42:懐古の時
マントが、ストーラが、溢れる魔力が粒子へと帰り、はらはらとほどけていく。
青空に吸い込まれるように消えていく光の粒はいっそ幻想的ですらあった。
ヒダキの姿が魔法少女のものでなくなり、ただの非力な少女のものへと変わる。変身は解かれ、余剰魔力がルイーネのコンパクトへと飲み込まれていく。
目を丸くしたヒダキに向けて、ルイーネは勝ち誇る。
「なんの対策もせずにここまでやって来る。そう信じていたのかしら?」
魔法少女の変身システムを握っているのはルイーネである。元はティアドロップに由来するものとは言え、いやだからこそ解析は念入りに行った。
そうして彼女は変身システムを掌握して、自在に変身のオンオフを切り替える機構を組み込んだ。
ヒダキは手にした変身端末を見る。
それはティアドロップから受け取ったオリジナル品。ルイーネのシステムに繋がったレプリカとは異なるものだ。
だがそんなことは関係ない。
システムの根幹は変わることなく使い続けられている。レプリカとオリジナルはほぼ同一のものなのだ。であれば、レプリカの解析からオリジナルへの干渉ルートを構築することは可能であった。
専用のカスタマイズこそ必要だったが、ヒダキの身体データは保護局にある。それを基にして作り上げたのが今回用いられた銀のコンパクトだった。
「あまり長くはもたないのが欠点ですが……。まあ、力なき小娘の息の根を止めることなど、蟻を踏むより容易いでしょうから」
問題ないですね。
パタン、とコンパクトが閉じられた。
それで終わり。
ヒダキの変身は封じられ、無力な少女が死を待つのみである。
その時、ルイーネは己れの感覚に疑問を覚えた。
ヒダキを取り巻く空気に、熱を感じたからだ。
あるはずのない力を知覚したのである。
その熱からは命の息吹を、すなわち魔力を感じ取れた。
「バカな……」
魔法少女の変身は確かに封じていた。
それはコンパクトの状態を見るに間違いなく、ヒダキの変身端末はただの化粧道具となっている。
魔力への干渉など出来ようもない状態であるはずなのだ。
「何故!?」
熾火のように弱々しかった魔力は、次第に燃え盛る炎のように。
ルイーネの知らないことが起きていた。
ヒダキの周囲の空気が歪み、魔力光が辺りを照らした。
その力は一歩一歩着実に強まっていき、小さな種火が今では眩い輝きを放っている。
「ルイーネ」
ヒダキは語りかけるように名を呼んだ。
その声は柔らかで、決して憎い相手に向けたものではない。
どうしてかルイーネは、こうして名を呼ばれたことが他の何よりも許しがたく思えた。
「とうに三度目は終えている」
「何ですって?」
「──この身は既に、"魔法少女"だ」
その一言で、ルイーネは理解した。
端末での変身は封じているが、自身の内から沸き上がる魔力での変身までは制限できない。コンパクトによる変身術式でなければ干渉出来ないからだ。
そしてその、制限ができていない方法で変身をする存在はただ一つだ。
"真なる魔法少女"、そこにヒダキは至っているのだということに。
「く」
ルイーネが俯いた。
「くっくっ……」
肩を震わせ、髪を揺らし、ルイーネの喉が鳴る。愉快だと告げるように。下らないと哀れむように。
「くはははは!!!」
ダムに響く大音声。
心底バカらしいとルイーネは笑っていた。
「お前、自分から捨てたのか! 元の身体に戻る道を! ただの人であることを望むふりして、結局力に溺れているじゃあないか!」
とんだお笑い草だとルイーネは吐き捨てた。
大きく息をして、呼吸を整えてから彼女は数メートル先のヒダキを見据える。
「ティアドロップに洗脳でもされたのかしら? 可哀想に。人柱と成り果ててまでわたしを止めろと、そう命令されているのでしょう?」
ルイーネはコンパクトを放り投げた。変身を妨害できない以上、これは無用の長物である。光を反射しながらダム湖の水面へと落ちていった。
時間の無駄でしたね。ルイーネはそう言った。
研究も開発もこのやり取りも。
全て時間の無駄だったと彼女は嘆息する。
「あなたが"真なる魔法少女"であるのなら。その命を奪いましょう。そうしなければわたしは望むものを得られないのですから。ほとほと残念でなりません。出来れば殺したくなどなかった」
「……そうやって自己弁護を重ねなければ生きていられないのか?」
む、とルイーネは口を閉じる。
その隙にヒダキは言った。
──あんたのそれは誰に向けた言葉なのだと。
ルイーネの顔が引きつった。
「さっきから疑問に思っていた」
「何だってあんたはこの話題に関してだけは、誤魔化すことこそあれどバカみたいに正面から向かい合っているんだ?」
「さっさと殺せば良いものを、まるで嫌がっているみたいじゃないか」
「では何故嫌がっているのか」
「それを考えた時、この見た目が鍵じゃないかと思ったんだ」
ルイーネは黙ったままだ。
「あんた、妹のことも殺せなかったから別の奴にやらせたんだろ」
◆
ルイーネがまだルイーネでなかった頃。
彼の名前は■■■■■と言った。
年の離れた妹がいる彼は苦学生で、バイトを掛け持ちしながら日々を過ごしていた。
妹の名前は■■■■■■。黒髪の綺麗な自慢の妹だった。
長期休みで実家に帰れば、寄ってきて話をせがむ。そんな可愛らしい■■■■■■は十で死んだ。
それが例えば病であれば、■■■■■も諦めがついたことだろう。だがそうではなかった。
訳の分からない怪物が現れて、実家のある町を散々に荒らした結果だった。
両親ともども無惨に食い殺された■■■■■■は、腕が一本とわずかな頭髪、それから少々の肉しか発見されていない。
残された兄は狂わんばかりに怒り、しかし狂えぬ己れに絶望した。
「主よ、なぜお救いになられなかったのです」
■■■■■は自らの手で■■■■■■を救うことに決めた。
魔法少女。そんなものがあると知ったのは、■■■■■が大学に復学してしばらく経ってからだ。
訳の分からない怪物は『アンクライファー』と名付けられ、各地で暴れまわっているそれに対抗する存在が研究されていると。
■■■■■の友人たちは一笑に付したが、彼は違った。本気で信じて軍に接触をしたのだ。
そうして■■■■■は軍による変身実験を受けることになった。
黒髪の魔法少女が生まれ、彼は死んだ。望み通りに力を得て。
「■■■■■■、そこにいたのか……」
血縁があるのだから当然だろうか。
彼が変身した魔法少女には■■■■■■の面影があった。
黒髪で華奢でそばかすがある、どこか朴訥な雰囲気の姿に、かつて■■■■■だった魔法少女は大いに喜んだ。
何度も変身を繰り返し、限界までその姿でいるようになった。
軍からは不気味がられ、友人たちは離れていく。
それでも構わず、■■■■■■の姿をこの世に留めようとした。
■■■■■だった魔法少女が、"真なる魔法少女"ルイーネとなったのはそれからそう遠くない時のことだ。
似ても似つかぬ姿となったルイーネは荒れ狂い、当たり散らかした。
元々の彼女の願いは、再び妹に会うことだったというのに。
それが歪みに歪んで、あの頃を思うがままにしたいと願うようになってしまった。
壊れてしまった彼女が、愛していた妹の名前を思い出すことはない。
妹がいた世界を守りたいと望んでいたはずなのに、その守り方を忘れてしまったのである。
愛したあの子と区別がつかない。




