第72話 存在
朝起きると母さんから不在着信の通知がきていた。
昨日は、急遽取引先の契約関連で呼び出され、帰りが遅くなってしまったのでだいぶ寝過ごしてしまった。
(せっかく草太と帰れると思ったのに)
何回このセリフを思ったかわからない。
雰囲気的には、まだあの2人は付き合い始めた感じはしない。
あの後、草太は告白したのだろうか。
応援したい気持ちもあれば、阻止したい気持ちがせめぎ合っている。
もしかしたら自分にもチャンスがまわってくるかも、なんてまだ夢をみたいと思ってしまうのだ。
俺は寝ぼけ眼で、母に折り返す。
「母さん、朝からなに」
電話口の母からの言葉に、俺は一気に目が覚めた。
「え、草太が!?」
俺は急いで身支度を整えると病院へ向かった。
病室に駆け込むと、草太はベッドの上で起き上がっていた。
「草太、大丈夫なのか!?」
「陽介、来てくれたんだ」
思ったより元気そうな様子に俺はほっとする。
「それで大丈夫なのか?」
「うん、まだちょっと痛いけど」
「よかった…」
草太は脇腹を手で押さえる。そこが刺された場所らしい。
俺は荒い息を抑えつつ、ベッドの横にある椅子に腰掛けた。
「刺されたって聞いたけど」
「うん、昨日会社から中城さんと帰ってたとき、女の人が突然彼女を刺そうとしたんだ」
「お前、まさか中城さんを庇って…」
「うん、咄嗟に身体が動いてた」
「くそっ、俺もその場にいれば…」
「陽介…ありがとう」
俺だっていざとなれば草太を守れる自信はある。
でも、それよりも、俺にとって草太がそうであるように、草太にとって彼女がそういう存在だと嫌でも感じてしまう。
「朝、警察の人が来て、その人捕まったって。週刊誌に載ってた由井社長との記事を見て、中城さんに逆恨みしてたらしい」
「…そうか、早く捕まってよかったな」
「うん」
こんなときに聞いてもいいものだろうか。
中城との関係が変わったかどうか。
最近はお互い忙しく、なかなか草太と2人で会う時間が取れていない。
「陽介?」
「中城さんには…その、まだ言ってないのか?」
「うん、まだ。次に会ったとき告白しようと思ってる」
心が決まっているのか、その言葉に迷いがなかった。
その表情に、その言葉に、俺はしがみついていた崖から落ちるような感覚に陥る。
「俺さ、今回のことでやっぱり中城さんが好きだって改めて思ったんだ。彼女を守れてよかったよ」
「そう…か」
(あぁ…もう…ダメなんだな…)
ノック音が鳴ると看護師が申し訳なさそうに扉口に立っていた。
「そろそろ検診の時間なので…」
看護師は部屋には入らず、俺が出るのを待ってくれているようだ。
「じゃあ俺、そろそろ帰るな。お大事に」
俺は帰り支度の動きを止める。
「どうしたの?」
言ってしまおうか。
今なら言えそうだ。
いや、言わない方がいいか。
揺らぐ。
困らせてやろうか。
俺のことを見もしないくせに。
ずっと俺が守ってきたのに。
また嫌な俺の囁きが大きくなってくる。
俺はもう一人の自分を追い払うように口を開いた。
「いや…頑張れよ」
結局、俺は臆病者の意気地なしだ。
嫌な自分がした言動で草太に嫌われるのを恐れている。
もし伝えたら、草太が俺のことをちゃんと考えてくれるかもしれない。
でも、今の草太には好きな人がいる。
そんなことを言えばきっと草太は困るだろう。
俺のこと、中城さんのことを。
でも、俺の独りよがりになってはいけない。
この想いはこのまま胸に秘めたままでいい。
俺は体のいい言葉だけを並べて、草太を守った気でいるだけ。
だから、何もできない。何もしてやれない。
そんな俺を俺は嫌いだ。
「陽介、ありがとう」
「え?」
「陽介がいてくれたから、こんなふうに誰かを想えるようになったんだよ。昔の俺からしたら考えられなかったよ。だから、ありがとう」
◆
奥村の部屋へやってきた看護師が怪訝な顔でこちらを見る。
私は慌ててエレベーターに向かって引き返した。
聞いてはいけない会話だった気がした。
しばらくすると前野が病室から出てきたので、彼をやり過ごすことにした。
今、鉢合わせしたら知らない振りができるかわからない。
奥村がついに彼女に告白をする。 そう思うだけで心臓の鼓動が速くなった。
すれ違う前野は、嬉しそうな、泣きそうな、今まで見たことのない横顔だった気がした。
「あら、中城さん?」
振り返ると、奥村の母親の姿があった。
私は慌てて姿勢を正す。
「こ、こんにちは」
「草太のお見舞いに来てくれたんですか?」
「あ、はい」
私は手土産のフルーツを差し出す。
「あの、これ、大したものじゃないですが…」
「あらあら、わざわざありがとうございます」
「ぜひ草太とも会っていて。今朝、目を覚ましたんですよ」
「え、いやでも…」
「草太もきっと喜ぶわ〜」
そう言って病室に向かう彼女の誘いを断ることができなかった。
再び病室を前にしたが、今度は中にまで足を踏み入れる。
「中城さん!」
「お、お疲れ様です…」
元気そうな奥村の姿に安心する。
昨日の姿が嘘のようだ。
「これ、中城さんがくださったのよ」
フルーツをサイドテーブルに置きながら彼の母は言った。
立ちすくむ私に、見かねた彼女が椅子に座るように促す。
「じゃあ、草太。着替え、ここに置いておくから」
「うん、ありがとう」
「また夕方くらいに来るわね」
「うん」
病室を出ようとする奥村の母が扉の前で足を止める。
「あら」
「どうしたの?」
「また扉開いてるわ」
「あぁ、なんか建て付けが悪いらしくて、しっかり閉めないと開いてくるんだって」
「まあ、そうなの。あ、じゃあ中城さん、ごゆっくり」
「あ、ありがとうございます」
扉はバタンと閉められた。




