34:理解の外
難産でした。
お待たせして申し訳ないです。
魔物についての研究は、ヒダキたちが知るよりも遥かに進んでいた。その内容は秘匿されているために人目に触れることはないが、魔物の好む魔力の高さや呼び寄せる条件なども記録としてまとめられている。
当然ルイーネは全てを把握しており、魔物が現れることとなった理由についてまでもおおよその予測が立てられていた。
その研究の、一つの到達点が武蔵の街中に召喚されようとしていた。
「マイ……。マイだって!?」
ヒカリの発した名にヒダキが食いつく。
行方知れずとなっていた魔法少女、ヒカリの友人である少女の名前であった。それがこのタイミングで呼ばれるとは、まさか一緒にルイーネの配下になったのか。
ヒダキのそんな考えはすぐに否定される。
明らかな魔力の変質。
既に魔法少女のそれではなく、間違いなく魔物と同質なそれになっていた。
発砲が続く。
ヒダキは弾頭に何らかの細工が施されている可能性から対処を迫られた。即ち、全弾の完膚なきまでの破壊を求められたのである。
ほんの数秒だが、時間を稼がれたことで魔物の顕現は確実なものとなった。
「ハイペリオン……っ!」
カエデの呼び掛けにヒダキは、プランCだと答える。
隠密結界は破壊され、ヒダキたちが捕捉されるのも援軍が送られて来るのも時間の問題だ。
ここは揃って逃走を図るよりも個別に動いた方が良い。
ヒダキがヒカリを打ち倒すまでの間に、カエデが合流ポイントで逃走の用意を再度取りまとめていた方が確実だ。
プランC。
散り散りになって逃げて、指定された合流ポイントで集結する作戦だ。
最悪の事態への備えだったが、まさに今がその最悪の事態である。
ヒダキはヒカリを倒せねばならぬと心に決めた。
変装能力に魔物の召喚。
明らかに放置していて良いわけがない。
「マイはね、あんたに嫉妬していたよ」
「……なに?」
魔物の顕現が完了する。
黒い渦から人に似た何かが飛び出してきた。
「だからさ。あんたになりたいんだってさあ!」
魔物についての研究は遥かに進められていて、魔物がどうしてやって来るのかまでルイーネは把握していた。
この魔物はその研究の成果の一端。
魔法少女から魔物へと姿を転じる新たな可能性の第一歩。
「殺しちゃおうか! マイ!」
「……オォアアアッ!!!」
高野マイの成れの果てである。
まるで操り人形のような歪なヒトガタを目にしたヒダキは、瞬時に炎の壁を展開してワゴン車を隠す。カエデがこの場を離脱するために。
嫌悪感を催す醜悪な怪物は、しかしその顔に高野マイの面影を残していた。
いや、面影が見て取れるからこそ生理的に受け付けないのかもしれない。
ねじくれて節ばった四肢は不自然に空中で固まり、さらにはその数を増していて。脱力と緊張が渾然一体であるために、視覚的に不安感を掻き立てられる。腹に張り付いた顔は長い髪を振り乱していて悪鬼のようであり、異様な水膨れが穢らわしさを強調していた。
総じて、醜悪。
おぞましい怪物がヒダキの前で蠢いている。
ルイーネによって"冬至災"の『ヴィンター』と名付けられた怪物は、憧れにして妬みの的である魔法少女を目にして振り切れた。
全てを置き去りにして、歓喜に吠える。
「ヒイイィィィィヤアアアァァァァァァァッ!!!」
耳障りな絶叫は、魔力をふんだんに含んだことで音響攻撃へと変貌を遂げた。
特殊な力ではなく純粋なスペックで、ヴィンターは大地を揺さぶり空間を軋ませる。
ヒダキの顔が苦悶に歪んだその瞬間には、魔物が懐まで迫っていた。ヒダキとそう変わらない大きさで、しかし尋常でない魔力を纏って右手を振りかぶる。
反射的に身を竦めた彼女に、大振りの平手打ちが叩きつけられた。虫でも叩くような一撃だ。
それだけでヒダキは吹き飛んだ。
ピンポン玉のように弾かれて、道路の向こうの建物に着弾する。
ビルの一階に叩き込まれたヒダキは、左腕が上がらなくなったことに気付いた。背中にも痛みがある。よろめきながら立ち上がれば左腕がだらりと垂れ下がり、肘より上でひしゃげてしまっているのが見えた。
「エヘ、エヘッ」
粉砕された窓から、怪物が覗いている。
ビルの人々は逃げ遅れてしまったことだろう。
だが、ヒダキには周囲を慮れるほどの余裕はなかった。
犠牲を承知で、屋内で魔法を起動する。
大多数のために少数を切り捨てる。彼女が嫌悪していた魔法少女に頼る社会のような振る舞いに、自嘲の笑みが浮かんだ。
「笑うことなど、許されないでしょうね……」
ヒダキはすぐにそれを消した。
代わりに魔力を炎に変えて、大波のように魔物へ走らせた。
同時に魔力をさらに練り上げて魔法の用意をする。
化け物は微塵も堪えた様子を見せず、意気軒昂にヒダキへと躍りかかってきた。
そこ目掛けて魔法を叩き込む。
「エキゾーストフレイム!」
突き出した右手から放たれた炎の噴流が、魔物を空中で撃墜した。
天井を焼き、柱を焼き、散らばる雑多な書類やら小物やらを焼き、辺り一面を火の海へと変えながら魔物を焼く。
手応えがあったことに、どこか安堵をしながらヒダキは火力を強めていく。
しかし妙な感触であった。
込めた魔力に対してのロスが大きい。
空転、と言えば良いだろうか。
吐き出される熱量は普段よりも弱い。
攻撃を軽減、あるいは無効化されていると気付いたヒダキは魔法をかき消した。
手応えから類推するに、相殺でも耐性でもない。強いて挙げるなら、吸収。ただそれも何かギミックがある。
"冬至災"の二つ名をルイーネによって与えられたヴィンターは、それに合わせた能力を持つ。
ヴィンターの能力は、熱量の簒奪。周囲の熱量を魔力に変換して自身のものへと変えるという凶悪なそれは、ハイペリオンへのメタとして考えられたものだ。昼が短くなる冬至にかけて、太陽を弱める怪物である。
大災級であるだけにその出力は凄まじく、ヒダキの魔法は表層にて勢いを失って消えてしまうのだ。
(単純な炎ではダメか)
詳細は分からずとも結果から知れることはある。
ヒダキの手札は、大半が効果を持たないだろう。ならば次の一手を。
そう考えた時のことだ。
横合いから放たれた弾丸を魔力の炎で防御した瞬間、魔物が動き出した。
連携と言うほどのことではないが、それでも脇から邪魔されてはヒダキも苛立つ。
炎の壁を無数に展開して足を止めようとするが、魔物はまるで意に介さない。
一瞬で至近まで迫られてしまった。
ヒダキは接近戦が弱い。
格闘をしようにも身体が少女に変わってしまったことで間合いを掴めず、非力さを魔法で補う方法もセンスがなく習得できなかった。
彼女の最大の弱点が、近くに寄られることである。
だが。
弱点を弱点のままにしておくことが一番の弱さであり、活用して見せてこそ強さの証明であるように、ヒダキも寄られた時の脆弱性を釣り餌として使っているのだ。
無造作に踏み込んできた魔物を見据えて、ヒダキは予め用意してあった魔法を起動する。
それは罠であり、いざという時に備えた最終防衛ラインだった。
(ヘルズグレネード)
起爆した魔法は瞬時に熱量を奪われていくが、爆風までをも無力化されるわけではない。
カウンターを浴びせられた怪物は、よろめきながら後ろへと下がった。
ヒダキはその動きに勝機を見た。
爆炎を撒き散らし、最大限の出力で撹乱する。
視界を乱し、わずかに稼いだ時間でヒダキは目当ての人物を捕捉した。
(ここで仕留める……っ)
これから人を殺すのだと、覚悟を決めても揺らぎそうになった。
それでもヒダキは歯を食い縛り、自身を魔力でブーストしながらヒカリへと飛びかかる。
柱の陰にいたヒカリは、突如自分に矛先が向いたことで対処できなかった。
驚いていたら、ヒダキに組伏せられてしまったのである。
「ぁぐ……!」
のし掛かり、床へと押さえつける。
馬乗りになったヒダキは、狙いどおりに事が運んでいることに嘆息しながらヒカリに告げた。
「これで終わりですよ」
「まだまだ。マイをどうにかしないと終わりなんかしないよ!」
ヒカリはせせら笑う。
そのマイと呼ばれる魔物は、ヒダキとヒカリを遠巻きに見つめるだけだ。
巻き込まないように仕込まれているのか。はたまたヒカリへの仲間意識か。
どちらにせよ、通常の魔物にあり得ない行動である。
ヒダキが首もとにあてがった手に力を込めると、ヒカリは呻き声をあげた。
「……なんで、こんなことを」
「マイはさ、あんたみたいになりたかったんだって」
「それは聞きました」
「なら手伝ってあげるのが友達じゃない?」
想像の外の答えに、ヒダキは目眩を覚えた。
友達だから化け物にした?
いっそ恨んでいるからと言われた方が、遥かに納得しやすかった。
「いいじゃん、面白そうで。ちまちま魔法少女なんかやってるよりも簡単で分かりやすくて手っ取り早い!」
「そんなことで!」
「大事なことだよ?」
ニマニマと笑みを浮かべて、ヒカリはヒダキに視線を向ける。
「マイは喜んで力を得たよ? まあ思っていたのとは少し違ったみたいだけど、今でもあんなに可愛いんだから許してくれるよね」
ふざけたことを。
それは言葉にならなかった。
怒りのあまりに震える口は、言葉を紡ぐことも出来なくなっていた。荒ぶる怒りは殺意を生産し続け、今にもヒカリを燃やし尽くしてしまいそうだ。
「詰みはあんただよ、ハイペリオン。マイを相手に打つ手なしでしょ?」
「…………あなたは殺せますよ」
「でもマイには勝てない。そしてマイを止められるのはあたしだけ! どうする? 殺しちゃっていいの~?」
自身を人質にしての交渉に、ヒダキは何も言い返さない。
ただただ理解した。
理解したくない存在が、目の前にいることを理解した。
(……殺そう)
震えは収まっていた。
そんなヒダキの心境の変化を感じ取ったのだろう。
ヒカリは身動ぎして、どうにか拘束を逃れようとする。さらには放せと喚くが、それはもうヒダキの耳まで届かない。
ヒカリの叫びに応じて、マイがヒダキへと突っ込んで来るがそれも遅い。
問答をしている間に準備は終わっていた。
「──ガイアリアクター」
バチッ、と火花の弾ける音がした。
五キロほど離れた集合場所。そこにはワゴンを乗り捨てて、別の車両を調達したカエデがいた。
スコーピオンは回収した。ズタボロだが息はある。運良く変身が間に合ったらしい。集合場所へ向かう道中に落下していたのも強運なポイントだ。それによって半死半生の彼女をカエデは見つけることが出来た。
今、カエデはヒダキの到着を待っていた。
プランCは緊急時への対応故、いつまでも待つことはないが、ヒダキなら無事だと信じている。
「早く、早く来い……」
祈るように呟いたその時である。
不自然な揺れが地面を走った。
まるで何かを叩きつけたような、または爆発でもしたような。それほど強くはない。
だが、間違いなく揺れた。
どうしてか、カエデはそれがヒダキによるものだと確信していた。
結局のところ、ヒダキが集合場所に姿を現すことはなく。
カエデは撤退を余儀なくされた。