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15:災たる『レーゲン』


 人々が寝静まった深夜。日付けが変わって暫くしてから、"それ"は姿を現した。



 午後2時6分、常陸県霞ヶ浦上空でわずかな魔力震動が発生した。

 それは合図である。

 不規則に、しかしリズミカルに発生させられた魔力の揺れは微かなものであった。


 小さく弱々しいそれは魔法少女たちに察知されぬ規模である。とてもじゃないが、何かしらの被害を及ぼすとは想像もできないような、そよ風にも似た微弱なものだ。

 だがそれでいい。大きくて騒がしいものである必要はない。この魔力震動は直接的な被害とは無縁のものである。しかし間接的に大きな災いを引き起こす。

 彼女たちからすれば、狙った結果をもたらしてくれるだけで十分なのだ。


 魔力震動の目的は、あるものを誘導するためのマーカーであった。




 さざ波に呼応する形で、霞ヶ浦上空では魔力の撓みが生まれた。

 うねり荒ぶり、大きく乱れる魔力の波は、魔法少女たちの気付くところとなる。

 だがもう手遅れだった。

 既に目的は達成され、一山いくらの魔法少女が何人動き出そうと気にするところではない。


 夜空が大きく歪み、ひび割れ、軋みを上げる。

 砕かれた空の欠片が月光を乱反射した。

 半透明のぼやけた影のような何かが、引き裂かれた夜空の向こうから、のっそりとやって来る。


 "それ"は巨大で、歪で、不気味で、直視に堪えなかった。

 百メートルはあるだろう夜空の割れ目から産み落とされた"それ"は、重力に逆らうことなく真下の湖に落着した。


 巨大なぶよぶよとした肉の塊だ。ぬめぬめてらてらと光を反射し、油膜のようなものに覆われている。半透明の巨体は、どこか現実味がない。

 生き物に例えるならば、ウミウシか。陸の上にいることを考えるとナメクジかもしれない。全長が百メートル近くある理解を拒むほどに大きな、油膜によって極彩色に見える半透明のナメクジ。吐き気がするほどに醜悪だった。


 その身体は湖に浸かりながら脱力している。徐々に油膜を広げながら。

 魔力によって汚染しているのだ。周囲を自身に都合が良いように作り替える。日立に出現した巨怪やこのナメクジに共通する災害級の魔物の特徴であった。


 スープを吸った麺のように体積が増していくナメクジは、暫くの間霞ヶ浦に留まっていた。オブジェか何かのようにピクリとも動かず、まるで初めからそこにあったかのように。


 "それ"の出現から十数分して、魔法少女が駆けつけた時にも動くことはなくそのままであった。

 微動だにしないために夜間は視認が困難であり、また危険性を測りかねて少女たちは傍観をしてしまうなどして、そこからさらに30分が経つ。



 初動が遅れたのには幾つもの要因が重なる。


 まず、一目見て危険とは思えなかったこと。その大きさを考えれば甘いと言わざるを得ないが、現場の魔法少女たちはまるで動かない"それ"への対処を後回しにしてしまった。


 それからあまりに巨大なこと。大きすぎて迂闊に手出しするのが躊躇われたのだ。打つ手がないと言い換えることが出来る。通常相手にする魔物はその大きさが一メートルから二メートルほどで、ナメクジはまさに桁違いであった。


 そして魔力による汚染。汚染されたのが人体であれば対処に手間取るが、土地の汚染であれば比較的容易に処理できる。人的被害が出ていない状況では、様子見をしても構わないとされていた。



 上記のものに、さらにタイミングであったり人員の不足であったりとが合わさり、ナメクジ型の魔物は夜が明けてから退治することが決められた。

 この判断が誤りだと言うのは結果論だ。だが、結果が求められる状況で失敗してしまったのだから、保護局の判断は間違いであったのだろう。



 午前3時になる少し前のことだ。

 監視をしていた魔法少女の一人がある変化に気が付いた。


「大きく、なってない……?」


 ゆっくりとした変化であったために気付くのが遅れた。

 ナメクジの背が膨れ上がっている。元が小山のように大きな魔物であるから分かりにくかったが、さらに一回りほど大きくなっていた。


 見上げるほどの高さに、視界の端から端まで届く長さ。小さな丘のようなサイズ感のナメクジは、その背中に魔力を溜め込んでいた。

 すうっ、と半透明な背中に筋が走り、ぶよぶよとした肉が膨張する。


「まさか……、爆発するの!?」


 当たらずとも遠からず。

 筋はそのまま裂け目となり、ナメクジの背中は勢いよく内から開いた。ニキビを潰したように、ぶちゅり、と魔力が吐き出される。

 膿みきったそれは恐ろしい速度で周囲を汚染していく。


 背に溜め込まれていた魔力は一斉に天へと上り、ナメクジの上で雲を形成した。星空が黒雲に覆われ、空気が澱みだす。

 周囲は奴の支配圏に呑み込まれた。


 事態は本格的に動き出す。




 ──クオオォォォォオオォォオオオオォォンンンン……。




 魔力の嘶きは、ナメクジが持ち合わせる唯一の魔法を起動させるためのものだ。空気を揺らし、魔力を震わせ、ナメクジの意志が周囲に浸透する。

 すぐに、黒雲が意思を持つように大きくうねった。



 ポツリ、ポツリ。滴が落ち始めたかと思えば、それはすぐに土砂降りに変わった。さらには、バケツをひっくり返したような勢いから、雨と言うよりは滝と呼ぶ方が相応しいほどに変化する。



 これがナメクジの魔法。雨の柱を召喚し、周囲一帯を圧潰させる破滅の具現。

 雨災たる『レーゲン』の力であった。



 蛇口の水が如く注がれる"雨"に霞ヶ浦はすぐに音を上げた。瞬く間に危険水位を超え、氾濫が始まる。


 この頃になれば魔法少女たちもナメクジの危険性は理解出来ており、保護局からの指示を待たずして攻撃に移っていた。

 だが、届かない。溢れる水と壁のように立ちはだかる"雨"に、魔法少女自身はおろか放った魔法も遮られてしまう。

 ナメクジの巨体を覆って余りある"雨"の柱が、その莫大な水量でもって鎧となっていたのだ。


「ウソ!? ヤバいよッ……!」


 さらに事態は深刻になる。

 ナメクジが動き始めたのだ。


 ゆっくりと、しかし確実に侵攻が開始される。

 "雨"の柱を伴い、西へと進みだす。


 ナメクジはその巨体の重さによってアスファルトを砕き、家々を潰し、大地を抉り、道を作る。そこに"雨"が流れ込み、数分と立たずに川が生まれた。その川もすぐに溢れ返り、あっという間に一帯は水に呑まれていく。



 多くの命が押し流された。



 避難指示はナメクジが動き出す少し前に出されていた。だが、間に合わなかった。

 人が多く住む地域は魔力が高まりにくい土地だ。そうした土地を探して居住地が作られている。

 それはつまり、魔物が現れにくい場所であり、咄嗟の避難に対応出来ない住民が多いということだった。



 水が怒涛となって町を均していく。塀を崩して、電柱を倒し、夜闇に呑まれた町を濁流が好き放題に荒らした。

 高台に避難できた住民たちは、それを眺めることしか出来ない。砕かれた廃材や家の残骸が寄せては返す波に流されてくる。


「こんなことが……」

「今まで魔物なんて出なかったじゃないか」

「俺の、俺の家が」

「父さんっ……!」

「なんだよ、これ」


 鉄をも削る"雨"の轟音に、住民たちの嘆きはかき消される。




 ナメクジは休むことを知らずに雲を生み出し続け、"雨"は蹂躙を止めない。


 わずか一時間。

 未曾有の大水害をもたらした怪物は、その短時間で霞ヶ浦流域の15市町村を平らげた。大水域の誕生である。






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