第57話 帰路
オフィスに戻り、部長に報告を終えると友香と高須がやってきた。
「大丈夫だった?」
「うん、どうにか。前野さんが上手く話してくれて助かった」
「さすが陽介先輩!」
「で、企画の方は大丈夫そうなの?」
「うん、たぶん。なんとなく思うところがある」
「そっか。助けがいるときはいつでも言ってよ」
「力になりますよ!」
「うん、2人ともありがとう」
由井から言われたとおり、水橋屋の財津という人から、今回の企画の予算や目標数値などが細かく記載されたメールが送られてきた。
私はそれを基に水橋屋の企画資料の作成を始める。
資料の方向性も決まっていたので、リズムよくキーボードを叩いていく。
気づけば定時を過ぎ、オフィスには人もまばらだった。友香と高須の姿もなかった。
私は社員の往訪先が書かれているホワイトボードを見る。
友香は取引先との打ち合わせから直帰、高須はセミナーから直帰と記載されていた。
そろそろ帰ろうか、もう少し進めようか悩んでいたところに、オフィスの扉がゆっくり開いた。
「中城さん」
「あれ、奥村さん」
扉から顔を出した奥村と目が合った。
心臓の鼓動が速くなる。
化粧直ししておけばよかったと後悔する。
そのまま彼は私のもとへと歩み寄ってくる。
コートと鞄を持っているところから、退勤後なのだろう。
この光景はデジャヴな気がした。あれはお菓子博覧会の時だっただろうか。
「奥村さん、どうしたんですか?」
「中城さんに会い…あ、いや、心配で。今日あの社長と会うって言ってたので」
恥ずかしそうに答える奥村。
わざわざ心配して来てくれたのか。
いつも気にかけてくれる彼の優しさが嬉しかった。
「そんな…ありがとうございます。でも今日は大丈夫でしたよ。前野さんがいましたし。由井さんに変なことをしないっていう約束もしてもらいましたし」
「よかった…」
安堵の表情を浮かべる奥村。
私は思わず彼から顔を背ける。
これ以上、彼を見てはいけないと本能が告げていた。
「どうしたんですか?」
「あ、いえ、目にゴミが入ったみたいで…もうとれました!」
奥村はPC画面に視線を向ける。
「今は水橋屋の資料作りですか?」
「はい!方向性はできたので、明日くらいには初稿ができそうです」
「もうですか?すごいですね…!」
「奥村さんはもう帰るところですか?」
「あ、はい」
「じゃあ私もそろそろ帰ろうかな」
「あ、いや、続けていただいていいですよ。僕は少し寄っただけなので」
「キリのいいところだったので、お気になさらず」
彼と一緒に帰りたい、なんて打算がないとはいえない。
先輩として後輩と帰るのは普通のことなはずだ、と自分に言い聞かせる。
私は手早く帰り支度を済ませると、奥村と共にオフィスを出た。
マフラーに顔を少し埋めるが、それでも寒気がすり抜けてくる。
時折、お互いのコートの裾が掠る。私は当たらないように少し距離をとる。でも、また当たりたいなんて思ってしまう。
こんなことですら嬉しかった。
いつもの帰り道が違う道のように感じる。
何でもない短い会話を少ししては会話が途切れる。
でもこの静けさは嫌じゃなかった。むしろ心地がいい。
横目で奥村を見ると、寒いからかほんのり鼻が赤い。白い息を纏いながら正面を見据えている。
こんな時間がずっと続けばいいのに、とふと思う。
でも、そもそも彼とは年齢が6コも違う。
恋愛対象の相手としては厳しい範囲だろう。現実を見るべきだ。
私はこうして同じ会社の先輩として一緒にいたり、話したり、笑い合ったり、そんな時間が少しでもあれば満足なのだ。
視界を地面に戻すと、横からの視線を感じた気がして奥村を見ると視線が交わった。
何も言わず、お互いただ見つめ合う。
(好きだなあ…)
思わず口に出そうになった独り言にハッとする。危うく自らの決意を一瞬で水の泡にするところだった。
私は何か話さなければと焦り始める。
「「あの…!」」
二人の声が重なると、お互い照れ笑いを浮かべる。
「中城さんからどうぞ」
何も考えついてなかったのに声を発してしまったことに後悔する。
咄嗟に思いついたのは彼の恋愛事情の進捗だ。
「いえ、あの、その奥村さんの好きな人とは上手く言ってるのかな〜ってふと気になっちゃって」
聞いてからさらに後悔。
彼女と上手くいっていると聞いたとき、私はちゃんと応援してあげられるだろうか。
もし上手くいっていなかったら、私は嬉しいなんて思ってしまうのではないか。
自分の本心をちゃんと抑え込めるだろうかと不安になる。
「どうなんでしょう。心配事はあります…。でも彼女の力になれるようにとは思ってます」
彼の言葉に彼女への思いやりを感じる。
気持ちを押し殺し、彼に笑顔を向ける。
「そう…なんですね。私が言うのも、もう変ですけど頑張ってくださいね!」
「ありがとうございます」
私は話題を切り替えるように彼に尋ねる。
「奥村さんの方は?」
「え、え~と、なんだったかな」
「忘れちゃったんですか?」
しっかり者の彼にしては珍しい姿に、可愛らしさを覚える。
すると、彼は思い出したかのように話を切り出した。
「あ、いや、そうだ。由井さんの件で力になれることがあれば遠慮せず言ってほしいなって思って…」
「ありがとうございます。何かあったら連絡しますね」
「はい、1番に駆けつけますから」
意気込む彼への優しさをこれ以上私に向けさせてはいけない。
それは好きな人のために向けるべき感情なのだ。
「ありがとうございます!でも自分の恋は最優先ですよ!」
「それは…もうもちろんです」
私たちは駅に着くと、それぞれの帰宅の道を辿る。
別れが惜しいなんて思ってしまわないように、振り返らずに真っ直ぐと歩いた。




