44:変革の時
かつてルイーネはヒダキの妹を殺すことが出来なかった。それはヒダキが直感で言い当てた通りである。
最早、薄れに薄れて名前も思い出せなくなった■■■■■■の記憶が、ルイーネに躊躇わせてしまった。黒髪の少女を手にかける覚悟を崩した。
結局ルイーネは、ヒダキの妹をタイフーンに殺させたことで多くの後悔を抱える羽目となる。力を得られなかったこともそうだが、それ以上に記憶に背いてしまった嫌悪感罪悪感が彼女を責め苛んだ。
自身の妹の面影を重ねておきながらその命を奪ったことは、本格的にルイーネの精神を歪めていく。たとえその存在が忘却の彼方にあったとしても、ルイーネにとって■■■■■■は掛け替えのない家族であり、それだけ重いものであったのだ。
ルイーネはあるべき姿に帰ろうと言った。
彼女にとって、あの日から世界は壊れてしまっている。あるべき姿からは離れてしまっているのだ。それでも直そうと試みてきた。歪みを取り払おうと、■■■■■■と再び会おうと。
しかし諦めてしまったのだ。ヒダキの妹を殺させたことがきっかけで、ルイーネは諦念に支配された。
壊れた世界は直らない。
『だったら、壊れる前のあの日に帰ろう』
子ども染みた暴論だが、ルイーネにはそれが何よりも素晴らしく見えた。
壊れる前の世界に帰って、今の力で守り抜く。
矛盾を孕んだその理想をルイーネは信じることに決めてしまった。
確信してしまったのだ、もうこれしか道はない、と。
動きの止まったルイーネを観察しながら、ヒダキは魔力を高ぶらせていた。
溢れんばかりの魔力は変身が封じられていない証左である。こんこんと湧く泉から清水を汲み上げるように、ヒダキはガンガン魔力を膨らませていく。
大きな隙の生まれている今こそ、畳み掛けるべき時だ。
彼女とて思うところがないでもない。
人であること、元の身体に戻ること。それらは惜しい。叶わないのが無念でならない。
だが代われる者はいないのだ。
ヒダキがやり遂げなければならない。
それこそが彼女の責任だった。
"真なる魔法少女"へと至るまでに、ヒダキは三度の大魔法を要した。
一度目は日立の巨怪に。
二度目は雨災のレーゲンに。
そして三度目は、ヒカリとマイに。
"グロリアスバースト"。最初に使った大魔法は、極限の光熱を相手に打ち込む単純なものであった。青白い巨怪に撃ち下ろされた神罰にも似た光の塊は、不可逆的にヒダキの存在を変質させた。
二つ目の大魔法である"シャイニングブラスト"は光の翼を得る魔法だ。爆発的に噴射された魔力によって超音速での機動を可能とする。副次効果として翼が高圧高温であるために、触れたもの全てを蒸発させるのはレーゲンによって実証済みだ。
この超音速での機動に耐え得る肉体へと、更なる改変が為されている。
"ガイアリアクター"。
星に接続するという大仰な魔法が特別なものでないはずがなかった。これもまた大魔法の一つだ。
ヒダキの身体に起こっていた変調は、魔法の反動によるものだけではない。肉体の強化が急速に行われたからでもあったのだ。
魔力器官は爆発的に拡大し、ヒダキの肉体をついに人の領域から逸脱せしめた。
そして今。
完全なる変身によって、ヒダキは魔法少女として変革の時を迎える。
「──魔法少女、覚醒!!!」
膨れ上がった魔力が暴虐の光線へと変換される。目も眩む閃光が全てを塗り潰す。
地にありながら太陽に等しき輝きが放たれ、ダム湖一帯は極限の白に飲み込まれた。
そのあまりの光量からは、ルイーネと言えども身を守ることなど出来はしない。あっさりと呑まれ、苦痛に叫びを上げた。
ショックによって木々が枯死していくような純粋なエネルギーの塊だ。鳥は落ち、魚は浮かび、虫は転がった。ピクリとも動かなくなった。細胞が撃ち壊されてグズグズに崩れて死ぬ様は、とてもじゃないがまともな死に方と思えない。救いは一瞬で終わりを迎えたという一点のみだ。
細菌に至るまでが完全に死滅し、小河内ダム周辺は死の土地へと一変した。
目蓋を貫き、感覚器官を防護しようとした魔法をも打ち砕き、魔法ではないただの魔力光がルイーネの意識を蹂躙する。
叫んでいるのか呻いているのか。
手で顔を覆ったのかその場に蹲ったのか。
上はどちらで下はどちらで、今自分は立てているのだろうか。
混乱のただ中に叩き落とされるルイーネ。
感じたことのない痛みが彼女の全身を駆け巡り、感覚のオーバーフローに脳髄までがシェイクされる。
これが熱を伴う光であれば。
ルイーネにかかる負担は二種類に分担されて、二種類に分かれたことで出力の軽減したそれぞれへの対処は間に合っていただろう。だが光にのみ特化していたことで、ルイーネの用意していた防御魔法を押し流してしまったのである。
つまり、単純な強度不足。
たった一手の判断でルイーネは窮地に陥った。
ショックに悶えるルイーネをヒダキは離れた位置から見下ろす。それは慢心の表れではなく、警戒のなせるもの。
ショックで済むようなものではないのだ。蒸発していたとしてもおかしくない光線を浴びておいて、その場で蹲る程度のルイーネもまた超常の存在であった。
「……近づいたところに不意打ちでもするつもりか?」
ヒダキが言葉を投げ掛けると、ルイーネはふらつきながら立ち上がった。ボロボロの肉体が不自然に動いている。糸の切れたマリオネットのようだ。
その時、不自然な魔力の流れが生まれた。
どこか遠くから、ルイーネの身体に凄まじい勢いで魔力の塊が流れ込む。ヒダキは知らないことだが、それはもともと雹災のヘーゲルという魔物であった。スコーピオンによって倒されたそいつは、ルイーネのかけた保険としての役目を忠実に果たしたわけである。
保険が起動し効果を発揮した。外部から流入した魔力がルイーネの肉体を賦活し、遅ればせながらいくつかの魔法が発動される。
見る見る内にルイーネの身体が癒えていった。
爛れた皮膚が、焼かれた神経が、潰れた目が、崩れた細胞が。巻き戻るように復元されていく。
滑らかさを取り戻し、鋭敏さを取り戻し、開けた視界を取り戻し、生命力を取り戻した。
それは真実、巻き戻しである。
魔力の後押しによってルイーネの時間操作能力をブーストした結果だ。
自身の肉体という極めて限定的な範囲に収めたことで、奇跡とも呼ぶべき事象を引き起こしていた。
それでもまだショックが抜けきらないのか。
頭に手を当てたルイーネは、しかし不調を押して意地を見せる。獰猛な笑みを浮かべて胸を張った彼女は、ヒダキに言った。
「離れたところから不意打ちをしておいて勝ち誇るのかしら?」
用意していた策が破られた? それがどうした。そんなことは予測済みであり、備えは他にもある。
変身解除と魔力タンク。二つの手札を切ることになったが、まだまだ勝ちの目はあるものとルイーネは考えていた。
なるほど、ルイーネは攻め込むように仕向けられた。相手の誘いに乗った不利は承知。なればこそ、是が非でもここで仕留める。
罠に飛び込んだのと同じであるとしても、それを食い破ってしまえば問題などなかったも同然なのだ。
「──何の仕込みもなく、こんなところに姿を現すと本気で思いましたか?」




