35:全ての元凶
「それは、ちょっとまずいですね……」
新たな拠点まで戻ったカエデとスコーピオン。彼女たちはすぐさま事の次第をティアドロップに報告した。
カラクサとキムの死亡、それからヒダキの行方不明を。
わずかに口を閉ざし思案した後、ティアドロップが漏らしたのが先程の呟きだ。
苦しげに歪められた表情から、その余裕のなさが見て取れる。
「そりゃまずいだろうけどよ」
事情に精通していないスコーピオンは、ティアドロップの尋常でない様子に疑問を抱いた。
確かにまずいだろう。
打開策であったカラクサとの協調は無惨にも絶たれてしまった。
彼女の死によって保護局は不全に陥るだろう。だが同時に、スコーピオンたちもルイーネに揺さぶりをかけることが叶わなくなった。
どちらかといえばこちらにより痛みのある一手を打たれた。スコーピオンはそのように理解していた。
だからこそ、ティアドロップの反応が解せない。
カラクサの死にはそこまで大きな動揺を見せなかったというのに、ヒダキの行方不明は戸惑いを露にしたからだ。
「あいつに何かあんのか?」
どことなくわざとらしさを感じながらも、スコーピオンはそこに切り込む。
ティアドロップは彼女に聞かせたいのだろう。
ヒダキの立ち位置を。
実にあっさりと、ティアドロップはヒダキについて白状した。
全てを明かすことはなかったが、真なる魔法少女についてと第三の魔法少女が妹であったことまで話したのだから、ほとんど全てと言って差し支えない。
それを聞かされたスコーピオンが、今度は渋い顔をする番になった。
想像を遥かに超える重要人物ぶりだ。
「んな奴、前線に出すんじゃねェよ……」
至極もっともなぼやきである。
それにはティアドロップも力なく笑うしかない。
「そこは人手不足と言いますか、まあ戦力が足りなくて仕方なくですね」
スコーピオンたちが合流するまで、最大戦力がカエデであったことを考えるとあまり戦闘方面に期待できる構成員でなかったことは理解していた。
単純にスコーピオンが、それでも文句を言いたくなってしまっただけである。
また、ティアドロップとしてもそれは承知のことであった。
実際、ヒダキを作戦メンバーに入れるかについては彼女も頭を悩ませたのだ。
代わりにワカバという人選も考えた。
ただ、個としての戦闘能力ではヒダキと比べるまでのものでもない。万が一への対処として、戦闘要員を二枚にした。
ティアドロップのその判断自体は正解であった。ともすれば全滅も有り得た局面だ。
ただ、損害が予想以上になってしまったのである。
「捕まってねェことを祈るだけか」
「ええ、まったく」
事態は既に報道されている。
武蔵というある程度安全なはずのエリアで、保護局で第三位という要職についた魔法少女が亡くなった上に、大規模な爆発事件まで起きているのだ。
巻き込まれた人命は数知れず。
崩落したビルに巻き込まれたもの、飛散した瓦礫に被害を受けたもの、二次災害的に発生した火事に焼かれたもの。
魔法少女保護局の責任が問われるのもそう遠くない話だ。
「うまくいかねェなァ」
スコーピオンはそう愚痴る。
ルイーネにとってはさほど痛手とならないだろう。保護局は苦しい立場におかれるが、あの女はそこに頓着しないはずだ。
魔法少女を踏み台にルイーネは何かを成し遂げようとしている。そのためならば、保護局を切り捨てることさえしかねない。
と、そこまで考えたスコーピオンは一つの疑問に思い至った。
「おい」
「なんでしょう」
「ルイーネは何が目的なんだ?」
ルイーネが力を求めていることは分かった。その力を手にする方法も理解できた。
では、その先は?
力を得た未来で彼女は何を成すのか。スコーピオンにはそれが分からない。
ティアドロップにそう伝えれば、彼女は彼女で困惑した様子である。
「まさか、分かんねェのか?」
「……ええ、まあ、その通りですね」
ただ、とティアドロップが付け加える。予想はしています、と。
「予想、ねェ……。大丈夫なのかよ、それ」
「どうでしょうね」
聞かないことには始まらないか、とスコーピオンはティアドロップの予想とやらを聞く姿勢になる。
刺々しさはあれど従順と言ってもいいその様子に気を良くしたのか。ティアドロップはそれまでよりも少し声の調子が明るくなった。
彼女がしたという予想は二つ。
一つはだいぶ真っ当なもので、魔物の根絶だ。
真なる魔法少女二人分の力であれば、それは叶えられる願いかもしれない。
だが。
「それはねェだろ」
スコーピオンは否定する。
魔物の根絶などルイーネは望んでいないだろう、と。
そんな殊勝な真似をするとは思えなかった。
「だと思いますよね」
ティアドロップもそれに同意した。
ルイーネは魔物によってその権勢を支えられていると言って良い。わざわざ引っくり返すような真似はしないと思われた。
二つ目。こちらがティアドロップとしては本命である。
別世界への逃避。
ルイーネは現状に煩わしさを覚えている。それはさらに加速するだろう。カラクサが死亡した分の負担は、上位にいるルイーネの元へやってくるのだから。
ある意味ではリセットだ。力を持ったままであるのだから、強くてニューゲームかもしれない。
魔物によって滅ぶこの世界を捨てて新天地へと移るのは可能性としてはかなり高いと、ティアドロップは考えていた。
それを聞いたスコーピオンは、むっつりと黙り込んだ。
否定はしないが、賛同もしないといった様子だ。
何か思うところがあるのだろう。
考え込む彼女に、ティアドロップは急かすような言葉はかけず、しばらく静かな時が流れる。
やがてスコーピオンは言った。
「現状維持をする線は?」
その可能性もティアドロップは考えた。
考えた上でないものとしたが、スコーピオンはあり得るものだと思ったらしい。
彼女が意見の理由を述べ始める。
「ルイーネは現状におおむね満足してんだろ。周りからは崇められているとまで言えて、楽しく過ごしている。なら、無理して出来るかどうかも分からない真似をするより、今のままでいる方が"楽"なんじゃねェか?」
世界を移る?
そんな危険な真似をするとは思えない。いや、そもそも出来るとも思えない。
スコーピオンはそのように言った。
ルイーネは慎重だが短絡的で、長期的な思考を練りながら刹那的に快楽を追い求める。
その彼女のことを考えると、瞬間的に楽な選択肢をとることは十分にあり得るように思える。
しかし、ティアドロップは現状維持を選ぶことはないと考えていた。
「彼女は知っていますから。世界を移動したものを」
「何だと?」
一拍置いて、スコーピオンの目が見開かれる。
「まさか!」
「そう。わたしですよ」
遡ること四十三年前。
世界に最初のアンクライファーが現れた。
そいつはある者を追ってきたのだ。
「わたしがこちらの世界に来たのは事故です。次元穿孔式長距離空間跳躍実験。それによってわたしはこの世界に飛び込んでしまいました」
"始まりの魔法少女"は、この世界の外からやって来た。
それはつまり、全ての元凶はこの女と言うことで。
瞬間、スコーピオンは掴みかかろうとする己れを、寸でのところで抑えこんだ。中途半端に伸ばされた右腕が、虚空を握り締めて震えている。
「お前の、せいで……っ!」
「ええ。ですから戦うことを選んだのです。貴女たちにまで重荷を負わせてしまったことは謝ります」
魔法少女という本来存在しなかったものが生まれているのは、ティアドロップという異物のせいである。
ルイーネはそれに対するカウンターとして用意された、謂わば世界の意思。
だが、彼女は願われた通りに動かなかった。気の向くままに好き勝手な振る舞いをし、歪みを加速させてしまった。
イレギュラーに次ぐイレギュラーに、世界が適応する形で生み出されるようになったのが、現行の魔法少女である。彼女たちは歪みの結晶なのだ。
"第三の魔法少女"はその究極形であり、異物排除と先んじて発生したイレギュラーへの対処が求められている。
その堂々とした態度に、怒りを燃やしているはずのスコーピオンが気圧された。
死体も同然の少女が放つ圧力ではない。
目だ。唯一動かしうる彼女の目だけは、意思の光を携えて爛々と輝いている。