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4:君は今日から国の犬


「──そろそろ来る頃だと思っていたよ」


 さして広くない執務室で椅子に腰掛けたまま、ロマンスグレーの紳士が入室に反応して声をかけた。

 かけられた相手は少女と、それに付き添う形の女性だ。


 12~3歳ぐらいの少女はわずかに目を大きくした後、無言で用意されていた席に着いた。既に表情は元の能面のような無表情に戻っている。

 それに付き添っていたヤヤは戸惑いつつ、その脇に立つ。


(どういうこと?)


 ヤヤは困惑していた。

 待っていたような様子はなんなのか。知り合いのように声をかけた理由は? 来ることを予見していたのか、席が用意されていたことも理解が追い付かない。


 キィ、と紳士の椅子が鳴る。


「自己紹介は、必要かな?」


 深みのある渋い声だ。

 孫のような歳の少女を舐めることなく、眼光鋭く正面から見据えて老人は言った。問いの形をしているが確認であった。


「いいえ、お久しぶりですね」


 少女も平然と答えを返す。

 この姿で会うのは初めてだが、この老人のことは知っていた。


「お元気そうで何よりですよ、真山さん」

「いやいや、この歳になるとガタが来ていけないよ」


 一瞬の静寂。

 二人の間に火花が散ったようにヤヤは思った。そんなことは有り得ない。少女はともかく、上司である真山はただの老人である。だと言うのに、その身に刻まれた経験だけで魔法少女であるヤヤを圧倒していた。


 ほんの一瞬張り詰めていた空気はすぐに弛緩した。

 真山は柔らかな表情で、少女の無事を喜んだ。


「しかし10時間以上眠っていたのには困ってしまったよ。……ああ、警報はこちらで止めておいた。病室であんな真似はもうしないでおくれよ」

「それは、……ご迷惑をおかけしたみたいで」

「気にすることではないよ、桧田木くん(・・・・・)


 親しげな笑みの下で、真山は油断なく少女を観察する。ともすれば死にかねないだろうこれは挑発ではなく偵察だ。

 命を懸けて、真山は少女の危険性を推し量る。

 桧田木と呼ばれた少女は、驚くことも戸惑うこともなくにこやかにそれを受け止めた。


 知人であることが生命線となり得ないことは、とうに理解している。真山は警戒心を奥底に包み隠して鷹揚に振る舞って見せる。


「初めて見た時には驚いたがね。妹さんにそっくりじゃないか──」


 すとん、と無表情という表現すら生温いほどに桧田木の顔から情というものが消え去った。能面が優しさに満ちていると錯覚しかねない彼女の顔は、直視しがたい恐ろしさを宿している。


 ──冷えてなお、残り続ける怒りこそが恐ろしい。


 真山は知人の言葉を思い出していた。

 自身が無遠慮に地雷を踏みつけたのは理解していた。真山と桧田木は決して親しい間柄ではない。だと言うのに、一歩目で誤った。

 テーブルの下で握る拳に力が入る。今のは間違いなく真山の失態だ。


「こちらが下手(したて)に出てきたものだから調子に乗ったか、真山」


 少女の高い声ではドスなど効きようがなく……。

 可愛らしい印象は打ち消せていないというのに、真山は額にじんわりと汗をかく。

 室温が緩やかに上昇を始め、それを抑えようと冷房が勢いよく動き出す。


 真山は大人しく頭を下げた。

 妹の話題に触れたのは悪手だった。それを謝罪することなど彼にとってわけない。下げるべき時に頭を下げられる。それが彼の長所であったのだから。


 ヤヤはその光景を見て、今日何度目かの困惑に悩まされた。

 魔法少女保護局の北関東での長たる真山が、年端もいかない少女に頭を下げたのだ。もちろん、少女なのは見掛けだけであり中身は別だと知っているが、それでも驚きは隠せない。


「真山、甥っ子はあんたが立派な人間だと誇りに思っていたぞ」


 ここで初めて真山の顔が明確に歪んだ。

 痛いところを突かれたような、人質に突き付けられた銃口を見たかのような表情だった。

 ああ、きっとそれは真山の心の柔らかなところに突き立てられたナイフなのだ。


「……要求は?」


 まるでテロリストとの交渉だ。ヤヤはそう思ったが口には出さない。

 真山の声はかすかに震えていた。


「雇え」

「……何?」


 真山が聞き返す。

 ヤヤも何かの聞き間違いかと思った。二人の視線が桧田木へと向けられる。

 先ほどまでの張り詰めた空気がわずかに緩んだ。ふん、と桧田木が鼻を鳴らしてもう一度言った。


「私を雇え」

「それは、……構わないが」


 真山の視線には疑いの色が乗っている。それだけで良いはずがない。彼はそう言いたげだった。

 理由が分からないのだ。桧田木が自身を雇えと言い出したそのワケが。

 分からないのは恐ろしいことだと、身を以て学んできた真山はその裏を探ろうとする。彼の目が細められた。


 桧田木は再度鼻を鳴らして、悠然と足を組んだ。少女の堂々たる姿にヤヤは少し呆れてしまう。


「元の姿に戻してほしい」


 桧田木の要求は至極当然なものであった。

 彼女が言うにはこうだ。元の姿に戻すのに必要な費用を工面するために魔法少女として戦うこと。それから、戻せるようになるまで時間も掛かることだろうから、その間に功績を立てて要求を無視できないものにすること。更に、表向き真山の管理下に入ることで周囲からの干渉を減らしたいこと。

 それらがつらつらと並べられる。


「私の素性の調べはついているだろうから、この要求も予想できていただろう」


 桧田木はそう言って腕を組んだ。

 真山を睨むが、そこに先ほどまでの圧力はない。あるのは微笑ましさだけだ。


「……まあ、そうだな。変身端末であるコンパクトを回収した以上、変身ログは解析済みだ。残されたデータから、君と桧田木幸次郎は同一人物であるとされている。それに何より、会ってみて確信したよ」


 桧田木幸次郎と名指しされ、しかし桧田木は薄く笑うのみであった。

 お前は男だと指摘されているのに、少女はまるで揺らがない。


 やり返したはずが不発に終わり、真山は一瞬だけ顔をしかめた。

 すぐに平静を装い、桧田木へと視線を向け直す。


「元の姿に戻す。大いに結構」


「君を雇う。それもまた承諾しよう」


 一拍おいて、真山が問うた。


「だがそれは真意でないはずだ。なぜ、危険を冒して戦うことを決断した?」


 嘘や誤魔化しがあれば見抜いてみせよう。真山の視線にはそれだけの鋭さがあった。

 脇に立つヤヤも固唾を飲んで、二人のやり取りを見守る。


 しばらく黙り込んだ桧田木は、やがておもむろに口を開いた。


「機会を得て、何もせずにはいられなかった。それだけだ」


 桧田木の答えに、真山は血相を変えた。


「まさか、……まさか復讐か!?」


 少女はつまらんと言わんばかりに鼻を鳴らした。さらには頭まで振るう。


「あんたなら分かるんじゃないか、ヤヤさん」


 突然話をふられたヤヤは目を円くするが、おっかなびっくりそれに答える。浮かんだそれをそのまま言葉にする。

 無視できなかったんですよね、と。

 思わず丁寧な口振りとなったその答えに、桧田木は満足げに頷いた。

 分かったような分からないような微妙な表情を浮かべる真山に、少女は笑う。


「魔法少女だなんだと持ち上げられて女の子が頑張って戦ってるんだぞ。同じ目線に立てた今、私が頑張らなくてどうすんだよ」


 分からんな。真山がそう呟いた。

 彼は目元を押さえ、ゆっくりと首を横に振る。それは何かを堪えているかのようにも見えた。


「分からなくても構わねぇよ」


 乱暴な口調であるが、声色は先ほどまでよりもずっと優しい。

 桧田木は悟っているのだ。真山の呟きが苦し紛れであることを、その真意を。


 真山は渋い表情のまま、ヤヤに書類の束を渡した。

 仮の身元とその保証書。当面の住居やその手配に、契約書類や確認事項まで。この展開を読んでいたのか。あらかた必要なものが揃えられている。


 抜けがないかをヤヤが確認して、桧田木へ渡そうとすると最後の一枚に気がついた。

 ヤヤへの人事発令通知が紛れていた。内容は、新人のサポート。


「君に任せる」


 投げやりな真山の言に、しかしヤヤは腹を立てることなくそれを受領する。

 元々段取りはついていたのだろう。真山たちは桧田木を保護局の管理下に置くつもりだったのだ。

 そしてそれを明かして構わないと彼らは考えていた。



「それでは、お世話になりますね」


 ヒダキがすっと立ち上がる。


「……なんだ、擬態が上手じゃないか」

「ええ、皆さんこちらの方がお好きでしょうから」





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