26:残念ながらテロリスト
──タイフーンとは、台風を意味する英単語であり、その語にはギリシア神話の怪物テュポーンの影響を受けているという説がある。
テュポーンはギリシア神話の大神ゼウスを一度は撃ち破ったという最強の怪物だ。強力無比なその姿に準えた可能性は大いに得心がいく。
ルイーネはこれを面白がり、怪物としての意味も込めて少女にタイフーンの名を贈った。
炎が床を舐めて這い回り、それを風が吹き散らし巻き上げる。
戦いの立ち上がりは静かなものであった。
ヒダキもタイフーンも様子見から入り、スコーピオンも構えをとるだけで踏み込まない。
それはそれぞれが見ているものの違いによる。
ヒダキは未だに逃走を諦めていなかった。出来れば戦いは避けたい。そんな迷いを抱いている。
命の奪い合いへの忌避は拭いされておらず、むしろ間近で死を感じた分一層強まっていた。
彼女は中途半端な状態で立っている。
タイフーンは命令に従っている。
スコーピオンの処分とハイペリオンの確保。二つは簡単なことではなく、出方を困らせていた。
これがどちらも殺してよいのであれば楽なのだ。しかしそうではないことで、タイフーンから思いきりが失われていた。
スコーピオンは襲撃してきたタイフーンの排除を狙っている。二対一で数的優位に立っている状況を活用したい。ここでタイフーンを落とせれば、名を持つ強力な魔法少女を保護局の戦力から削ぐことが出来る。
だが、迂闊に踏み込むことは出来なかった。
単身での戦闘能力はこちらが劣っていると、スコーピオン自身が確信してしまったためである。その確信が、二人がかりで慎重に攻めるという平時の彼女らしからぬ判断へと繋がっていた。
ヒダキは膠着状態が続けば、やがてタイフーンが退くのではないかと期待していた。その期待はタイフーンによって否定される。
「時間稼ぎは無駄。既に包囲、逃げられない。ゆっくりと片付けるだけ」
体制側であるタイフーンには味方が多い。それは駒のようなものでもあるが、使える手が多いことに間違いはないのだ。
破壊されてしまった南関東支部から撤退をする必要があるのはヒダキたちの方である。
改めて突きつけられた事実に焦りが生まれた。
(だがどうやって逃げる? 確実に追ってくんだろ!)
ただ睨み合うだけでも、じりじりと追い詰められていく。時間は味方しない。
歯噛みするヒダキを、スコーピオンが一瞬見やる。
「おい、覚悟決めろ! こいつを仕留めて道を開ける!」
スコーピオンの判断を、ヒダキは誤りだと言いたかった。
魔法少女の命を奪うために、彼女は魔法少女をしているわけではないからだ。
ヒダキは理想と現実との矛盾に胸が焼かれるようだった。
「──ああ、くそッ!」
苦しみを悪態とともに吐き出しながら、ヒダキは魔法を組み上げる。
それに合わせて、タイフーンも魔法を準備する。
「エキゾーストフレイム!」
「トルネードミキサー」
赤き炎がヒダキの右手より放たれ直進し、反対から迫る死の竜巻と衝突した。
互いに互いを削りながら、炎と風とがせめぎ合う。
その横をすり抜けるように、スコーピオンがタイフーンへと迫る。
即座に魔法を切り替えるタイフーン。
「エアロシャッター」
「ポイズンスティング!」
空気の壁が接近を許さない。
炎もスコーピオンも拒絶する壁に、ヒダキは魔法を組み換える。
拳打を徹さぬ分厚く透明な壁の向こうで、タイフーンは新たな魔法を用意する。
それは自身の魔法への信頼が為せるものか。悠々と魔法を構築する彼女は、しかしこの後信じられないものを見る。
「ギガデストロイヤー! スコーピオン、下がって!」
エアロシャッターに突き刺さる炎の弾頭。
紡錘形のそれは振動とともに徐々に全身しつつある。
タイフーンを幾度となく守ってきた空気の壁が、今まさに破られようとしていた。これまであり得なかったことに驚き、魔法の制御が揺らぐ。
慌てて彼女は魔力を再供給し、壁の強化と維持に努める。用意していた魔法を捨て、身を守ることを優先した。そこに余裕などない。
何か恐ろしい予感が胸にあったからだ。
「──グラウンド・ゼロ」
ヒダキの起句に反応し、炎の弾頭が起爆をする。
眩い閃光を撒き散らし、轟音とともに炎がフロアを蹂躙した。
数階層をまとめて吹き飛ばし、衝撃波によってヒダキたちまでをも転がして爆炎が立ち上る。
爆心地は意外と穏やかだった。
炎もなく、煙も晴れていて、さらに静かだ。
まあ、まとめて全部吹き飛んでいるから当然だが。
「か、覚悟決めすぎだろ……」
のそのそと起き上がったスコーピオンはそう溢した。けしかけたのは彼女だが、ここまでやれるとは思ってもいなかった。というか、やりすぎだ。
南関東支部の建物は五階より上が丸々消し飛んでいた。
スコーピオンたちが居たのは八階の支部長室だったことを考えると、巻き添えで転落している。むしろよく、地上まで落下しなかったものであった。
煙の向こうに、周辺の建物の様子が見える。
阿鼻叫喚、と言うべきだろう。
混乱が巻き起こっていた。
瓦礫、熱、煙、炎。全てこの南関東支部から吐き出されたもので、それらが近隣の建造物にまで襲いかかっている。
「テロリストって言われても否定できねーな、これ」
逃げよう。
スコーピオンはすぐに決断した。
きっとこの責任は押し付けられるが、どうせ敵対する相手からの糾弾など怖いものではない。
そう思い立ち上がる。
身体中が軋みをあげる。強固な外骨格によって鎧っていると言うのに、あちこちがひび割れ砕けていた。直撃を避けての結果に、スコーピオンは空恐ろしいものを感じる。
その時だった。
「しゃがめ!」
本能的に。言われたままに、しゃがんだスコーピオンの頭上を何かが通り過ぎた。
風の刃だ。ほんの一瞬前に首があった位置を切り裂いていた。
「……よくも。やって、くれたな」
熾火のように残る炎の向こう、瓦礫を踏みしめてタイフーンが姿を現した。その身体は右側へと傾いでいて、押さえた脇腹には出血も見える。
ダメージは大きい。だがそれで動きを止めることはなく、怒りを燃やしてスコーピオンの奥を見据えていた。
視線の先に立つのはヒダキ。
ストーラをはためかせ、神妙な面持ちでタイフーンを見返す。
「……殺す。ストームブリンガー」
その落ち着きのある態度に苛立ったタイフーンが新たな魔法を発動する。
嵐を呼ぶもの。タイフーンの扱う魔法の中でも上位に位置する強力な魔法だ。その効果は、周囲を覆う嵐の展開。
天候操作魔法である。
黒雲が渦を巻き、ポツポツと雨が降り始めた。
風がびゅうびゅうと吹き、雷鳴が轟き渡る。
ガスマスクの奥で、タイフーンは笑っていた。
鳴り止まぬ雷鳴と荒ぶる風が声をかき消すのも気にせずに大笑する。
強力な魔法の行使に伴う解放感が彼女を満たしていた。
嵐のよって周囲の魔力がタイフーンの色へと塗り替えられていく。実質的に彼女の支配下となったのだ。
この範囲内ではタイフーンの知覚能力や魔法の構築力、魔力の操作精度が向上し、敵対者はそれらが阻害されるようになる。
「逃がしはしない」
烈風が顔を叩く。
ヒダキは嵐の先にそれを見た。
「クラスター・サイクロン・コンフリクト」
複数の小さな旋風が縦横無尽に飛び回っている。
それぞれが内包する魔力は大魔法にも近しい。
スコーピオンの顔から血の気が失せる。
彼女とタイフーンとでは、技量も魔力も魔法の持つ力そのものも隔絶していることを感じ取ってしまっていた。
「手足から、磨り潰す」
情け容赦とは真逆の瞳だ。
ガスマスク越しに鋭く睨み付けたタイフーンは、緩やかに旋風を動かし始める。
なんとも嗜虐的な動きであった。
ヒダキはそこに勝機を見る。
今、タイフーン本体は防御が薄くなっている。魔力の供給も魔法の制御も、周囲を旋回する風の塊にリソースが割かれているのだから。
周囲を魔力的に制圧された痛手はあるが、ヒダキの力であれば瞬間的になら押し返せる。
(最速、最短。かつ最高効率で……)
それが出来れば苦労はしない。
さすがにそこまで都合のよい魔法を持ち合わせてはいなかった。
速さは欲しい。防御が間に合わないうちにぶち抜けるだけの速さが。
早さも欲しい。反応が追い付かないだけのスピードで振り切るのだ。
力押し。
結局、これが一番ヒダキに向いている。
(嵐の影響を押し退けて、強引に魔法を徹す!)
無茶だが最も可能性があるのはその方法だ。タイフーンの攻撃の方が先に届くか、ヒダキの魔法が先に完成するか。分の悪い賭けである。
その時だった。
「おい、アタシが一手稼げばどうにか出来るか?」
スコーピオンだ。
彼女は震える腕を抑えながら、ヒダキに問いを投げてきた。
それはヒダキが欲してやまない、猶予を作る算段で。
ヒダキは一も二もなく頷いた。出来ると。
「ハッ! 死んだら化けて出るからな!」
そう言ってスコーピオンは無理やり笑って見せてから、嵐風の魔法少女目掛けてスタートを切る。
それを見送りながら、ヒダキは魔法の構築と魔力の溜めを開始する。
大魔法一歩手前の魔法を、嵐に阻害されながら展開していく。
「ライジング────」