33:もう魔法少女ではないマイ
スコーピオンたちを見送ってしばらく、ヒダキは気張って外の様子を探っていた。
カエデは呆れていたのだろうか。ヒダキに対して何も言わず、ワゴンを隠蔽する魔法を行使し続けた。
何もないが、緊張した時間が続く。
そんな時のことだ。
────ドォン!
窓からビルを眺めていたヒダキは、その瞬間をはっきりと目撃した。
突如として、ビルの一角が火を吹いたのだ。遅れてきた衝撃音は、胃の腑を底から揺らす。間近で太鼓を打ち鳴らされたかのような衝撃が全身に走る。
「──スコーピオンッ!」
ヒダキは咄嗟に名を呼んだ。この爆発が無関係のものであるとは思えなかった。
ビルからはもうもうと煙が吐き出され、赤々とした炎も見える。
カエデは舌打ち交じりにワゴン車のエンジンを始動させた。
「逃走の用意を」
それはいざとなれば二人を見捨てて逃げ出すという宣言だ。カエデは非情な判断を下そうとしていた。
ヒダキはそれに異を唱える。
「待ってください! 二人ともまだ帰ってきていません」
ビルでは慌ただしい動きが起こりつつある。混乱に乗ずれば、脱出くらいは叶うだろう。
だがカエデは、そんなヒダキの希望的観測を切り捨てる。
「恐らく罠が張られていた。カラクサへの接触を読まれて囮にしたのか、奴が協力したのか。どちらにせよ出入りを監視されていたに違いない」
ここも危ない。カエデはそう結論付けた。
普段停められていないワゴン車は、当然警戒対象に含まれるだろう。すぐにでも保護局の手が伸びてくるはずだ。
「あれは」
そこでヒダキは避難する民衆の中に見覚えのある姿を見つけた。
スコーピオンとともに潜入したキムだ。
カエデも気付いたようで、ドアを開けるように指示が飛ぶ。
ドアを開けたヒダキの元へ駆け寄ってきたキムを乗せる。
「スコーピオンは?」
そうカエデに問われ、キムは力なく首を横に振った。
それを見るや否や、カエデは乱暴にワゴンを発進させて駐車場を飛び出した。
ヒダキが何かを言う前に騒然としたビル横の通りを無理やり抜ける。
いや、彼女も分かっているのだ。だから、カエデを非難することはなく、肩を落としてシートに体重を預けた。
「中では何が?」
運転しながらカエデは状況の確認をする。
侵入自体は見咎められることもなく、事が上手く運んだ様子だった。
問題はそれから何があったのか。
保護局の動きやカラクサの様子である。
「目的の階までは滞りなく進めました。スコーピオンが知るコードで直通エレベータを動かしたのです。ただ、その先が問題でした」
キムは淡々と報告する。
ヒダキは何かが気になった。
その淡々とした表情か。あるいは情のない冷たい瞳か。
ヒダキの疑問をよそに報告が続く。
「廊下に漂う血の臭いに、只事ではないと警戒しながら進みました。誰一人すれ違うことのない状況は異様で、奥の扉まで辿り着いた時には何か良くないことが起きていると確信していました」
口を閉じたキムに、カエデが続きを話すよう促す。
左上へと視線をやりながら、キムはゆっくりと話を続けた。
「扉の先にはスコーピオンだけが入りました。私は外で見張り役です。なので見たわけではないですが、覗き見た限り襲撃があったようでした」
「それで爆発したのか」
「はい。スコーピオンが中へ入ってすぐの事でした。爆発があって廊下の壁に叩きつけられて。少し気を失ってしまいました」
大変だったなと労いの言葉をかけながら、ルームミラー越しにカエデはヒダキへとアイコンタクトをとる。
ヒダキはそれに気付き、小さく頷いた。
次の瞬間。
カエデが急ブレーキをかけた。
キムはそれに反応できず、前の席へと叩きつけられてしまう。
「ぐぅ……っ!」
そこへ飛びかかり、ヒダキが抑え込もうとする。
さすがに察したのだろう。キムであった何者かは、それを思い切りはね除けるとドアを開けて外へ飛び出した。
そのまま逃走を図るものの、カエデが展開した結界によって阻まれてしまう。
「いつ気付いたの。変装は完璧だったはず……」
何者かはワゴンの方へと向き直りつつ、そんな疑問を口にした。
「イントネーションが違う。すぐに分かった」
停止したワゴンからヒダキが道路に降り立つ。カエデはいつでも発車出来るように備えている。
ヒダキが降りたのは、ここで謎の人物を仕留めるためだ。姿を写し取る能力は、分散して潜伏している側からすれば厄介が過ぎる。
「はー、バレてたかあ」
ヒダキたちの焦る気持ちを感じ取っているのだろう。キムの姿をした謎の人物は、わざと大袈裟に服をはたいて見せた。
(変身しておくべきだった)
ヒダキは内心で失態を悔やむ。
ワゴン車を気にして加減したために取り逃したのは痛い。判断ミスであった。
「すぐに終わらせます」
カエデの結界で覆われている今は外部との連絡を遮断しているが、それもいつまで保つか分からない。ここは天下の往来であり、爆発事件の影響で周囲は騒然とした状況だ。時間をかけていては応援を呼ばれることに繋がる。
「魔法少女、変身」
ヒダキは炎の化身へと変じた。
燃える炎のようであったマントは炎陽のごとき熱と光をたたえ、輝かんばかりに眩しい純白のストーラからは火の粉が舞っている。
太陽にも迫る威容は視線を離すことなど許さない。
カエデは軋む結界の維持に集中する。
報告を受けていてもそれを上回られては感心する他ない。吐き出される熱量は無尽蔵にも思え、結界内は気温がガンガン上昇していく。
玉のような汗を額に浮かべて、彼女はすぐにケリがつくことを確信していた。
そうしたヒダキを正面から見据えて、変装を保てなかったのだろう。
本人も意図しなかったようで、いくらか慌てながらキムの幻影が剥がし取られていく。ボロボロと崩れるように魔法が解け、真の姿が露になる。
「──な……っ!?」
それはヒダキにとって予想外の人物であり、驚かざるを得ない知人であった。
動揺を映すようにマントの揺らめきが大きくなる。
「ヒカリ!? 本当にあなたですか!?」
変装が解かれて出てきた人物は、ヒダキとともに魔法少女として魔物と戦ったこともある少女、西沢ヒカリであった。
もしかするとその姿も幻影なのではないか、とヒダキは仄かな期待を抱く。だが、その質感と空気感、何よりヒダキの魔法少女としての勘が本物であることを直感させた。
ヘラヘラと笑いながら、ヒカリは頬を掻く。
まだバラすつもりなかったのに。そんなことを呟きながら、ヒダキに拳銃を突きつけた。
「何の、……つもりです?」
「脅しに決まってるじゃん」
そのまま無造作にヒカリは引き金を引いた。
パンッ、と乾いた発砲音が炸裂する。
放たれた弾丸はヒダキの胴めがけて飛び、不自然に逸れて彼方へ消えた。
「効くわけないでしょう、そんなもの」
「だよねー」
強力な魔法少女を相手に銃器は、というより魔法以外はほとんど通用しない。やるなら変身前だ。
そんな初歩的と言って良いことをわざわざ実行して見せたヒカリの意図を訝りながら、ヒダキは彼女を捕らえてルイーネの内情を吐かせようと一歩踏み出した。
この期に及んでまだ殺すのではなく捕らえる方向に動いたのは、明らかにヒダキの失策だった。
躊躇なく殺すべきだったのだ。さっさと殺していれば余計な真似を許すこともなかったと言うのに。
力あるが故の傲りだろうか。
ヒカリでは確かに勝負にならない。
──だが、ヒカリでなければ?
「このままじゃあ捕まっちゃうからさ。助けてよ、マイ」
彼方へ消えた弾丸は、本当にこの世から消え失せていた。
それはマーカーであり、魔物を引き込むために世界に穴を開けるもの。
かつてレーゲンを喚んだように、災いを誘う悪意の塊だ。
胎動するように空間が震えた。
カエデの結界が剥がし取られ、街ごと"それ"に塗り替えられていく。
ヒダキの顔色が変わる。
その感覚には覚えがあった。
大災級の魔物。その襲来である。
ヒカリの変身魔法は、
・対象が魔法少女でない
・対象が死亡している
・対象の肉体(の一部分)を摂取する
上記を達成することで対象の人物に変身出来ます。