第70話 バレンタイン
今日はバレンタインデー当日。
同僚たちも心なしか落ち着きがないようにもみえる。
私はそわそわと浮ついている高須のもとへ向かう。
「高須くん、これバレンタインのチョコ」
「中城さん!ありがとうございます!開けてもいいですか?」
「どうぞ」
彼は手にしたチョコを美味しそうに食べる。
そして、隣に座る友香に何度も視線を送りアピールする。
彼女は軽くため息をつきながらも、彼の欲するものを取り出した。
「はい、これ」
「うわあ!安達さんのチョコ!ありがとうございます!」
「そんな大げさな…。あ、これ義理チョコだから。勘違いしないように」
小躍りしながら喜ぶ高須の耳には届いてなさそうだ。
友香は彼の様子に呆れながらも、その表情は優しい笑みを含んでいた。
私は奥村と前野にチョコを渡すために連絡をする。
だが、2人とも今日は仕事が忙しいらしく抜け出せないとのことだった。
私は別日でもと伝えたが、彼らから今日退勤後に会おうと返事が来た。
友香は夜に予定があるらしく、また別の日に渡すと伝えていた。
仕事が終わり、私は会社のエントランスで待つことにした。
帰宅する社員たちの中に彼らを探すが、なかなか見当たらなかった。
ちらっと紙袋の中を覗く。
3人で会うということは、2人に揃って渡すことになる。
赤色の小袋の出番は残念ながらなさそうだ。
自分へのご褒美チョコにでもしようかと思っていたところに、前野がエレベーターから降りてくる。
「お待たせ」
「前野さん、お疲れ様です。すみません、わざわざ」
「全然いーよ」
「あの、これ、大したものではないんですが…」
私は小袋の1つを彼に渡す。
彼は包みを取り出すと嬉しそうに笑う。
「おぉ、これ有名なとこのチョコじゃん!ありがと」
よく見ると、彼の手に持つ袋のバッグの中にはバレンタインチョコと思しきプレゼントが溢れんばかりに入っていた。 取引先も含め、色んな女性からもらうんだろうなあと他人事に思う。
モテ男の宿命と言うべきか。
全部食べるのは大変かもしれない。
その一つに自分の分も加わると思うと、申し訳なかった。
そこに仕事を終えた奥村が合流する。
「お疲れ様です」
「奥村さん、お疲れ様です」
前野は胸ポケットからスマホを取り出す。誰かから着信のようだ。
手で「ごめん」の合図を送ると同時に電話にでる。彼は私たちに気遣って、背を向けながら少し場から離れた。
何やら慌ただしい会話をしているようだ。
電話を切ると、ため息混じりに戻ってきた。
「わり、呼び出しくらった。ちょっと戻るわ。2人ともまた」
「あ、はい」
「うん」
去り際にこちらを見つめる前野はどこか名残惜しそうに感じた。
せっかく3人で帰れると思っていたところで仕事に戻るのだから当然といえば当然だ。
いや、それよりも――
(2人きりになっちゃった…。3人で会うから義理チョコの方を渡そうと思ってたのに…。いや、これなら特別だってわからないか)
私は紙袋の中から赤い袋を取り出すと彼に手渡す。
「奥村さん、これ…」
「ありがとうございます!あれ…?」
「え、なにか変なところありました!?」
「あ、いえ、すみません。陽介が持っていたものと違ってるなって思っただけです。もしかして、それぞれ違うチョコを用意していたんですか?」
(奥村さん、するどい…)
違う店で買ったので、当然包装も中身の大きさも違う。
私は思いつきの言い訳を慌てて並べる。
「あ、いや、これはクリスマスプレゼントのお礼も兼ねてるので他の人とは別というか…」
「じゃあ、僕だけ皆と違うチョコなんですね…」
(改めて言われると恥ずかしい)
「お礼なんてよかったのに、って言いたいところですけど…すごい…嬉しいです」
慈しむように眺める奥村を見ると、つい嬉しくなる。
(勇気を出して渡してよかった…)
「喜んでいただいて嬉しいです…!」
会社を出ると、キンと冷え切った空気が身に刺さる。
彼の様子を窺おうと視線を送る。だが、彼と偶然目が合う。
なぜか咄嗟にお互い顔を逸らす。
頬が熱を帯びる。
意識してはいけないのに。
そうは分かっていても、彼のことが気になってしまう。
彼はゆっくりと立ち止まるので、私もつられて足を止める。
「あの、この前話せなかったことなんですが…」
この前、というのは火事騒ぎで話せなかったことだろうか。
由井との騒動があったので、すっかり忘れていた。
すると通行人の女性が突然割って入ってくるように声を掛けてきた。
「あの、中城さんですか?」
「え、はい。そうですけど…」
(誰だろう…)
ゆらりと佇む女性だが見覚えはなかった。
俯く女性がやや顔を上げる。
長い髪の奥からにやりとした笑みがみえた。
その笑顔はどこか狂気に満ちていて、思わずゾッとした。
「やっと…見つけた…」
すると、彼女は鞄から何かを取り出した。
ソレに街灯の光が反射する。
なんだろうか。
現実感のない光景だった。
もしかして私は包丁を向けられているのだろうか。
「よくも薫様を…この泥棒猫が!!!」
勢いよく女が突進してくる。
逃げなきゃと分かっているのに足がすくんで動かない。
「中城さんっ…!」
私の視界を覆うように黒い影が現れる。
ドサッ
明るくなった視界の奥で女が走り去って行った。
ほんの数秒の出来事。
さっきまで私の隣を歩いていたはずの奥村が横たわっている。
彼の腹部から赤い液体が流れ出ていた。
奥村が私を庇ってくれたんだ。
私は震える手を彼に伸ばした。
「奥村さん!!!!」
これが夢であれとただ願った。




