1:日常の終わり
「まぁた、このニュースかよ。軍も警察も何やってんのかねぇ」
テレビを点けながら桧田木幸次郎は鼻を鳴らした。
朝から流れる陰鬱なニュースと治安部隊の不手際に怒りを露にする。トースターに食パンをセットしつつ、彼はコーヒーを淹れ始めた。
朝の情報番組が伝えていたのは3日前に起きた事件のあらましだ。酷い事件だった。あれからずっとニュース番組はその話題で持ちきりだ。
大きな被害が出たことで、細かな状況を知るのに時間がかかったことは分かる。昨日、一昨日の速報時点で酷いものだったのだ。調べてまとめるのにどれだけの労力がいるものか。
そこをきちんとこなしている報道機関には頭の下がる思いだった。まあ、彼らがまともに働くのは魔法少女関連だけだとも思うので、頭を下げるつもりなど欠片もなかったが。
それはそれとして、同じような暗い話題を見続けるのはストレスなのだ。
焼き上がったトーストを齧りつつ、仏頂面でテレビ画面を眺める。少し焦がしてしまっていた。
二重に渋い顔となる。
軍も警察も頼りにならない。
幸次郎は内心でそう繰り返す。だからと言って、彼に出来ることなど有りはしないのだが。
しかしそうと分かっても嘆かずにはいられなかった。
──パシレウス暦2087年6月10日。
つまり今より3日前のことなのだが、ここ5年間で最悪の『アンクライファー』による襲撃が発生した。
死傷者は合わせて80名を超え、対応にあたった魔法少女も3名が死亡した。
『アンクライファー』とは、次元跳躍によって襲い来る正体不明の怪物だ。通常兵器が効果を為さない化け物で、軍や警察組織では太刀打ちできていない危険な存在であった。
何者かのコントロール下に置かれているようなのだが、その狙いが窺い知れていない不気味さが市民の不安を掻き立てている。
この『アンクライファー』に対抗できる唯一の存在が魔法少女だ。
そして幸次郎はこの魔法少女が気に食わなかった。いや正確には、魔法少女を矢面に立てて何も出来ない現状がどうにも許しがたいのだ。
「……にしても、3人もかよ」
ニュースでは今回の襲撃事件で殉職した3人の魔法少女を紹介していた。
その誰もが年若い少女だ。当然のことながら。
15、16、18歳。うら若き乙女の失われた未来に思いを馳せれば、忸怩たるものがあった。
幸次郎の口の中に苦いものが広がった。刺すようなそれを、コーヒーで上書きする。
誤魔化しに意味はなく、苦いものは苦いままであった。
いつの間にか話題は変わり、動物園でのモルモットレースの紹介となっていた。
この風邪をひきそうなほどに大きな話題の寒暖差はどうにかならないものか。八つ当たりにも近い不満を幸次郎は抱く。
それはすぐにトーストと一緒に腹の中へと消えていった。
通勤中に見たネットニュースも、出社してからの雑談のネタも、みんな3日前の襲撃の件であった。
魔法少女が3人も亡くなったのはセンセーショナルだからだろう。彼女らが殉職するなど滅多に聞かないのだ。
幸次郎としてはあまり面白いものではない。死者を話題にする時は、もっとこう厳かに、敬意をもって話すべきだ。興味本位でほじくり返すのは好かないのである。
特に、3人の内の1人が新人であったというのは悲しむべきことだ。だから死んだのだとか、それこそ2人の先輩を巻き添えにしたとか、あれこれ勝手な言い様には苛立って仕方なかった。
──魔法少女。
幸次郎が子どもの時分には、既にその存在を社会の中で確立していた存在。
魔法と呼ばれる不可思議な力で『アンクライファー』と戦う彼女たちは、一般には情報を公開していない。
だから、幸次郎の抱く思いは的外れであるのかもしれない。
それでも彼は、幼気な少女たちに命を懸けさせる社会が気に食わなかった。
そして何よりも、そんな社会でのうのうと暮らしている幸次郎自身のことが。
「あれ桧田木先輩、まーたイライラしてんですか?」
「真山か……」
「カルシウム足りてないですよ」
煮干し食べます?
そう言って真山は、手にしていた小袋を幸次郎に渡した。交換するように幸次郎もデスクからグミを取り出し真山へと渡す。
それらは上司から見えないようにこっそりと行われた。
にこにこと笑うこの真山という男は、幸次郎のよく出来た後輩だ。近すぎず遠すぎない4歳差という年齢差が良かったのだろうか。中々に馬が合い、昼食をともにしたりお菓子を融通しあったりしている。
幸次郎のやや尖った思想を理解しているのは彼くらいだろう。
「魔法少女っすか。ああ、3日前の」
「……ふん」
「なーに、鼻なんて鳴らしてんですか。アラサーの先輩がやっても可愛げないですよ。にしてもホント嫌いっすよね、魔法少女」
「うるせぇよ。それから別に嫌ってはないぞ」
真山はからかうように笑った。
そう、本人の言う通り嫌っているわけではないのだ。むしろ好きすぎて社会の歪さが許せないのだから、幸次郎は実に生きづらい性格をしている。
真山は真山で、この気難し屋の先輩が気に入っていた。無駄に気を揉んでいて生きるのが下手くそな先輩に懐いていると言って良い。
今日もそうだ。どうにも出来ない問題に本気で腹を立てている。割り切って面白がれば良いのに。そう思ってもそれは決して口にしない。
それを言えば最後、幸次郎は真山を軽蔑するだろう。心を持たない人非人のように見てくるに違いなかった。
「はー、先輩はホント優しいっすよね」
「どこがだよ」
そう言うところだと納得するまで諭してやりたかったが、生憎と仕事中だ。上司の視線が厳しくなりつつあることを悟った真山はそそくさと席へと戻る。
幸次郎はその様子を見ると、平然と仕事に戻っていった。
定時を少し過ぎてから仕事に区切りをつけた幸次郎は、1人席を立った。
真山は書類とにらめっこしながら電話をかけている。缶コーヒーをデスクに置いてやって、まだ人の多いオフィスを出た。
日が暮れ始めた道を歩き、電車に乗り、家へと帰る。途中でスーパーに立ち寄り、惣菜を少しばかり買った。
レジ袋を手に提げ、狭い路地を歩く。
幸次郎が家の近くまで来た頃になると、さすがに日も落ちて薄暗くなっていた。
時刻は午後七時になる。
こう早く帰ってこられたのは珍しいと言って良かった。いつもならば席を立ったタイミングで何かしらの邪魔が入るものだが、今日は運良く声をかけられることなく済んだのだ。
アパートメントの階段を上り、2階にある自室の鍵を開けようとした時。幸次郎の視界の端を何かがかすめた。虫だろうか。
そちらに目線をやるも、何も見えない。
薄暗がりに建ち並ぶ家々くらいしかなかった。
気のせいか。幸次郎はそう思った。
その時、彼の耳に何かが聞こえた。今度は気の迷いでも勘違いでもない。
──それは間違いなく、少女の叫び声だった。