40:焦れてきた足元を掬う一撃
「そうですか。ティアドロップは死にましたか」
合流を果たしたスコーピオンとカエデ。二人からどのような事が起きていたかを聞かされたヒダキは、言葉少なにそう呟くだけであった。
「お前もっとなんかねェのかよ。ほら、元凶はティアドロップじゃねェか! とかよ」
その反応の薄さが気に食わなかったのだろう。スコーピオンは、面白くなさそうに吐き捨てた。
自身がティアドロップの告白に驚いたのだから、より直接的な関係のあるヒダキが慌てふためく様を見たかったのである。それと興味のなさそうな口振りが癪だったということもある。
「まあ、二人を待つ間に考える時間はたっぷりありましたから」
「あ? んだよ、気付いていたってか?」
「いえ、さっぱり」
「ははーん、さてはお前おちょくってんだろ」
そのやり取りにカエデはようやく力が抜けたのか。ポロポロと涙をこぼし始めた。
「あ、おい! どうした!?」
別にどうもしていない。そう言いたかったが、カエデの口から出るのは嗚咽ばかりだ。
まさかティアドロップが死んでしまうとは。
想像だにしていなかったことが、やっとこさ現実感とともに飲み込めたのである。
当然ながらこの場にいる面々の中では、カエデが最も長くティアドロップと付き合いがあった。
話をしただけでなく、魔法のアドバイスを貰ったこともあった。彼女に肩を貸して移動を手伝ったし、食事を運んだりもした。冬の寒い夜にはストーブを焚いて一緒にスープを飲み、夏の暑い朝にはシャワーを浴びた。
ふり返れば多くの思い出を積み重ねている。
涙を流すカエデを、スコーピオンとヒダキは静かに見守った。
これは死者を悼む神聖な儀式だ。邪魔をするわけにはいかない。
部屋の隅に控えていたセイはいつの間にか姿を消していた。監視役としては0点の行いだが、彼女なりの敬意だろう。
泣きじゃくる嗚咽が部屋に響く。
それから暫くして、目元を赤く腫らしたカエデが顔を上げた。
「すまない。時間をとらせた」
落ち着いたようで、その声はすっかり元の調子を取り戻している。
「お前も泣いたりすんだな」
「人間だからな」
スコーピオンと軽口を叩きながらカエデがヒダキの方へ視線をやると、彼女はどこか眩しそうに目を細めている。だがカエデの視線に気付くとすぐにそれを止めて、代わりと言わんばかりに鼻を鳴らした。
何か誤魔化したようにも思えたが、カエデはとりあえずそれを脇に置く。
もっと触れるべき話題が目の前にあった。
「腕、だけじゃない。全身が傷んでる」
「あァ。魔力の方も無茶苦茶だ」
ヒダキの身体に起きている異変。
歴戦の魔法少女の目は偽れず、即座に看破された。ともすればティアドロップの死にも匹敵する重要事項である。
ここでヒダキが戦力から脱落するとなれば、いよいよもってルイーネに勝てる見込みが失くなってしまう。
そんなことを望んでいない二人は、ヒダキに身体の具合を問う。戦えるのか否か、を。
「無論、戦いますよ」
「あ? んだよそれ、大丈夫なのかよ」
ほんの一瞬の沈黙を挟み、ヒダキは首を横に振った。
大丈夫ではない。だが、大丈夫に出来る。
「どう言うことだよ」
「変身を使うのだろう。大抵の怪我はそれで治る」
カエデの言にスコーピオンはなるほどと頷くが、変身プロセスは既に活用済みである。ヒダキの身体は表面的に治癒した上で現在の状態にあるのだ。
ひび割れも魔力の不安定化も、ヒダキの"核"とでも言うべき部分が傷ついてしまったことによる。
「じゃあ大丈夫じゃねェだろ」
それを聞かされたスコーピオンは少し混乱した様子であった。
カエデもまた嘆息しつつ、無理は止せとヒダキに注意する。
「無理のし時は今でしょう。安心してください。ただで死ぬつもりはありませんから」
「死ぬのが前提だと安心出来ない」
「今のは言葉の綾ですよ」
平行線だ。
仲間への情を割り切って考えるのがベストだとは、カエデ自身が感じている。だが、ティアドロップを失ってすぐの今、そのように冷徹な判断を下せなかった。
言葉の綾だとヒダキは言った。
それがどうにも疑わしい。カエデがスコーピオンに目配せすると、似たような感想を抱いているのが分かった。
ただでは死なない。それは裏を返せば、リターンさえあれば命を投げ捨てると言うことである。
死ぬのを視野に入れた作戦をヒダキが練るか練らないかで言えば、彼女は練る側の人間だ。
これまでの身体を慮らない自爆上等な戦いを見ていて、カエデはそれを強く確信していた。
「まあ、とにかく心配要りませんよ。必ずルイーネに責任をとらせますから」
打ち切るように言いきったヒダキに、二人は何も返せなかった。
本人がそう言い張る以上はもうどうしようもないし、ヒダキの力は喉から手が出るほどに欲しいものだ。
渋々ながら、スコーピオンもカエデもこの件は飲み込むことにした。
◆
タイフーンの敗北から四日が過ぎた。
見つからない対象。進まない捜索。
唯一の手がかりに思えた山荘は眼前で焼き払われ、中から出てきたのは炭化した骨が二人分。
「絶対無事なはずなのよ」
カツカツと爪で机を叩き、ルイーネは思索にふける。
ヒカリは撃破され、タイフーンも死亡した。損害は大きい。
ただ、分かったこともあった。
タイフーンの供回りは帰還して情報を上げている。
ハイペリオンは山荘を訪れていないようだった。少なくとも、あの時点で合流はしていない。彼女がいたならば追っ手が迫ってなお、顔を出さない理由がないからだ。
「いえ、重傷だったなら……」
その考えをルイーネは自己否定する。
いくら重傷でも、そこいらの魔法少女相手であれば呼吸をするように倒せるはずだ。己れはそうであるし、同類になりつつあるハイペリオンもそうだろう。
どれだけ弱っていても羽虫に負けることなどない。根本的なつくりが違うのだから、ハイペリオンは姿を見せなかったのではなく見せられなかった。
即ち、その場に居なかったと見るべきなのだ。
「面倒ね」
という考えをこの数日繰り返している。
ルイーネはもう飽き飽きしていたのだが、それでも考えることを止められずにいた。
つい可能性を探ろうとしてしまい、得ている情報の少なさに苛立ちを覚える羽目になる。ずっとそんな調子だった。
カラクサを始末した時には上手いこと罠を仕掛けられたものだと自画自賛していたが、手元からはスルリと逃げられ残ったのは死体ばかり。
仕事の差配も魔物への対処も求められて、ルイーネの思い描いた未来とは程遠い時間を過ごすことになってしまった。
「あと少しなのよ」
願いが叶う手前までは来ている。
ピースは全てあるのだ。それをルイーネ自身で組み上げられれば、彼女はきっと救われる。
しかし、そのピースが勝手に動き回ってしまう。ルイーネの手から逃げ出すように暴れ、パズルを台無しにしようとしてくる。
苛立ち紛れに机を強く叩くも、空虚な音が響くだけだった。
その時、ルイーネの元に保護局の手駒から連絡が入った。
簡潔なそれは、奥多摩で怪しい動きがあるという報告だ。
近隣の目撃情報と、モクアミからの情報漏洩、それから不自然な魔力の変動を観測したこと。
以上の三点から、奥多摩湖周辺を緊急偵察対象にしようと保護局内部で議論されている。そのように報告がまとめられていた。
「奥多摩、ね……。よし、行きましょうか!」
即断即決。ルイーネは悩むことなく動き出した。
停滞した状況を打破するために。それから、机の前で苛立っているのに飽きてしまったために。
罠への長時間の張り込みではなく強襲をかける側に回ったこともあり、ルイーネはあっさりと自身の出陣を決めた。
「久々に身体を動かさないと鈍るからねー」
ひどく明るい笑顔で、彼女は自覚なしに命を踏みにじるのだ。
強者である自負と比肩する者のない傲慢を胸に。
──報告は確かに保護局内部からもたらされたものだ。内容に間違いもない。
だが、送り主がよろしくない。ティアドロップの息がかかった人物なのだ。
そう。これは、ヒダキたちの仕掛けた"罠"であった。