11:素っ気ない便箋に優しさが込められていた
「──それで、ワカバさんの方はよろしいのですか?」
「えっ?」
とぼけたような表情をするヤヤにヒダキは呆れてしまった。
新人としての研修を担当している先輩が、突然前に組んでいた相手のところへ行ってしまったのだ。見てもらっている新人側のワカバからすれば、自分にどんな不手際があったのかと心配にならないわけがない。いきなり放り捨てられたような不安感さえ覚えているやも。
いや、そもそもそんな真似をされては面白くないはずだ。自分が優先されているという意識は関係性を育むにあたって重要なものである。誰だって自身を蔑ろにする相手と良好な関係を結びたくないだろう。至極、当然な話であるが。
その辺りの機微を無視してヒダキのことを医務室へと運んでくれたのは感謝しかないが、しかしワカバが気の毒だった。
そのように指摘すれば、ヤヤは困ったように笑った。後頭部をさすり、目が泳いでいる。
絵に描いたような動揺ぶりだ。
「……はあ。ワカバさんも大変ですね」
「えっと……。あー、そうかもしれないわね」
ところで、とヤヤが強引に話題を変えた。
いや、引き戻したというのが正しいか。
魔力器官についてヒダキは何か知らないのか。感覚的に理解していることはないのか。そんなことを質問してきたのだ。
ただ、それほど熱心な様子ではない。実際、ヤヤは矛先を逸らすために質問をしただけであり、さして返答に期待をしていなかった。
先ほどの医務室で何も情報が出てこなかったことを踏まえれば、それも仕方ないことかもしれない。
「んー。……思い返すと、なんですが──」
だから、ヒダキの口から心当たりがあるようなセリフを聞いた時、ヤヤは目を丸くした。
肩をビクリと震わせ、ハッとヒダキを見つめる。それに構わずヒダキはどこか遠くを見るようにして、昨晩の記憶を浚う。
(あの時はなんだかんだで必死だったからなぁ……)
一つのことに集中したあまり、他のことが記憶から抜け落ちていた経験はないだろうか。細部が欠け落ち色が抜けた中で、ただ一つだけが強い輝きを放つ。
魔法を行使した瞬間のヒダキにとって、世界はそのように写っていた。余裕があったのは振る舞いだけであったのだ。
虚空より出でた巨怪とそれ以外。世界は明確に区別されていた。
(魔力を捏ね繰り回したのは覚えてんだけど)
ビギナーズラック、という言葉が浮かんだ。
再現性の無いものは科学と呼べないように、だからこそあれは魔法であったのかもしれない。
魔力を圧縮純化させたことはヒダキも覚えている。だがその手法があやふやだった。回すのか押さえるのか潰すのか包むのか。どれも合っていそうでどれもが不正解だった。
あまりにも感覚的な動作であるために理論立てて再現が出来ないのだ。
小骨が喉に刺さったようなささやかながら無視できない不快感に、ヒダキは眉根を寄せて小さく呻く。
「──勘頼りな部分が多すぎて、もう一度撃てるようになるのはしばらく先になりそうですね」
「あら、……そうなの」
わずかにヤヤが肩を落とす。
「ですが、そうそう遅れをとるつもりはありませんよ」
「そこの心配はしてないわ」
「……私が指摘するのも何ですが、そういう反応ワカバさんにしてはダメですよ」
「え? どうして?」
ヒダキはここにいない一人の少女に同情した。
◆
桧田木幸次郎は魔物の襲撃に巻き込まれたことになっている。怪我をして入院し、保護局の管理下に置かれていると親戚や知人、会社に説明された。
魔物の攻撃によって心身を魔力で汚染されてしまった。そんな筋書きが立てられている。
心身の汚染を取り除くために入院が必要で、入院先が保護局の関連施設であり、施設の機密保持のために連絡が制限される。
そのように説明されて書類上の処理が滞りなく進めば疑う者などそう居ない。
社会的な隔離の完了である。
魔法少女養育院に押し込まれたことで、ヒダキの隔離はさらに進んだ。
社会との接触が魔法少女関連に限定されたとも言える。彼女の人間関係は自然と魔法少女が中心となり、ヒダキは桧田木幸次郎から乖離していく。
「……もう、昼かよ」
ヤヤに連れられた強制的な検診の後、ヒダキは養育院の自室で睡眠をとっていた。午後二時、遅い起床である。
日立での任務は夜通しの長丁場であったため、知らず知らずの内に疲労は溜まっており、それこそ泥のように眠った。
初の遠征であり、大魔法の反動もあったのだろう。食事も摂らずに六時間、寝返りもろくに打たなかった。少女としては少ないが、30手前と考えればそれなりに寝たと言えよう。
「こんなところだけそちらに合わせるなよ……」
半端に頭が重かった。
正直に言えば寝足りない。
だが眠気は既に遥か彼方へと去り、今ヒダキとともにあるのは空腹だけだ。
のそのそと起き上がったヒダキは食堂に食べ物を探しに行こうとした。
ドアを開けようとする。
そこで、下の隙間から手紙が差し込まれていることに気が付いた。
(まさかラブレターじゃあるまいし)
下らないことを考えながら拾い上げた彼女は、差出人の名前を見て動きを止める。眠たげだった瞳には光が宿り、立ち姿がシャキッとしてきた。
部屋の奥に戻り、ヒダキは手紙を開いた。
『──さっきぶりだな。医務室にいた魔法少女の大平ミサキだ。どうしても伝えておきたいことがあって手紙にした。君が帰ってから気づいたから遅くなってしまったんだ。
単刀直入に伝えるが、あと二回。それが今回のような大魔法を使ってもまだ取り返しがつくと約束出来る回数だ。それ以上となればどこで限界を迎えるかは分からない。
君の身体は魔力器官への置き換えが進んでいる。それは強大な魔法の行使によって加速するだろう。全身が置き換わった時、君は完全な魔法少女となる。完全に、ではない。完全な、だ。世の魔法少女たちとはかけ離れた存在になると私は考えている。
それがどのようなものになるか。善いものか悪いものかは分からない。だがきっと、君にとって良いカタチになるとは言えないはずだ。
いいか、あと二回までだ。それ以上は保証できない。
ルイーネからの条件は私も聞いている。一年間という約束だったな。計算上、おそらく持つ。今のままなら一年後には元の身体に戻せるはずだ。魔法少女保護局北関東支部主席医官の大平ミサキが約束する。だから、あと二回までだ。それ以上はあのレベルの大魔法を使うな。絶対だぞ』
自然と眉間に皺が寄った。ヒダキの表情が険しいものへと変わる。
こうも念を押されるということは、ミサキからの手紙は確度の高い情報なのであろう。
あと二回。
とれる手段が限定されるとは全く嬉しくない話だった。しかし内容が内容だ。ヒダキはこれに従わざるを得ない。
あの時放った魔法『グロリアスバースト』は、ヒダキとしても負担のかかるものであった。そうポンポン撃てるものではないし、撃つ気もない。
辛うじてそれが救いになるだろうか。
(あのレベル、ねえ……)
一度放ったことでどの辺りから身体に変調を来たすのか、感覚的に掴めたことだけは幸運だった。
そのラインを越えないようにして、魔法を運用していけば良い、はずなのだが……。
一つ不安な点がある。
「これ、成長しないことが前提だろ」
手紙には"今のままなら"とある。現状のヒダキで一年間変わらずに居る想定なのだ。ミサキも分かってはいるだろうが、だからこそ不確定なことを書けずに言葉を濁す形になったのか。
魔力の増減も魔法技術の洗練も肉体の成長も。
全て度外視した予想、いや妄想なのである。
無理だ。
一年間も変化無しだなんてあり得ない。
それを考えれば安全マージンをとる必要がある。魔力器官への置換が自然と進むくらいは備えなければならない。
あと二回も使えば、一年後には戻れなくなっていると考えるべきだ。そうなってしまえば、ヒダキは魔法少女として生きていかなければならなくなる。
(それは嫌だ)
ヒダキが鼻を鳴らす。
ルイーネの思い描くようになってたまるか。
ヒダキは会ったこともない魔法少女への怒りを募らせる。
実質的にあと一度きりとなってしまった大技。使わなければ封印されなかったが、使ったからこそ問題点が浮かび上がったとも言える。
悩ましいことだ。
ヒダキは頭の痛くなる問題に直面しながらも、それをどうにか飲み込んだ。飲み込まざるを得なかった。
(つまり、小技で倒すテクニカルファイターであれば問題なしだな)
いやこれは、諦めにも似た境地である。




