37:魔法少女スコーピオンの悪辣
木々の間を縫うように通された道路。魔物が現れる以前に舗装され、人々の生存圏が押し下げられた後には放置されるだけだったそれを、一台のバンがかなりの速度で飛ばしていた。
ひび割れだらけで草が生い茂った道路は、もはや獣道と大差がなく。
凄まじい揺れに乗員は舌を噛みそうになっていた。
「こ、こんなに揺れてっ、ティアドロップは大丈夫なのかよ!」
「ベルトでっ! 固定されている!」
サスペンションがいかれるのではと心配になる振動だ。
例え固定されていようと無事では済まないが、言い出した手前ティアドロップは無言で堪え忍んでいた。
一行が乗るバンは相模の県境を越えて、甲斐へと入っていた。
既に富士の樹海の中であり、空からの監視の目は途切れている。
カエデは、富士の拠点まで最短ルートとは異なるものを選んでいた。悪路であるが曲がりくねり分岐も多い経路だ。覆い被さるように森が侵食していることもあり、彼女の狙い通りに事が運んでいた。
ガタン、と一際大きく揺れた後。ようやく振動が一段落した。ザリザリと砂利を踏む音がうるさいが、山荘近くの山道に出たようだ。
速度が少し落とされ、安定した走行へと変わる。
「……ふぅー、ここまで来れば一安心か」
「まだ気を抜くには早い」
「そう言うお前もスピード緩めてんじゃねェか」
「これは車の負担を考えてのこと」
軽口を叩けるだけの余裕が出てきた。
速度を落としたのは車の負担もあるが、ティアドロップの体調を考えてのことでもある。
スコーピオンが後部座席に目をやれば、ティアドロップは苦痛に滲む汗を拭いてもらっていた。
「さすがにキチぃか」
「無理をさせて申し訳ないです」
「……気に、しないでほしい、ですね……」
強がりを口にするが、ティアドロップの脂汗は止まらない。息も絶え絶えだ。
これは早いところ腰を落ち着ける必要がある。
カエデとスコーピオンの意見が一致し、山荘へ向けて再びペースを上げる。
幸い、ここから先は潜伏中に整備がなされているためひどい揺れからは解放されるはずだ。
その時、ゴオッと突風が吹いた。
不自然な風だ。
森の木々に遮られることなく、満遍なく枝葉を震わせたそれは、間違いなく魔法的なものであった。
車に乗る誰もが気づいた。
追っ手である。
「今のは!」
「こんな無茶苦茶しやがるのは一人しかいねェよ!」
魔法の風を流すことで森の中を探査したのだろう。何をしたか察しがついても、実際にやろうとする神経には理解が及ばない。
森の一部に限ったとしても処理を要する情報は無尽蔵だ。たとえ魔法少女であったとしても、その膨大さに脳がパンクしてしまう。
だが、現にそれが実行されている。
「余裕がねェなァ。タイフーンっ!」
こんなことが出来るのはただ一人しかいない。
しかしその無理な魔法の行使は、タイフーンに余裕がないことの表れでもある。
もう山荘は近い。
ここから更なる逃避行に移るにはティアドロップが限界であり、かといって籠城などはもっての他だ。
スコーピオンは自身のとれる択の中で、最もタイフーンを引き付けられそうなものを選び取る。
「あれはここで抑える。後は頼んだ、カエデ!」
「はぁ!? いきなり何を言って──」
スコーピオンは変身しながらバンの助手席を開けて、勢いよく飛び出した。
思わず減速しそうになる車だが、カエデは直前の言葉に従ってアクセルを踏み込みその場から一目散に逃走する。
スコーピオンは賭けに出た。
タイフーンが山荘まで探知していなければ、バンの行方を眩ませられる可能性がある。
しかしそれは、スコーピオンが二つの条件をクリアしなければ訪れることのない未来の話だ。
(タイフーンをこの場に釘付けにして、バンを探す気になれないくらいに叩きのめす)
出来るか出来ないかではなく、それをしなければティアドロップは死ぬのだ。
全ての元凶であり、スコーピオンとしてもお前が悪いと言わざるを得ない女だが、それでも多少は情が湧いていた。
何より、あの女は過ちを正そうという心を捨てていない。
半死体となりながらも戦う意思を宿している。
それだけで、スコーピオンは見捨てられなかった。
きちんと責任を取る姿を見たいと思ってしまっていた。
そのために手助けしてやろうと思わされる、それもまた一種のカリスマなのだろうか。
「まァ、お前をぶちのめせば当座は解決だ」
スコーピオンの呟きに呼応するように、茂みの向こうから軍服姿の魔法少女が姿を現す。
魔法少女タイフーン。
怪我はすっかり癒えたようで、欠損していた足すら再生されている。
以前と変わらぬガスマスクの少女はその冷たい眼光に怒りを乗せて、刺すような視線を向けながらスコーピオンに言った。
「ハイペリオン。どこ?」
前回煮え湯を飲まされる羽目になった相手を探す一言に、スコーピオンは鼻で笑う。よほど怖かったみてェだな、と。
同時にスコーピオンは、まずいことになったとも気が付いた。
タイフーンは単身で動いている。
既に一度失敗している身でありながらだ。
同じ条件でも再び敗れることはないとルイーネが過信しているだけならば良い。そうであれば隙をつくだけの話であるのだから。しかしルイーネがそのような過信をするのだろうか。スコーピオンにはそう思えなかった。
それはつまり、前回と同一の条件ではないとルイーネが判断しているということである。ハイペリオンとスコーピオンたちが合流していないとどこかで感づかれたか。あるいは、別ルートの追っ手がバンの方へ向かっているか。
どちらもあり得そうな話である。
もし仮に、追っ手がティアドロップの方にも付いていたら。そんな考えをスコーピオンは頭を振るって追い出した。
心配ならばさっさと目の前の脅威に対処するべきだ。
スコーピオンは針のような短剣を構える。
真っ向からの勝負では勝ち目が薄い。そんなことは承知の上で、彼女は敢えて正面からの突撃を選択した。
バトルドレスを翻し、身軽な動きで迫るスコーピオンにタイフーンは怪訝そうな表情を浮かべる。
余りにも隙だらけな正面突破に面食らったのだ。
「馬鹿」
風が吹き荒び、タイフーンの身体が軽々と持ち上がる。ふわりと樹上に飛び乗ると、彼女は魔力を一気に練り上げた。
「吹き飛べ。エアロスマッシャー」
圧縮された空気塊が大地に叩きつけられる。
解き放たれた風が木々を大きく揺らし、地面をまくり上げる。
スコーピオンが吹き飛ぶ。それを見て、タイフーンはただ無策なだけだったのかとわずかな落胆を覚えた。
手早く殺してしまおうと、"戦闘"から"処理"へと心のスイッチが切り替わる。
倒れ伏したスコーピオンの元へ無造作に飛び降りるタイフーン。
そこに警戒など微塵もない。あるのは己れの力への信頼と自負のみ。
もしもの話だが、この倒れているのがハイペリオンであったならば。タイフーンとてさすがに警戒をしたことだろう。自身に痛手を負わせた魔法少女がこうも容易く倒れるとは信じがたいことであるのだから。
スコーピオンが一度目の対峙で記憶に深く刻み込まれる活躍を見せていても、やはりタイフーンは警戒していたことだろう。
そして、先ほどに真正面から突っ込んでいかなければタイフーンは警戒をとかなかったことだろう。スコーピオンのことを力だよりの猪武者だと判断したが故の振る舞いなのである。
即ち、スコーピオンの計算勝ちである。
銀光が煌めいた瞬間、顔の前に左手を割り込ませることしかタイフーンには叶わなかった。
彼女の左前腕に針が突き立っている。
その出所はスコーピオンの右手に握られた棒だ。針のような短剣は、その剣身を射出することが可能であった。
機構としては単純だ。柄内部で生成した毒を揮発させ、加圧させた空気によって剣身部を発射する。
「こんなもの……っ!」
構わず攻撃に移ろうとしたタイフーンは、スコーピオンの暗い笑みにようやく己れの危機を悟る。
思わず一歩後退りした彼女は、そこで足をもつれさせた。よろめき、力が入らず踏ん張りが利かずにその場に尻餅をつく。
突き立てられた針に何も細工がされていないはずがなく……。
タイフーンの身体は既に毒によって汚染されていた。
「あぇ……?」
立とうにも力が入らず、タイフーンはその場に倒れこんでしまう。
奪われた平衡感覚。視界は揺らぎ、明滅を始めている。発汗が止まらず、喘鳴が森に響く。
全身が熱く、背筋は寒く。痛覚は信号としての役目を成さずに好き放題にがなりたてるばかりだ。
がくがくと痙攣しながら、タイフーンは虚ろな視線を虚空に彷徨わせる。
スコーピオンが砂埃をはたきながら立ち上がった。
こんなに上手くいくとは思わなかった。
そう呟いた後、タイフーンを見下ろして言った。
「そりゃアタシの力で勝つのも好きだが、お前みたいなのを騙くらかして勝つのも同じくらい好きなんだぜ」
その言葉は、とうに届かなくなっていた。