3:おはよう魔法少女
「──どうやら、目が覚めたみたいね」
消毒液の匂い漂う医務室らしき部屋。ベッドに寝かされた少女に、傍らの女性が優しく声をかける。
柔らかな声に呻き声をあげながら少女は寝返りをうち……。それから慌てて飛び起きた。
目をぱちくりさせて、辺りを見回している。
寝ぼけ眼を擦るも、途中で動きを止めじっと手を見つめだした。まるで初めて見たかのようである。
人形のような少女だ。
艶のある絹のような黒髪はおかっぱに切り揃えられ、大きな円い瞳と小さくぷるんとした唇を艶やかに輝かせている。白い肌はきめ細やかで、頬は血色豊かにふっくらと赤い。凛とした美しさと幼さが同居した少女であった。
年の頃は分かりにくいが、12~3ぐらいだろうか。手足は細く華奢で、起伏に乏しい体つきもまた人形を想起させる。
薄手の病人着を着せられた彼女は、その健康そうな様子とひどくミスマッチを起こしている。
傍らの女性は何を言うでもなく、少女の様子をバインダーにメモしている。
手を握ってみたり、身体を触ってみたり。
少女は何かを確認するような素振りを見せている。自分が自分でなくなってしまったかのような、そんな戸惑いが見てとれた。
やがて彼女が口を開く。
「あの……」
鈴を転がすような声音に、彼女自身が驚いたように目を見開いた。何度か口を開いては閉じてを繰り返す。
「……ここは、どこですか?」
「魔法少女保護局よ」
一瞬呆けた顔をした後に、遅れて理解がやって来た。少女の眉が困ったように下がる。
バインダーをめくりつつ、傍らに座っている女性が経緯を説明し始めた。
少女が状況を飲み込めるようにという配慮だろう。あるいは、先に情報の洪水で押し流してしまおうという魂胆であるのかもしれない。
「魔法少女『249』の戦闘に巻き込まれた貴方は、私たち魔法少女保護局によって救助されたの。怪我はなかったけど意識が失われていて、一応検査もしてあるわ。結果は健康体。ただ、衣服はこちらで代えさせてもらったわ。ボロボロだったし、汚染されていて持ち込みが許可されなかったの」
ここで傍らに座る女性は一息ついて、それから自身も魔法少女であると名乗った。
魔法少女『81』。それが彼女であるのだと。
魔法少女のその多くは保護局から与えられた管理ナンバーによって統括されている。個別の名前が与えられているのはごく少数の、隔絶した実力を誇る魔法少女のみだ。
もちろん本名もあるのだが、彼女らは名前の力を知っているために、おいそれと他人に教えることはない。かつて名前を利用しての呪詛が用いられた事件を教訓として、保護局の講習が徹底されているのだ。
さて、『81』となるとそれなり以上に古参となる。管理ナンバーは当該魔法少女の引退や殉職によって欠番となる。つまり、古い番号は使われていないことが多いのだ。
先日の事件で殉職した新人魔法少女のナンバーは400を超えていた。それを踏まえると、『81』はそれなり以上に古参と言って良かった。
「そんなに警戒しないで」
『81』が笑う。可愛い顔が台無しよ、と。
それを受けて病人着の少女は憮然とした表情を浮かべ、さらに『81』を笑わせた。
「……なんとお呼びすれば?」
「はい?」
「『81』さんなんて味気ないでしょう?」
少女の言葉に『81』は目を円くした。喜びに顔を明るくして、それからヤヤと呼ぶように言った。
「ヤヤさんは──」
「ヤヤで良いのに」
「……ヤヤさんは、魔法少女なんですよね?」
「疑ってるの? まあ、もう後方勤務だから半分引退みたいなものだけどね」
でも貴方は多分違うわ。そう言われて少女はポカンと口を開けた。え、と可愛らしい戸惑いが漏れだす。
「いえだって、貴方も魔法少女じゃない。変身したてでモクアミを撃退出来るなんて凄い子を放って置くわけないでしょ?」
少女はひどく混乱している。
それは誰の目にも明らかだった。視線が虚空を彷徨い、顔色が悪くなっている。
ヤヤが気を遣って声をかけても生返事ばかりで、心ここに有らずと言った具合だ。
そんな様子がしばらく続き、ヤヤがそろそろ誰か他の人を呼ぶかと思い始めた頃。
少女は天井を仰ぎ、長い長いため息を吐いた。ヤヤはその様子に疲れた社会人の姿を幻視する。ヤヤ自身も重なる姿だ。
やがて少女が言った。
「私が魔法少女だと言うのは、間違いないのですか?」
「ええ。間違いないみたいよ。変身端末のプロテクトが破壊されていたから、技術部で復元して確認をしたの」
「……そうですか」
肩を落とす少女。
魔法少女であると、あるいは素質があると分かって喜ぶ者は多くない。
命の危機に身を置くことになるのだから当然だ。中には拒否しようとする者も居る。その場合は最低限の講習だけは保護局の方で受けさせることになる。
この少女もそのような感じか。ヤヤはそう思った。
しかしあの手この手で説得がなされることだろう。戦力として逃がすわけにはいかない。
モクアミを撃退、本人にはそう伝えたが実際には撃破、出来たというのはそれだけ大きなことなのだ。
……そして、この少女には説得されるに足る材料がある。
少女に悟られぬようこっそりと、ヤヤは拳を握った。これから難事が待ち受ける。気合いを入れてかからねば。
そんな風に自身を鼓舞した。
「──ああ、くそ……。良いように捉えるしかねぇか」
「……はい?」
その呟きに聞き間違いかと思ったヤヤは、少女のことを穴が空くほどに見つめる。
少女の楚々とした外見からはかけ離れた、粗野としか表現できない物言いは、しかし間違いなく少女から放たれたものであった。
ヤヤが驚き固まっていると、少女は構わずに問いを投げる。
「ヤヤさん、私は戦えますか?」
「はい?」
直前までの意気消沈した様子からは想像できないほどに力強い言葉であった。
少女の目には輝きが宿っている。だが、同時に深い穴のようでもあった。その瞳の孕む矛盾に飲まれそうだった。
ヤヤは戸惑い、漫然と聞き返すことしか出来ない。
「戦うだけの力はありますか?」
「えっと……」
不思議な圧力にヤヤは口ごもる。
その感触に覚えがあるからこそ、彼女は上手く答えられなかった。答えるよりも警戒にリソースが割かれてしまったのだから。
魔力、それが少女から垂れ流されている。
この狭い部屋で溺れるのではと、ヤヤはうっすら恐怖さえした。
魔法少女であるヤヤは魔力への高い耐性を有している。だと言うのに恐ろしくなる程の量、そしてそれ以上の質の高さ。
「戦える力があるんですよね?」
確信がそこにはあった。
これは問いではない。確認だ。
溢れだす魔力を従えながら、少女はヤヤに尋問に等しい行いをしていた。
少女はこの短時間で、変身もせずに自らの能力を把握し始めている。
それに気づいた時、ヤヤの中で恐怖がハッキリと像を結んだ。
(この人おかしい……)
説得材料がある?
それの何が役に立つのか。優位に立っていたのはヤヤであるはずなのに、まるで意味がなかったではないか。
脅しつけてなだめすかして命令を聞かせようとしていたものの、更なる力で捩じ伏せられてはどうにもならない。
ヤヤは既に悟っていた。こちらの手にある札が通用しないことを。
「ここのトップに会わせてください」
ヤヤには頷く以外の反応が許されていなかった。