31:魔法少女カラクサの傲慢と失墜
起床して、顔を洗う。
一日の中で最初に感じる『魔法少女になって良かった瞬間』だ。
カラクサはタオルで顔を拭って、一言呟く。
「──よし、今日もかわいい」
意識の奥深くまで塗り込むように、その呪詛を唱える。
毎月毎週毎朝、意識が確かに覚醒するまでは毎分に渡って。
この幸運が途絶えることのないように、彼女は祈りを捧げ続ける。
カラクサがその"絶望"を知ったのは齢が三十を越えた頃の事だ。今から八年ほど前になる。
魔法少女は皆見目麗しい。肉体を魔力が活性させていたり、変身の度に魔法少女としてのフィルターが挟まることで若返りが起きていたりと理由はいくつかあるのだが、とにかく皆が若く美しい容姿をしている。
カラクサはそれが普通のことだと思っていた。命を懸けて戦っているのだから、それくらいの報酬は貰えて当然だとも考えていた。
十四から魔法少女を始めて、カラクサの見た目はずっと変化がなかった。
歳をとらない若く美しい永遠の姫、と自身を賛美しながら魔物と戦う日々。才能のあった彼女は瞬く間に評価を上げて、魔法少女たちを率いる立場となった。
それから人の汚く暗い闇を目にすることもありながら、しかし彼女は粛々と魔法少女の務めを果たしてきた。
"魔法少女としての力を奪われると一気に老いる"。
その噂を耳にして、最初こそ彼女は笑い飛ばした。嘘だと。魔法少女を減らす工作だと。過去にもあった噂話だと。
カラクサがただの一魔法少女であればそれで良かっただろう。話はそこで終わっていたはずだ。だが、彼女には立場があった。
それから間もなく、真実を知ることになる。
魔法少女たちの会合。『魔女の閨』で、カラクサは見た。
一人の魔法少女がルイーネに処分されたのだ。
カラクサよりも古株の、面倒見のよい女だった。
罪状は、裏切りだったか不都合な何かを知ったのだったか。あまりの衝撃に記憶からは抜け落ちてしまったが、もしかすると単純に体の良い教材であったのかもしれない。
ルイーネが魔法少女からの追放を告げると、カラクサの先輩は絶叫して胸をかきむしった。
全身から湯気のようなオーラが立ち上ぼり、今思えばあれが魔力だろう、身体から引き剥がされて床に落ちていたコンパクトへと吸い込まれていく。
恐ろしい速度で肌が乾き、シワが増え、髪が色褪せる。先輩は泣いて赦しを乞うものの、ルイーネはそれをまるで取り合わない。
急速に、過冷却にも引けをとらないほどに先輩は瞬間的に老いていった。
少女の華奢な身体は老婆の矮躯に、針金のような髪には白いものが交じり、つやつやとしていた肌はカサカサにひび割れて染みが浮く。
あの後、彼女はどうなったのか。
カラクサは知らない。まるで覚えていない。
彼女の心に残ったのはたった一つ。
判断を誤れば、自身があのような姿になるということ。
ルイーネの狙いはこれにあったかもしれない。即ち、恐怖政治だ。
以来、一度たりとも朝の確認を欠かしたことはない。夜のうちに魔法少女でなくなっている。そんな恐怖を鎮めるための儀式であった。
カラクサにしてみれば、魔法少女でなかった時の方が短いのだ。今さら老いるなんてこと、想像するだけで恐ろしい。
──鏡に向かって呟くこと十数分。
ルーティンを終えてから、彼女は朝食をとる。
魔法少女カラクサの日々には意外と余裕がある。各支部に業務は分担してあるし、決裁を求められる機会を極力減らしてきたからだ。
そもそも魔法少女は表向き、それほど強い権力を持たないことになっている。保護局内部では完全に逆転しているが、世間一般はその事実を関知していないのだ。
強すぎる力は危険視される。煩わしい政治闘争から身を置くためには、多少侮られているくらいで良い。
社会は魔法少女を、魔物と戦う少女の姿をしたヒーローもどきと認知している。これはルイーネが島国を拠点とした時に、緩い認識の方が何かと楽だからと働きかけたためであった。
カラクサもこの認識を利用して、多少の管理業務こそすれど忙しくない程度の仕事量に抑えていた。
では空いた時間に何をするのか。
ここ数年の彼女は、専らルイーネの動向を探ることに当てていた。
カラクサは強力な魔法少女だ。序列三位は伊達ではない。
それでも勝てない相手はいる。
例えば、ティアドロップ。
第二位に名が置かれた敵対者を彼女も知っている。相性的に不利でもあるが、人の身を超えた魔力量には手も足も出ないだろう。
例えば、ハイペリオン。
新参も新参だが、その記録に目は通してあった。その戦闘スタイルはカラクサと相性が悪すぎる。
例えば、ルイーネ。
上記の二人であれば、勝てないまでも勝負は出来るとカラクサは見ていた。少なくとも戦いの形にはなる。
だが、ルイーネは無理だった。そのイメージから湧いてこない。
相対すれば、カラクサはまず間違いなく敗れるだろう。そうなれば、良くても処刑。悪ければ力を奪われて生活する羽目になる。
(──でもこのまま従い続けるのも、もう限界なのよ!)
上位者の顔色を窺う日々に、カラクサは疲れ果てていた。
目を背けていたものの、ルイーネの非道は昔から変わらぬことであり、証拠はすぐに集まった。
しかし糾弾は出来ない。カラクサ自身が消されることは疑いようがなく、それでは本末転倒だ。
カラクサは、魔法少女であるというステータスを保ったままで安寧を手に入れようとしているのだ。
そこに正義などない。
あるのは己れの願いだけ。
美しくあるために、カラクサはルイーネから離れようとしていた。
(さて、雌伏の時は終わり。スコーピオンのバカはなんとか逃げ切ったみたいだし、どうにか合流出来ないかしら)
そのための用意も済ませている。
カラクサはある人物と会う予定を組んでいた。
その人物とは、北関東支部の長である真山だ。
件の男は逃走したハイペリオンと関わりがあり、ティアドロップとも面識がある重要人物。
当然、監視の目は付いているが、そこは第三位の魔法少女としてゴリ押した。謹慎中の彼を強引に呼びつけられるのは、これまでの彼女の行いの良さである。
執務室のドアがノックされる。
「真山です」
「どうぞ。開いてるから」
窶れた男が入ってくる。
真山だ。品のよいスーツを着た紳士のはずだが、その疲弊した様子がひどくアンバランスで、まるで失業したかのようにも見える。
(まあ、失業も間違いではないのかな)
今もまだ謹慎程度で済んでいるのは、囮として使えるからだ。餌以外の用途がない彼は、既に保護局での居場所を失っている。
ソファに座るよう勧めて、カラクサも対面に腰を下ろす。
「さて」
真山は神妙な面持ちでカラクサを見る。
その一言一句聞き逃すまいとする真剣さに、思わず苦笑した。
「済まないね。バカにするつもりはないんだ。ただ、そんなに見つめられると思わなくてね」
「失礼しました」
「いいよ、気にしないでくれ」
この優越感。これもまた、『魔法少女になって良かった瞬間』である。
内心で気を良くしながら、カラクサは本題へと入る。
「ティアドロップは元気かな?」
「……はて、どうでしょうか」
「いやいや小芝居は要らないよ。元気なんだろう?」
真山の視線が泳いだのを見て、カラクサはぐっと踏み込むことにした。
「私もね、彼女に会いたいのさ。渡りをつけてくれないか」
「何故です?」
「おや、無理とは言わないんだね」
黙ってしまった真山に、慰めにならない言葉をかける。カラクサはリスクとリターンを勘案し、危険を犯してでも実を取りに行くと決めた。
「理由を聞きたいのか」
「……」
「そうだね。彼女を捕らえるつもりはないよ」
「……どうしてですか?」
笑みを濃くしてカラクサは言った。
「やってほしいことがあるからさ」
────ズグリ。
カラクサの目が見開かれる。
彼女の胸には刃が突き立てられていた。
「な、何……?」
刃を握る手は真山のものではない。真山は変わらずソファに腰かけたままだ。
ただ、真山の胸から腕が生えていた。
真山の両腕はそのままに、新たな腕がカラクサに刃を突き立てたのだ。
「は~マジで餌に食いついてんじゃん。驚きだわ。これが裏切り者か~」
ポロポロと真山の像が崩れ、中から真の姿が露になる。
少女。魔法少女だ。
カラクサには見覚えがある。辞めたはずの魔法少女。
「西ざわ、ヒカリ──ッ!」
そうして、カラクサの意識は闇へと呑まれ、再び目覚めることは無かった。
「うーん、魔法少女には変身できないのが不便だなぁ」




