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38:命空々

当て字です



 スコーピオンが山荘に辿り着いた時には、戦闘の音は途絶えて周囲に静寂が満ちていた。

 折れた枝葉が散乱し、地面は抉れて掘り起こされて、戦いの痕跡が至るところに見られる。山荘の外壁や屋根にも損傷があった。

 その痕跡が物語る戦闘の激しさと、現在の静けさのコントラストがスコーピオンに最悪の事態を思い描かせる。


「おい!」


 二階の窓が割れてしまっている山荘に言葉を投げ掛けると、やや遅れて反応があった。カエデが返事をしたのだ。

 建物の中で人の動く気配があり、死んではいないようだとスコーピオンは安堵のため息を吐く。


 山荘の中は綺麗なもので、外で食い止めた事が窺えた。逃げ込むのが間に合ったようである。

 靴を脱ぐのも惜しんでズカズカと踏み入ったスコーピオンは、今に固まる三人を見つけた。

 カエデとティアドロップ、それからそのお付きである。

 三人はキッチンを背にしていた。

 襲撃の方向を限定する策だと思われる。その様子を見るに、結構危ない状況であったのかもしれない。


 強張った表情を緩めて、カエデはスコーピオンに言った。無事だったのか、と。


「ハッ! 誰に言ってんだよ」


 心配の言葉を笑い飛ばし、スコーピオンは逆に問う。


「で、容態は?」


 その場の全員が一斉に視線を向ける。その先にはティアドロップが居た。

 肩で息をしている彼女は、誰が見ても尋常な状態ではない。包帯にも汗が染みのように浮き、体が熱を持っている。


「ご無理が祟ったようで、……限界が近いのです」


 そう答えると、ティアドロップのお付きである女性は目線を逸らした。

 そこでスコーピオンは彼女の紹介をされていないことに思い至ったが、今ここでする話ではないとあっさり投げ捨てた。

 どうせ短い付き合いになる。そんな予感があった。




 ティアドロップが倒れれば、ルイーネに反抗する力はほとんど失われてしまう。外様のスコーピオンは居場所をなくし、哀れ路頭に迷うのだ。

 そうなれば後はあちらの思うがまま。生かすも殺すもルイーネの気分次第である。


 苦痛に顔を歪めるティアドロップをソファに寝かし、スコーピオンはカエデと視線を交わす。

 戸惑いを隠しもしないカエデは、雨に打たれる子犬のように見えた。

 頼りにならぬと見切りをつけて、スコーピオンは頭を悩ませる。斯様な頭脳労働は彼女の領分になく、それこそ死んでしまったカラクサ辺りに求めていた役割だが、事ここに至っては適性云々で駄々を捏ねるわけにもいくまいて。


 スコーピオンは必死に考える。

 何を確認するべきか。

 車の状態。次の拠点。そこまでの道のりと時間。食料。備品。薬。

 懸念事項は?

 追っ手。ティアドロップの状態。各々の疲労。分散した仲間たち。次の拠点の用意。


 果たして、ティアドロップを動かせるのか。


「ああ、クソっ!」


 スコーピオンは苛立ち紛れに頭をかきむしる。

 考えるべきことは多くあれど、どこから手をつけて良いものか。

 そもそも既に手遅れのように思えた。


 どうにもならない焦燥感に胸を焼かれる。

 先の見えないトンネルを走っているようだった。終わりがあると信じきれず、投げ出してしまいたくなる。



 もぞり。とソファで動きがあった。

 ティアドロップが意識を取り戻したのだ。

 カエデの表情がパッと明るくなる。


 ティアドロップの額の汗を、お付きの女性が拭う。甲斐甲斐しく世話を焼く彼女の顔色を見るに、あまり芳しくないようだ。


「スコーピオン、無事、……でしたか」

「お前と違ってな……」


 皮肉げな言葉を返すものの歯切れが悪い。


「……すべきこと、を、伝えます」


 咳き込みながら、ティアドロップは語る。

 その痛々しい様にカエデが止めに入ろうとするが、お付きの女性に阻止される。

 もはや長くはない。急変してしまった容態を考えれば、これが最期の言葉になりかねないのだ。

 であれば、思い残すことのないように全てを語らせるべきだろう。




 ルイーネにはしてやられたが、まだ逆転の目は残されている。それは、ハイペリオンとの合流。

 追っ手の様子から考えるに、こちらが別行動となっていることをまだルイーネは知らないようだった。今回の襲撃で気取られただろうが、先んじて合流できればそれは問題にならない。

 ルイーネは必ずハイペリオンの前に現れる。自ら手にかけなければ、力を奪い去ることが叶わないからだ。であれば、そこに罠を張る。


 元々の予定では『魔女の閨』に乗り込むつもりであったが、反対にルイーネから来てもらうのだ。


 ハイペリオンは奥多摩に居る。

 これは彼女を回収して潜伏している同胞からの通信で分かっていることだ。スコーピオンが囮になった直後、緊急連絡によって伝えられた。

 保護局の目は富士に向いている。網をすり抜けて奥多摩まで行けば、罠を張る猶予も確保できるはずだ。




 時間をかけて紡がれたティアドロップの言葉は、三者三様の反応をもたらした。

 スコーピオンは納得を見せる。深く頷き、それに同意をしているようだ。

 カエデは狼狽えた。どこか他人事のようなティアドロップを見て、この話の結論を察してしまったからだ。否定も肯定も出来ずに固まってしまった。

 お付きは静観している。一言も発さずに、ただ主の身体を労るばかりだ。


「わたし……は、おいて、いきなさい」


 ティアドロップは車での移動に堪えられない。

 同行すれば最期、奥多摩に辿り着くよりも先に黄泉へと向かうことになる。

 移動に速さを求められる現状、彼女がここで脱落するのは当然の話だ。だが、この山荘に再びの襲撃がないとは限らない。いや、高確率で追っ手はまた来るであろう。

 その時には、同行しようとしまいと、ティアドロップは終わりを迎えるのだ。


 カエデが直視に堪えぬと、ティアドロップから視線を外した。心苦しさでいっぱいなのだろう。それでも反論を出さないあたり、彼女も理解はしているようだ。

 どちらを選んでも死を避けられないことを。

 命の有効活用を。

 ティアドロップが少しでも責任を果たそうとしているというのに、カエデには邪魔することなど出来なかった。


「私が残りますので、お二人はすぐご移動を」


 お付きの女性に促され、別れの挨拶もそこそこに二人は車へと向かう。

 乗ってきたバンは無事であったが、さすがにガソリンが心もとない。備蓄分を補給してから走ることとした。


「ひでェ面してんな、お前」

「お前こそ何故、平気そうなんだ」


 泣きそうなカエデ。スコーピオンは頭を振るってから言った。


 ──別れなんざ腐るほど経験させられてっからな。


 その一言に、カエデの顔はくしゃくしゃに歪む。

 そうだった。スコーピオンは保護局とモクアミの両方に顔が利く。敵対する組織でそれだけ多くの知り合いを作ったということは、多くの仲間を失ってきたことに他ならない。

 時には知人友人同士で殺し合うことすらあっただろう。そんな彼女の心境を思えば、ティアドロップのこれはある程度想像が出来た分、軽いものであるかもしれない。


「ほら行くぞ。運転しろ」

「……免許くらい取れ」

「考えとくわ」







 ◆






 二人が乗ったバンの走り去る音を聞きながら。

 山荘に残ったティアドロップは、同じく残ったもう一人に声をかける。


「ヨシミは、何故、残ったのです……」


 お付きの女性であるヨシミは仄かに苦笑して答える。

 最期になって離れるようでは、お付き失格にございましょう、と。


「参り、ましたね……」

「それに私が用意した方がよろしいものと思いますよ」


 ヨシミはティアドロップが最期に仕掛ける計画を見抜いていた。

 山荘を囮にするとして、何もしないでおくのは勿体ない。

 痛手を与えるために罠をかけるのは、何度やっても無駄ではない。



 それからヨシミは、山荘の至るところにガソリンを撒いた。元々このような用途に使うための備蓄なのだ。山荘自体にも証拠隠滅に備えた仕掛けが施されている。ガソリンを行き渡らせる溝が各所に彫られているのだ。


 三十分もかからずに、ヨシミは工作を終えてティアドロップの元へ戻った。


 発火装置も用意してある。全て居間から操作可能だ。

 魔法少女たちは魔法的な仕掛けであれば容易く看破して見せるが、どうも物理的な仕掛けには疎いようである。

 漂う異臭に警戒心を抱いて、山荘に踏み込まずにいられるか。ヨシミの見立てでは五分、あるいは突入する方が優勢だ。ガソリンを嗅ぎ慣れない少女なら、魔法を頼りに踏み入ってくるだろう。

 だが、それなり程度の技量であればたとえ魔法少女と言えども炎上する建物からは逃げ出すので精一杯となるはずだ。丸焼けとはならずともパニックには陥る確信があった。


 慌てふためく無様を想像するだけで、ヨシミは笑いが止まらなかった。


「ふふ。楽しみですね、ティアドロップ様」


 引っ張り出してきたスツールに腰掛けて、敬愛する主の側に侍る。


 最期まで主に付いているのは己れただ一人。

 揮発したガソリンと濁った自己愛とでヨシミの頭はクラクラとした。

 苦悶の表情を浮かべる主の寝顔から汗を拭き取り、彼女はいつの間にか暗くなってしまっていた外を眺める。


 ──窓から射す月光はか細く、今にも途切れてしまいそうだった。







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