16:魔法少女だったマイ
髙野マイは魔法少女であった。ほんの一日前までは。
今は変身端末を返還して、戦う力のない一般人に戻っている。魔法少女保護局の登録も解除して実家に帰ってきていた。
これからは普通の学生として生活するのだと決めていた。
それをまさか、もう悔いることになるとは。彼女にしても予想外だった。
髙野マイは優れた魔法少女と言えない。
プライドばかり高く、周囲を威圧して悦に入る。能力も凡庸で、ランクを3まで上げたとは言え、特筆に値するところはなかった。
彼女自身心のどこかで弱さを認めていて、しかしそれを否定したかったために周囲に牙を剥いた。
悪循環である。
引退を申し出た時の職員の目は、一生忘れられないだろう。厄介払いとはあの事だ。
実家に帰ってきたマイは歓迎された。
旅館の一人娘である彼女は大切にされていて、魔法少女になるのも周囲は反対していた。ようやくそれが通じたのだと喜ばれた。
髙野マイは普通の少女に戻ったはずだった。
非日常の住人であり世を守る魔法少女から、ただの学生になったのだ。
力を捨てて、平穏を望んだ。
──だと言うのに。
深夜、悪寒がしてマイは目を覚ました。
時計を確認すれば午前3時を過ぎたところで、起きるにはまだまだ早すぎだ。尿意があったわけではなく、体調が悪くなったのとも違う。
強いて言うならば嫌な予感。
何か不吉なものを感じ取ったのだ。
再び寝付くことが出来なかったマイはそのまま起き続ける。それが功を奏した。
夜間の避難警報に、これが嫌な予感の正体かと彼女は直感した。
家族みんなで避難した高台の公民館からは、何も見えなかった。
何一つ見えやしなかった。その事実がマイの身体を震わせた。
道を照らす街灯も。信号の明かりも。稼働する自販機も。避難しているはずの車も。
いくら夜と言っても、何一つ見えないことはない。曇天だろうと、うっすらと街並みくらいは分かる。地上は灯りに満ちている。
それらは生活の証だった。命の灯火だ。
それらが一つたりとも見えない。
月明かりも、星の光も、白み始めた東の空も。
全てが闇に覆われていた。
慌ててマイが西を向けば、そこには変わりなく夜空がある。
東側が塗り潰したように黒く染まり、ゆっくりとその領域を拡張していく。
マイは終わりの足音を確かに聞いた。
世界は逃亡を許さないと言っているようだった。
「マイ……」
いつの間にかに、ヒカリが傍らに寄り添っている。彼女は顔色が悪い。マイも青い顔をしているに違いない。
いつ戦いに行けと責められるのか。
それが怖かった。
そんなことは出来やしないのに。戦う力などもう無いのに。
ヒカリも同じだ。マイはそう思っていた。
「どうしたらみんなを助けられるかな」
だからその一言に、マイの頭の中は真っ白になった。ひどく裏切られたような心持ちだった。
「ここは危ないでしょ、みんなで逃げなきゃ。
……そうだ! みんなを連れていくのにバス出してもらえないかな。マイの家ならマイクロバスあったでしょ!」
マイは目を見開く。眼球がこぼれ落ちそうなほどに。
傍らにいる少女は、今も青ざめた顔で震えている少女は、しかしマイと比べ物にならないくらい強かった。
芯があった。
折れず曲がらず、事態に立ち向かおうとしていた。
マイにはそれが堪らなく眩しく見える。恐ろしく遠い存在に思える。
それと同時に、何か胸の奥底を焦がすドロドロしたものが湧き上がったのが分かった。
「そうね、言ってみよう」
醜い自分を悟らせないように、マイはヒカリから目線を外して頷いた。
何かを言おうとした少女の言葉を待たずに、窓から離れて避難所の会議室へ歩きだす。
髙野マイは魔法少女だった。
自身の特別性を実証するために、周囲の反対を押し切って活動していた。ランク2に一年足らずで上がったのだから、才能が全くないわけではなかったのだろう。
その中途半端な才能が彼女を苦しめた。
凡庸な自分が許せずに腐り、仲間のはずの魔法少女たちを敵視した。怖がらせ、戸惑わせ、自分の下につけることで、髙野マイの特別さを担保しようとしたのだ。
地元から着いてきたヒカリは、それに困惑しながらも同調していた。
このヒカリも、マイは気に食わなかった。
自分と同郷の魔法少女。
幼馴染みの彼女は、特別であるはずのマイを探せばいる程度の存在に落としてしまう。
目障りだった。
避難するマイクロバスの中で、マイは止められない思考の渦に苦しんでいた。
隠していたはずの醜い己れが、勝手に顔を出してきてしまう。抑え込もうにも抑えきれず、悶々として塞ぎ込んだ。
隣に座るヒカリが心配そうに背をさするが、マイはそれを意図的に無視した。黙り込み、ひたすらにうずくまる。
未明の山道をバスが走る。
筑波山の向こう、西側はまだ被害を受けていない。そこなら安全かもしれなかった。
雨の柱はまだ遠くに見えるが、その進路はやや北よりだ。
山を挟んで反対側にまで逃げることが出来れば、きっと命は助かると誰もが信じている。
揺れる車内で、マイは一人沈んでいた。
この数週間で彼女は打ちのめされていたのだが、先ほどのヒカリが止めになったのだ。
マイではあのように考えることが出来ない。
しかしそれがショックだったのではなく、心のどこかで見下していたことに気付かされたのがショックだった。
いや、それも違う。
マイがショックを受けたのは、見下していたはずのヒカリに勝てる気がしなかった己れだ。
あの瞬間、マイはヒカリに一生届かないと感じてしまった。追い付けないと思ってしまった。
彼女は精神的に負けたのだ。
避難をしているような状況でも、マイの頭の中は自分のことでいっぱいだった。
醜いことに、この期に及んでまだマウンティングが止められない。
マイ自身も良くないことだと考えていたが、あれこれ比較をしてしまう。
どうにかして自分が勝っているところを見つけ出そうとしていた。そうでもしなければ、マイはどうにかなってしまうからだ。
山に沿って走るバスからはまだ雨の柱が見えた。徐々に明るくなりつつある中で、異様に暗いままのそれは人々に被害の大きさを思い知らせ、震え上がらせた。
あれは何なのか。異常気象か、はたまた世界の終わりか。
ニュースで報じられる魔物は精々が人の三倍程度の大きさだ。雨の柱を見て、あれが魔物だと思う住民は居なかった。
だが、マイとヒカリは違う。
埒外に大きな魔物となら、一度遭遇した経験があった。
日立で虚空から現れ出でようとした巨怪と、雨の柱は繋がりがある。そう直感的に察していた。
「くっ……!」
悔しげにヒカリが歯噛みする。
マイはそれをどこか冷めた心持ちで聞いた。
窓の外を眺めながら、雨の柱には勝てないと諦める。格が違う。規模が違う。スケールが違う。
何もかもが違いすぎて、普通の魔法少女では相手にならないだろう。そのように予測を立てた。
髙野マイは魔法少女だった。
しかしこの時、それを完全に捨て去ってしまったのだ。
麓の町にまで雨の柱が到達した。
家を、店を、避難所を押し流していくのが見える。それを置き去りにしてバスは走った。
住民たちは窓からその様子を目撃し、悲嘆に暮れる。故郷の壊滅を見て絶望し、これからの生活に首を垂れた。
声を上げて泣く者も少なくなかった。
多くの避難者が下を向く中で、マイは車窓から外を眺めていた。
彼女はいち早く諦めていたために、今さらショックを露にすることがなかったのだ。
「あ」
思わず声が出た。
後方に消えていく雨の柱、それが崩れたのだ。
雲が吹き飛び、雨がかき消される。
そんな一瞬をマイは見た。
すぐにバスが山の陰に入ってしまい、見えなくなったが確かに目にした。
空から落ちてきた光の球を。
「ヒダキ……」
「えっ?」
何でもないとマイは誤魔化した。
避難するマイクロバスは近隣の旅館が協力して出しました。ヒカリの提案に難色を示した避難者たちは間に合わずに水の中です。
ヒダキからの電話に出たのはヒカリです。バスの提案をする前のことでした。緊張の糸が緩んで泣いてしまいましたが、それからは周りを励まそうと頑張っています。
なお、マイが電話を受けなかったのは、単純に連絡先を教えていなかったからです。