14:踏まれた地雷、放たれるミサイル
「──やっと出たか、真山ッ!!!」
N4管理棟の屋上で、スマホを片手にヒダキは叫んだ。
コールすること数回、ようやく繋がったことへの喜びと時間がないことへの焦りだ。
常陸県南部は水に沈んだ。
一帯は良くても一メートル、酷いところでは二メートル以上の冠水が発生していると聞く。
あまりの惨事に魔法少女保護局も対応にてんやわんやであった。当然、北関東支部の支部長である真山も忙しくしている人物の一人だ。
彼は、各所への調整に派遣する人員の決定など様々な処理と本部との連絡をこなしながら、さらに平時の業務まで進めていた。魔法少女たちに動揺が広がる中、その性格まで考えて人員配置案に修正を入れていくのは大変な作業だ。
日頃からよく関わりを持っている真山でなければ出来ないことだったろう。
時刻は午前3時に差し掛かったところで、世間一般はまだ今回の事態に対する反応が鈍い。それもすぐにパニックに変わるだろう。
いつぞやの事件とは被害の規模が比べ物にならない。数千、数万の人間が命を。その数十倍の数が住居や仕事を失うのだ。
──激動の時代が来る。
「私を送れ! 今すぐに!」
時代のうねりをどれだけ抑えられるのか。それは初動にかかっている。
打てる手は打つべきだ。日立を放り出すのは心苦しいが、夜明けまではあと3時間ほど。十分に守りきれる。
(いざとなれば、大魔法だって……)
ヒダキに出し惜しみをする気はなかった。持てる全力で対処する。
あと一度までなら使用しても問題ないのだから、必要なら躊躇いなく発動させるつもりだ。
『──お前は待機だ』
そんな彼女が聞いたのは非情な命令だった。
思わず、スマホから耳を離し信じられないような目で見る。聞き間違い、ではなかった。
「……どういうッ、どういうことだ!」
『リスクが大きい。情報が集まってないんだ。いきなりお前を投入は出来ない』
夜明け前ということもあり、人々の多くは寝静まっていた。そこを襲った今回の魔物は広域を一気に破壊したため、規模の割には情報が少ないのだと言う。
報道機関も動き始めているが、何せ関東平野のど真ん中が水没したのだ。交通は麻痺してしまった。
魔力による空間異常で電波も阻害されている。深夜と言うこともあり、SNSでも拡散が遅い。なんなら海外の方が反応しているくらいだ。
唯一可能なのは空からの取材になるが、それも魔物が現在進行形で猛威を振るっている場所に、夜間の視界がない状態では向かえない。ただの自殺行為にしかならないからだ。
真山はヒダキに落ち着けと繰り返し言った。
危険であるのだが、そもそもたどり着くことが出来ない、と。
ヒダキの居る日立から筑波山までは、ただでさえ距離がある。10キロ20キロではない。80キロ以上もあっては歩いて行くことも出来やしない。
ならば車で行くか。それも無理だ。道路は水没している。
『だから待機だ。夜が明けてから先遣隊を送り込む。お前の出番はそこだ』
真山も譲歩している。
ヒダキの電話に出たのもそうだが、先遣隊として送る用意をしてくれているのだ。
彼は彼なりに出来ることをしていた。
(それじゃ、遅いんだよ!!!)
魔法少女保護局北関東支部は下野県の日光にある。常陸県のつくばまではかなり遠い。霞ヶ浦はさらにだ。
距離と交通網の遮断、この二点によって情報の取得は困難を極め、事態への対処を遅らせていた。
内心で吠えるヒダキだが、真山が苦心しているのは理解している。故に声に出さず、胸の内で留める。誰が悪いという話ではない。悪いのは魔物だ。
無力感から拳を握りしめて、彼女は鉄柵を叩く。クワァン、と間の抜けた音がした。
「どうにか、出来ないか。もっと早く助けに行きたいんだ」
絞り出すようにヒダキは願いを口にした。
言っても仕方ないと、理解はしつつも吐き出した。真山を困らせてしまうことは理解している。彼も頑張っているのは承知している。
それでも頼れる相手は電話の先の彼だけだった。
魔法少女には特化型と汎用型とがある。
一つの何かに特化したタイプは、特異なことが可能だ。例えば他者の傷を癒すとか、空を飛んで移動するとか。そうした他の魔法少女にはない特殊な魔法が扱える。
汎用型はそうではない。多くの魔法少女は皆共通のフォーマットに乗っ取って魔法を行使している。自分を治すことも、軽く跳ぶことも、魔法少女であれば誰もが可能だ。
魔法という一つのことを多くのことに利用できるのが汎用型であり、それ故に限界があった。結局は戦いの道具であり、どうあがいても出来ないことは出来ないのだ。
一瞬で自分の傷を癒せても目の前の誰かは擦り傷一つ消し去れない。
どれだけ高く跳べても自在に空は飛べない。
ヒダキは汎用型だった。正確には炎の魔法に特化した汎用型というハイブリッドなのだがそこはいい。結論として、彼女に出来るのは相手を燃やすことだけであった。
長距離を高速で移動できない彼女は文明の利器に頼らざるを得ない。だが今はそれに頼ることが出来ない。八方塞がりだった。
沈黙を破ったのは真山だ。
彼は自身の判断を疑いながらも、一つの賭けに出ようとしていた。
だがその前に、確認したいことがある。
『ヒダキ』
その声に含まれる複雑な色が、ヒダキにハッと顔を上げさせる。
逡巡、嫌悪、動揺、焦燥。全ては読み取れず、また正確に読み取れた自信もないが、ヒダキはそうしたものを彼の声から感じ取っていた。
彼女は続く言葉に耳を傾ける。
『どうして、そんなに必死なんだ?』
真山からの問いに、ヒダキは時が止まったかのように感じた。製鉄施設の稼働音がすっと遠くなり、煌々と照らされているはずの照明が暗くなったように思える。二の句を継げず、ぱくぱくと口を動かした。
あまりにもあんまりな言葉が、緩やかに彼女の脳に染み渡っていく。
ようやっと理解が追い付いた頃には、自然と罵詈雑言を電話の向こうに捲し立てていた。
『待った待った待ってくれ、すまん悪かった。聞き方が悪かった。お前はどうして魔法少女たちを助けようとするのか。それが聞きたかったんだ』
激昂するヒダキをどうにか押し止める真山。
そんなの当然だろう、とヒダキは息を切らして答えた。子どもを守るのが大人の義務だ。
『それはその通りだが、同時に建前だろう。少なくともお前自身の言葉ではない。自分の言葉で聞かせてくれ』
「なんで今になって!!!」
『良いから! 聞かせてくれ』
魔法少女たちと同じ目線に立っている今、ヒダキが頑張らずにいては示しがつかない。何故なら、ヒダキも今や同じ魔法少女であり、それ以上にかつては責任ある大人であったのだから。
「それを投げ出していたら、格好がつかねえだろうが!」
電話口に叫ぶ。
少女とは思えない怒声だが、感情が高ぶり気力の溢れるヒダキには不思議と似合っていた。
──数秒の間を置いて。
『分かった』
『手段はこちらで何とかする』
『先遣隊よりも先に向こうへ送ってやるから』
『後はお前がどうにかしろ』
『ヒダキ』
『任せたぞ』