第50話 会食
由井薫は美味しそうに日本酒をひと口飲む。
庭園にあった鹿威しが、カコンっと音を鳴らす。
「中城さんは、今お付き合いされてる方はいらっしゃるんですか?」
◆
「部長、明日会食なんて聞いてないんですけど」
由井と別れ、3人でオフィスに戻るなか彼に問い詰める。
「まあまあ、中城くん、そう言わずに。君も知ってるだろう。水橋屋がお得意様になったら、うちの業績も安泰なんだよ」
「そうかもしれないですけど…」
「それに彼、かっこいいし良いじゃないか。お近づきになれるかもしれないよ?」
そういう話ではないと思ったが、これ以上言っても覆らないと感じ反論するのを止めた。
由井がかっこいいというのは否定しないが、どうも気乗りしなかった。
そもそも断られた見合い相手と話したいと思うものだろうか。自分で言うのも情けないが、私にそれほどの魅力があるとは思えなかった。
「明日の夜は何か予定があるのかね?」
「まあ、特にあるわけじゃないですけど…」
野上部長の目論見通りというのは癪だが、部署の業績もかかってるので私情を挟まず参加することにした。
業務を終えた私は、明日の会食に向け事前に水橋屋や和菓子の知識を勉強することにした。
付け焼き刃には違いないが、ないよりはマシだろうと考えた。
「由井薫」と調べるといくつかインタビュー動画や記事が出てきた。
どの記事にもイケメン社長や和菓子界の貴公子などと表現されていた。
メディアには基本的に彼が対応しているようだが、和菓子職人ではないようだ。
その役目は主に弟の真が担っているようだ。
歴史を遡れば、創業はもう100年近い。
社長は代々、由井家が引き継いでいる。所謂、世襲制のようだった。
和菓子についてもある程度調べたところで、私は仕事を切り上げた。
翌日。
相手を待たせるわけにもいかないので、私たちは待ち合わせ時間よりも早く、会食の店へ向かうことにした。
目的地は日本家屋を改装している本格的な料亭だった。
野上部長が由井に合わせて豪華な場所をセッティングしたのだろう。
豪邸のような広々とした石畳の玄関に、着物を着た女性が待ち構えるように立っていた。
部長が女性に名前を告げると、お待ちしておりましたとお辞儀をした。お手本のような美しい所作からも、ここが高級料亭だということが伝わってくる。
靴を脱ぐと、彼女の案内のもと和室に通された。
正面の窓からは小さな庭園のような風景が静かに広がっていた。
鹿威しに小さな池、周りには枯山水を感じさせる砂紋が描かれている。
ここが都会の真ん中であることを忘れてしまいそうだ。
私たちは背もたれ付きの座布団に座り、由井が現れるのを待った。
待ち合わせ時刻ぴったりに、部屋の襖が滑らかに開けられた。
そこには昨日とは違う藍色の着物を着ていた由井の姿があった。向こうは一人でやってきたようだ。
簡単な挨拶を交わすと、仲居と思しき女性が食事の準備を進める。
次々と運ばれてきた会席料理は豪華すぎるほどだった。
刺身、揚げ物、小鍋などどれもとても美味しかった。値段を聞くのも怖いくらいだ。
接待でもなければ訪れることはないだろうが、味を楽しむという点では接待以外で訪れたかった。
私たちは終始、由井に気持ちよく会話をしてもらうために気遣いながら話していた。
契約に関した話はせず、専ら彼の仕事の話や和菓子についての話題だった。
酒に弱い野上部長もだいぶ抑えめに飲んでいるので、いつもの悪い癖は見られなかった。
我々の努力の甲斐あって、彼も程よく楽しんでいるようにみえた。
それに床の間を背に着物姿の由井はとても絵になるなと感じる。
野上部長がお手洗いのために席を立つと、由井と部屋に残された。
楽しそうに話していた彼が急に静かになる。
「つかぬことをお伺いしますが、お見合いを断られた理由は何でしょうか?」
途端に酔いが覚めるほどの緊張感に襲われる。
野上部長が席を離れたからか、思いもよらぬ質問だった。
どうして、と言われたら、特別な理由はなかった。
あのときは前野から一種の告白に近いことを言われていたので、そのことで頭がいっぱいになっていた。
それに結婚を前提とするようなお見合いに前向きになれなかったのもあった。
「お見合いについては母が進めていたことなので、私はそのことを知らなかったんです。それに私自身はあまりお見合い自体に前向きになれなかったので…」
私の答えに彼はにこやかな笑顔をみせる。
「中城さんもなんですね、実は私も同じなんですよ」
「そうなんですか?」
「はい、母は今名古屋に住んでいるのですが、私がまだ独身でいることを気にしているようで、私には言わずに結婚相手を探していたようです。ご迷惑をおかけしました」
頭を下げる由井を慌てて制する。
「いえ、そんな…!由井さんが気にすることではないので…!」
顔を上げた彼は穏やかな笑みを浮かべる。
張り詰めていた空気も緩和されたように感じた。
「自分で言うのもなんですが、女性に今まで断られたことがなかったので、中城さんに少し興味があります」
「え…」
かなりの自信家のようだ。
たしかにこの容姿であれば、女性に困ることはないだろう。
いや、それよりも興味がある?私に?
そんなにモテるのであれば私に構う必要はないだろう。
彼は喉を潤すように日本酒をひと口飲む。
庭園にあった鹿威しが、カコンっと音を鳴らす。
「ちなみに中城さんは、今お付き合いされてる方はいらっしゃるんですか?」
「え、いや、いないですが…」
「そうですか、それはよかったです。せっかく会えたのも何かの縁だと思うので、これからも仲良くしていただけると嬉しいです」
どうも彼が何を考えているのかがよくわからなかった。
彼の考えがどうも読み切れないうちに、野上部長が戻って来る。
このまま2人でいるのも耐えられなかったので助かった。
「どうですか?盛り上がってますか?」
「野上部長、中城さんに是非うちの和菓子を食べに来ていただきたいのですが、いいでしょうか?」
「ええ、ええ、是非!」
「よければ近いうちにいらしてください」
彼の言葉に、私は苦笑いで返すことしかできなかった。
私に選択権のない会話は止めてもらいたいなと、私は心の中で呟いた。




