことになる」
「たとえこの世界に留まろうと、遠くない内に終焉が待ち構えている」
「あなたは破滅の前に立っているんだよ、ルイーネ」
そんなことはない。あり得ない。魔物から逃げきれる。魔法少女のいない世界に行ける。大丈夫。苦しむことはない。わたしはきちんと助かれる。
ルイーネはそう言いたかった。
どうにか反論をしたかった。
お前は間違っていると叫びたかった。
「ティアドロップが来た時点で未来は確定している」
「どうあろうと魔物は必ずやって来る」
「それを覆すことは出来ない」
「ティアドロップが来なかったとしても、いずれ必ず襲われるんだ」
並行世界にも種類がある。
世界としての優先順位が全く同列である無数の世界が乱立するものと、基幹となる世界から枝分かれした樹状の並行世界と。
ルイーネが意図的に目を逸らしていた部分になるが、この世界は基幹となる世界なのだ。
ルイーネやヒダキのいる世界がメインストリートであり、大本から離れすぎないように並行世界は展開されていく。
となれば、世界に影響を与えるイベントの共有も行われるものであるのだ。
そう説明された時に、ルイーネは一つの矛盾に思い至った。
大きなイベントが共有されるのであれば、魔物の他に共有されるべき出来事が存在している。
「──"真なる魔法少女"は生まれるはずだ!」
魔物への対抗策が共有されないはずがない。
と言うことは、ヒダキの語ったことは矛盾していて信じるに足りない。
ルイーネはやはり己れが正しかったのだと誇らしげですらあった。
「それが見落としなんだ」
ヒダキは無情にも切って捨てた。
大前提を見落としているから、ルイーネの結論は間違いなのだと嘆息さえした。
馬鹿にするでもなく呆れるでもなく、ただただ憐れんでいた。
「星の魔力。そちらが共有されるべき出来事なんだよ」
土地には魔力がある。そして"真なる魔法少女"は星そのものと紐付いている。
それはルイーネも知るところであり、だからこそそれを無視できない。
「魔法少女の出現は枝葉なんだ。大本があった上での結果であって、共有されるほどの重大事じゃない。星に魔力があれば自然とそうなるだけの成り行きだ」
だからどうしたとルイーネは口を挟めない。
何故なら彼女は知っている。
そんな大きな出来事が、ティアドロップの来訪と魔物の出現以降に発生していないことを。
ヒダキはまだ起きていない出来事を語っているのだ。
「因果が逆転し、生まれるはずの子が親よりも先に来てしまった」
それこそが世界の歪み。その正体。
人類の一部だけが一段先のステージへ上がったことによる負担の押し付け。それが起きてしまったのは、ヒダキの語った因果の逆転に因るものだった。
「なら……」
ルイーネの声は震えていた。
それまでの元気は消え、白い顔は青ざめるほどに血色を失っている。苛立ちと焦燥とが揺れ動く視線にありありと出ている。また、その呼吸は浅く早くなっていた。
理解しているからだ。ヒダキの話した真実を。
"真なる魔法少女"として長い年月を戦ってきたための、それまでに覚えていた違和感や疑念が解消されたことで、認める他なくなってしまったのだ。
「……ならあなたはどうしようと言うの!!!」
「逃げても無駄で! 来るのを止められなくて!」
「もうどうしようもないじゃない!」
ヒステリックな叫び。二進も三進も行かなくなった者の嘆き。
ヒダキはそれを正面から受け止める。
「多分私は──」
「──"それ"を正しに来たんだ」