第55話 顔合わせ
私と前野はプロモーション部の会議室に由井を迎え入れ、改めて挨拶をする。
彼に会うのは水橋屋のとき以来だった。
いざ由井と向かいあうと緊張と不安を感じるが、表に出さないように、笑顔、笑顔と何度も心の中で呟く。
今日はオフィスであるし、先日のようなことは起こらないはずだ。コトが大きくなれば、世間の目に晒されるリスクもある。さすがに由井もそれは望んでいないはずだ。
今日は最初から隣に前野がいることも安心材料の1つだ。
事前に由井の来訪のことは奥村たちに話していた。彼らも、いつでも加勢に行きますと声を掛けてくれたので心強かった。
由井のコートの下は大人らしいシックなコーディネートだ。
着物姿のイメージが強かったので意外だった。
「わざわざお越しいただいてありがとうございます」
「いえいえ、たまたま近くに来ていたので」
由井は私たちを見据えながら笑いかける。
小雨が降り続いているが、彼の服は濡れていなかった。
ここまで車で来たのかもしれないな、とふと思う。
「お二人にご担当いただけて嬉しいですよ」
穏やかな由井に対して前野は険しい表情を浮かべている。
彼に対して機嫌をとるような対応をするつもりはないようだ。
会議室の空気がヒリついている気がする。
由井も察しているのか、前野の発言を待っているようにみえた。
「なんで俺たちを指名したんですか?」
「おや、何かご不満ですか?」
「そりゃあそうですよ」
「中城さんは元々縁があったことに加えて、今年のお菓子博覧会を成功に導いた実績をお持ちですし、前野くんはそうですね、面白いから…ですかね」
満面の笑みを浮かべる由井。前野をからかっているようにみえる。
「そんな理由で呼びつけないでください。そもそも俺は営業部なんで、こちらに参加するなんてできないです」
由井の態度に神経を逆撫でされるのか、苛立ちを抑えきれなくなっている。
言葉の端々に怒りが籠もっていた。
「でも今日は予定を空けてくれたんですね」
「その断りをいれるために来たんですよ」
「なるほどなるほど、ではこうしましょう」
由井は子どもをたしなめるように優しい口調で話す。
「この企画が上手く行けば、水橋屋と繋がりのある会社を紹介しますよ」
「え?」
「私からの紹介であれば、相手方もよくしてくれると思いますよ。それを前野くんの実績として挙げればいい。いわゆるこれも営業活動ということですよ」
沈黙が流れる。
横目で前野を見ると、歯を食いしばって由井を睨みつけていた。
水橋屋の紹介であれば、案件としては大きなものが見込めるだろう。
由井の相手をすることと自分の営業成績を天秤にかけているのかもしれない。
前野は怒りを鎮めるように大きく息を吐く。
「…この前みたいな突然迫ってくるみたいなのはナシにしてくれるんなら俺はいいですよ」
「おや、断りを入れたらいいんですか?」
「んなわけないでしょ。でも、どうしてそこまでするんですか?」
もっともな質問だ。
そこまで由井が前野に拘る理由があるのだろうか。
「さっきも言ったじゃないですか。面白いからですよ」
由井は組んだ指の上に顎を置く。
見上げられるような視線を向けられる。
「まあそうですね、もう少し付け加えるとしたら、私は家柄や地位のこともあり、周りにはゴマをすりにくる連中ばかりでね。話しててつまらないんですよ」
私は瞬時に野上部長のことが頭に浮かぶ。
「でも、君たちとなら楽しい時間を過ごせると思ってね」
なんとも自由奔放な御方である。
面白いからなんて理由で振り回されたらたまったものではない。
前野は深いため息をつく。
彼も由井の変わらない態度に諦めたようだ。
話題を切り替え、私を指し示しながら告げる。
「こちらの中城についても同じですよ。俺らには変なことはしない、それが我々が担当を引き受ける条件です」
由井が語った私たちを指名した理由から、この条件を断ることはないと踏んだのだろう。
由井の顔を覗き見ると、口もとを緩ませると静かに頷いた。
「いいでしょう」
「さっきの紹介の件も忘れないでくださいよ」
「もちろんです」
私が口を挟む余地がないほどのやり取りだった。前野は営業でこういった駆け引きをしているのか、物言いに淀みがなく頼り切りになってしまった。
話が一段落したところで、由井は突然立ち上がる。これから打ち合わせに入ると思っていたので、私たちは目を見張る。
「では、行きましょうか」
「え?」
「親睦を深めるための食事ですよ」
「行くと思ってるんですか?」
前野が呆れたように言葉を返す。
由井は気に留めていないのか、そのまま会議室を出ようとする。
「冗談ですよ。食事といっても競合調査ですよ」
「競合調査?」
「うちのライバル店とでもいいますか。そこに客を奪われているんですよ。なので調査に行きましょう」




