36:御殿場から鳴沢村へ
スコーピオンの怪我が回復するまでには三日を要した。
動くこと自体は拠点に到着した時点でも可能であったが、戦闘となると話は別だ。彼女が動き回るスタイルであることもあって、とてもじゃないが無理な状態であった。
各部の火傷に、手足の骨折。打撲と筋肉の断裂もあった。
それらをたった三日で戦えるところまで回復したのは、さすがは魔法少女といったところだろう。そんなことを誉められても、スコーピオンは欠片も喜ばないだろうが。
カラクサが死んでから四日目。
拠点の移動が提案された。
スコーピオンの回復を待った形である。
もともと仮の拠点であり、移動は予定に含まれていた。作戦行動に失敗したこともあり、追撃への備えとしても拠点の移動は必要なことである。
数日空いたからとは言え、保護局は組織である。
そのマンパワーは侮れない。むしろ、ここからが正念場と言っても良い。
「だったらよ、さっさと行けば良かったのにな」
「回復待ちだった。あんたのせい」
バンに荷物が積み込まれて仮拠点が空になるのを見ながら、スコーピオンとカエデは揃って敷地の端に座り込んでいた。
双方、手持ち無沙汰である。
スコーピオンは回復したとは言え怪我人への配慮から、カエデは荷物の詰み方が下手なために見学を余儀なくされたのだ。
ティアドロップ傘下の魔法少女に戦闘要員は少ない。ヒダキが行方不明の今、スコーピオンが最大級の戦力であり、拠点の移動のような大規模な行動の際には居てもらわなければ困るのだ。
ましてや今回はティアドロップ自身もともに移動するとくれば、警戒度合いは天井知らずである。
バン二台にワゴンまで用意し、さらには撹乱用の部隊も展開される手筈だと聞いた時、スコーピオンは映画のようだと感じた。手が込みすぎていて、彼女からすると現実味がなかったのである。
「つっても保護局はこっちに来てねェんだろ?」
「……ブラフの可能性もある。既に目を付けられているならまずい」
スコーピオンは楽観的だ。
彼女はカラクサの統制を知っている。
あの女が敵となればこの小さな島国に居場所はなかっただろう。魔法少女の力だけでなく、警察組織にも躊躇わず指揮下に収める女だ。それが故に嫌われていたが、仕事に妥協はしない。
今思い返せば、モクアミの連中は保護局の敵対組織として見逃されていた事がよく分かった。
敵意を利用して内部を纏めあげていたわけだ。
だがそのカラクサはそもそも敵ではなく、さらには死んでしまった。
となれば、指揮を執れる者は居らず、ルイーネが保護局を動かそうにも現場に働きかけられる者も居ないはずだ。
カエデもそれは理解しているのだろう。
反論はどこか歯切れが悪い。気を抜くなと一般論を口にしているだけだ。
「ルイーネの動きもなさそうだし、大丈夫だろこれなら」
「もしもの時は出てもらう。油断するな」
「わァーってるよ」
事件から四日目になり、報道は加熱している。
周辺の防犯カメラの映像を繋ぎ合わせて、カエデたちの車らしき車両が保護局のビルから逃走する様子がニュース番組で解説された時には、誰もが驚いた。
スコーピオンはその執念に、カエデは己れの注意力が足りていなかったことに、ワカバは魔法なしでそこまで出来るという事実に。
だが、その報道でもヒダキの話は欠片も出てきていない。
ビルの崩壊に関しては目撃者も機械も丸ごとすべて吹き飛んでしまったからだろうが、死んだかどうかも流れていないということは保護局からしても生死不明であるのだと思われた。
ルイーネが確保したのであれば、既に何らかの事態が起きていて然るべきだし、おそらくヒダキは無事だ。
スコーピオンはそう判断していた。
勘も混じった判断だが、それなり以上の確度であると自信があった。
つまり、仮拠点からの引っ越しは安全に行われるだろう。
スコーピオンは鼻歌交じりで空を見上げて、固まった。
「おい! 撤収急げェ!」
突如として声を荒げたスコーピオンに視線が集まる。
どうした、とカエデが声をかける前にスコーピオンは空を指差した。
「アイツ、軍を動かしやがった!」
その一言に、現場は騒然となる。
察しの良い者は気付いたのだ。スコーピオンの焦りの理由に。
写真偵察機。
上空から映像を撮影することで周囲の偵察を行う航空機である。
その有用性は極めて高く、十八世紀末にはその原型となる気球が用いられ、第一次世界大戦では軍用飛行機が登場した。
開発が進んだ現在では、魔物の手が届かない高空から情報収集が出来ることで重宝されており、夜間の映像を撮影するタイプやレーダーと合わせたタイプなどが活躍している。
現在の拠点は相模の端に位置する市街地の、そのまた外れである。いくつかの家屋と空き家が点在するポイントであり、建物の確保が比較的容易であった。
遮蔽物となるような木々は少なく、三台もの車両と複数の人員は目立つことこの上ない。
「分散行動!」
カエデが指示を出す。
バンとワゴンがエンジンを始動させる。
予め決められたルートで撹乱しつつ追っ手をまく。それを上空から監視されながら達成できるかどうか。
スコーピオンらもバンに乗り込み、すぐさま撤収が始まる。
スコーピオンの乗る車は、カエデが運転手を務める。ティアドロップとその介助役、それからスコーピオンで全員だ。
ぐん、とバンが走り出した。
「これは予想外ですね」
ティアドロップは追い込まれた状況でありながら、どこか他人事のように呟いた。
スコーピオンが助手席から後部座席へ顔を向ければ、改造された座席に寝そべるティアドロップはしたり顔で言った。
「人に頼るタイプではなかったはずですから」
「んなの、面倒ごとを押し付けただけだろうが」
カラクサの代わりの手足として軍を選んだのは、日頃から連携する機会が多い。ただそれだけのことだろう。
頭は手足が生身だろうと機械だろうと構わないのだ。思ったように動きさえすればそれで満足なのだから。
魔物に荒らされているために使用できるルートは少ない。
上から見張られている今、それは大きなディスアドバンテージであった。
主要な道路は抑えられている可能性が高い。となれば、下道を使う必要があるのだが……。
「本当に横浜でいいんですか!?」
カエデが叫びたくなるのも已む無しだろう。
普段の彼女らしくない悲痛な声は、それだけ余裕のない証である。
車を運転できるからと、全国津々浦々の道路に精通しているわけではないのだ。ハンドルを握りながら、必死に経路を脳内で組み立てる。
そんなカエデの様子を見て、ティアドロップはルート変更を命じる。
「カエデ、進路を富士へ」
「はい!? 戻るんですか!?」
「誘い込みましょう。戻ってください」
すぐさま切り返して、バンは富士の拠点に向けて走り出す。
木々によって偵察機から逃れ、陸路からの追っ手に限定しようと言うのだ。また、検問などを避ける狙いもあった。
人の多いところで止められてしまうと、暴れて抵抗するのも厳しい。徒に人を傷つけるような真似をしては損得の天秤が釣り合わない。
「魔法少女の相手はスコーピオンに任せます」
「ハッ! 最初からそうだろうが」
加えて、スコーピオンがのびのびと戦うには、周囲が閉鎖空間である方が望ましい。
木々に囲まれた富士はその条件に合っている。
得意な場に引き込んで体勢を整えるのだ。
「よし。カエデ、飛ばせェ!」
「分かってるっ!」
ぐぅん、とエンジンが唸りを上げて。バンが加速する。
市街地を抜けて、一路富士へ。
拠点に出戻る形になったが、すべきことが見えている彼女らは意気軒昂だ。
後方の街では騒がしさが増しているが、それを置いてバンは走る。
逃れられない闘争が迫っていた。
衛星は耐用年数を超えた後に代わりを打ち上げられていないせいで、現在ではほとんどが壊れてしまっています。軍用がごく少数残っていますが、主流ではなくなってしまいました。諸外国がそもそも存在していないことも理由の一つですね。
つまり、カーナビが使えない。