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39:奥多摩に座す


「それって大丈夫なんスか?」


 永谷セイは好奇心に負けてしまい、ソファに座り込む魔法少女に質問をしてしまった。

 普段から魔法少女とはあまり関わることがない。その中でも特級の怪物を前にして、物怖じしない彼女の胆力は誉めるべきであろう。

 警戒心のない子犬のようだと仲間内でも評判の成人女性は、遠慮も何もなく、ずずいと近寄った。


 ソファに座り込んだ魔法少女は面食らった様子であった。セイのような手合いにはあまり慣れていないように見える。

 おかっぱの黒髪は艶めいているのに加えてゆらゆらと淡く輝きを放ち、大きく円らな瞳に困惑を乗せて魔法少女は問いに答えた。


「ええ、まあ。大丈夫ではないですかね?」


 魔法少女の名はヒダキと言った。



 ヒダキがこの奥多摩拠点にやって来たのは、ほんの数時間前のことである。

 近くの山林で行き倒れているのを、拠点に詰める警備担当の巡回で拾われた形だ。極端な魔力増大が拠点近くで感知されたための緊急巡回が功を奏した。

 アジト移動の経由地として候補に上がっていたのを覚えていたのだと言う。

 そうして運び込まれた魔法少女は、軽い食事をとってからソファに押し込まれていた。

 出歩くなと言い含められ、世話役兼監視役を付けられた彼女は奥多摩拠点の一室で大人しくしていた。



 世話役兼監視役である永谷セイだったが、ソファに座る少女がそれほど危険だとは思えなかった。

 セイより頭二つ分も小さな背丈に、細い手足はひ弱に見える。魔法少女であるのだからそんな見た目の話など関係ないと分かっているのだが、どうにも庇護欲が掻き立てられた。

 数時間を沈黙ともに過ごし、ついに決壊した好奇心は、留まることを知らずに言葉を紡ぐ。


「でも腕、傷だらけっスよ」


 腕だけではない。ヒダキの身体には無数の傷がついていた。白磁の肌には亀裂のようにひび割れが走り、指先はぼろぼろになっている。

 まるで内側からの圧力に耐えかねたかのような姿に、セイは心配そうな様子である。


「痛みはないですから」

「いや、痛みだけの問題に思えないっスけど」


 意外にも誤魔化されない。

 セイはその茶色の瞳を潤ませる。ヒダキが強がっているのだと彼女は誤解していた。


「いえ本当に大丈夫です」

「ホントっスか? マジのマジ?」

「ええ。本当に」

「……まあそう言うなら信じるっス」


 そこでセイは追及の手を緩めた。

 一応は納得をしたのである。彼女の目は未だに心配そうな色を湛えているのだが。




 ──セイの懸念は当たりである。

 ヒダキは強がりを見せているだけだった。

 彼女の身体は、特に両腕を中心に、筋組織が著しく損傷している。本来ならば指先一つ動かないどころか、絶え間ない激痛に襲われ続けることになるところを、魔法少女としての肉体活性と変身プロセスの応用である改変効果で誤魔化しているだけであった。

 皮膚のひび割れはその無理な運用の代償である。


 "ガイアリアクター"。

 ヒカリたちを相手にヒダキが行使した魔法は、炎を振り撒かず周囲を焼かない静かなものだ。

 ただ、魔力を大地から吸い上げてヒダキの身体を極端に強化する。ごく短時間ながら、星にも匹敵する魔力の塊となって敵を打ち砕くのだ。

 反動によって自壊した肉体を膨大な魔力で継ぎ接ぎにした結果が、今のヒダキである。

 そう、彼女は壊れかけなのだった。




 ヒダキは左側に立つセイから見えないように、右手を身体の陰にそっと隠す。その手は薬指だけが痙攣している。反り返ってしまった指をソファにこっそりと押し付けて元に戻そうとした。


 その明らかな異常をセイは見逃していなかったが、敢えて追及はしなかった。

 子犬のような彼女は、その振る舞いに反してそれなりに思慮が働く。


(今は彼女に頼るしかないのも事実っスからね)


 誰に向けるでもない呟きを胸にしまって。

 そ知らぬ顔でセイはヒダキへと話しかける。


「こっからどうするんスか?」


 奥多摩拠点に居る数少ない幹部級は大わらわだ。

 それは対ルイーネにおいて特別の戦力であるヒダキがやって来たことに加えて、彼女が奥多摩に居ることで戦場となる未来が間近に迫っていることもあった。

 府中での戦闘は既に誰もが知るところにある。

 それが今度は自分達の拠点で、更なる規模で巻き起こる可能性が出てきたとなると、騒ぎになるのは当然だった。


 今頃、探知も忘れて連絡をとりまくっているのだろうな。そう思うと、セイは自分が世話役に任じられたことを幸運に感じられた。

 喧騒から離れて落ち着いた時間を過ごせているのは、まず間違いなく台風の目であるヒダキの側に居るからだ。


「これから、ですか……」


 ヒダキは答えを言い淀む。


「あ、言えないんなら言わなくて良いスから」

「そんなことはありませんよ。とりあえずは、合流ですかね」


「合流、スか。その後はどうするんスか? また戦うとか?」


 つい、だ。つい口から飛び出した。

 セイは言った瞬間に後悔した。この言い方では咎めるようではないか。


「そうですね。また、性懲りもなく戦うのでしょう」


 突き放すようなヒダキの物言いに、セイの顔が歪む。胸の奥がきゅっと絞められたような感じがした。


「憎しみの連鎖を絶つ。それは大切なことですけど。でも誰かが、責任を問わなければならないのです」


 自らを賭けて。

 ヒダキはそう言った。


「それが……。それが貴女なんスか? 別に他の誰だって──」

「誰だって出来るのなら私がやりましょう」


 気付けばセイは見入っていた。透徹とした無間の虚空に、何も写し返さぬ漆黒の瞳に。


「恐らくこれは、他の誰にも出来ません。ですが、誰かに出来たとしても譲るつもりはありませんよ。私が、私の意志で、ルイーネに責任をとらせるのです」

「責任を……」


 罰を与える、であればセイはまだ納得が出来た。

 裁くでも、悪を討つでもいい。そうした言い回しであれば、セイは確かにと頷けた。


 だが、"責任をとらせる"とは。


 それが出来ないから、あの女は好き放題に出来ているのではないか。

 疑問を直球で投げ返すと、ヒダキの口元がわずかに嬉しそうに綻んだ。


「そうですね。ですがまだ間に合います。未来を描き直すのには遅くない」

「未来?」

「歪みを正すのは、気付いた時で良いのですよ」

「……どういうことっスか?」


 ヒダキは黙して語らない。

 セイはその深淵のような瞳から目を逸らした。呑み込まれるどころではない。

 取り込まれる。

 そんな危機感を抱いたのだった。


 それからの時間は重々しい沈黙に満ちていた。

 息苦しさすら感じる静けさに、何度もセイは話しかけようとする。だが出来なかった。

 どうしても会話が、それ以上にヒダキの瞳が、脳裏を過るのだ。

 そして躊躇われている内に、時間ばかりが流れていく。


 世話役に任じられたことを喜ばしく思えていたのが遠い過去のようだ。


 じりじりと進む時に、どうしてか焦りすら感じた。何度も腕時計を確認するが、一時間どころか十分と経たない。そんなことの繰り返しだ。



 だから、その連絡を受けた時にセイは天の助けとも思った。


「ぁ、あの……っ!」


 振り絞った声は頼りなく。先ほどまでの元気はどうしたのかとセイ自身が驚いてしまう。


 それでもヒダキに届いたようで、彼女が顔を上げたのを見て、セイは今しがた受けた連絡を伝える。


「到着されたらしいっス! スコーピオンさんとカエデさんが!」






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