第13話 立候補
「あれ、中城さんじゃん」
休憩スペースの入口に前野陽介が立っていた。
彼に会うのは、ビアガーデンを後にした時以来だ。
「前野さん…お、お疲れ様です」
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「もしかして前野くん、翔子のこと好きなんじゃない?その奥村くんって子と仲良くしてたのに嫉妬したんだよ!」
「そういう感じじゃない気がするんだよね~。何か聞きたいことがある感じだし」
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先日の友香との会話がかよぎる。
まだ前野にどう接したらいいのか心構えができていない。
いや、正確には考えることを後回しにしていたのだ。
彼はどういう気持ちなのか、何をしたいのか。
私の心情とは関係なく、彼は休憩スペースに足を踏み入れる。
「お疲れ、中城さんも休日出勤なんだ」
「前野さんもですか?」
「そう、ま、俺は営業だからね、けっこう休日出勤してるよ」
前野は話しながら自販機で缶コーヒーを買う。
そして、彼は私の席の横にあるテーブルにつく。
「中城さんさ、敬語じゃなくていいよ、そもそも俺が敬語で話さないといけないんだけど」
「それはまあ…今更いいですよ」
「そ、じゃあ中城さんも敬語なしでよろしく」
いきなり敬語なしで話すのも難易度が高いと感じるが、
年下の相手がフランクに話しているのに私が敬語で話すというのも、たしかに違和感のある話だ。
私は彼の申し出をたどたどしく承諾する。
「じゃ、じゃあ」
私は前回奥村が酔い潰れた後の顛末を尋ねる。
彼があのあとどうなったのかは気になってはいたが、奥村本人にも連絡をしていなかった。
彼からしたら、むしろ話されたくない話題なのではと想像していたからだ。
「あのあと、奥村さん大丈夫…だった?」
「あぁ、大丈夫大丈夫。よくあるから」
気のせいかもしれないが、どこか態度がそっけない気がする。
笑ってはいるが、どうも嘘っぽく感じた。
会話が途切れ、前野がコンビニの袋から取り出したうどんをすする音が響く。
私は戻るべきかどうするか迷っていると前野から新しい話題が提供された。
「中城さんって、今付き合ってる人いないってほんと?」
前野はうどんをあっという間に平らげ、今は缶コーヒーを飲んでいる。
予想外の質問に戸惑いが隠せなかった。
なぜそんな質問をしてくるのだろう。
「だって、魔性の女なんて言われてるくらいだし、もしかしてとっかえひっかえとか?」
「とっかえひっかえって事は、な、ないですよ!」
「ふーん、でも中城さんってあんまり遊んでるように見えないよね、実はテクがすごいとか?」
ニヤけ顔でこちらを見つめる彼に私は恥ずかしくて赤面してしまう。
「なっ…!」
「冗談だよ、真に受けないでよ」
前野は缶コーヒーを置くと、おもむろに立ち上がり私のテーブルに近寄ってくる。
彼はテーブルに手をおくと私を見下ろしながら、呟いた。
「でもさ、今フリーなら俺も立候補していいかな」
「え?」
(立候補…?どういうこと?)
頭が真っ白になる。
「ってなわけで、連絡先交換してよ」
前野はスマホを操作して、友達登録用のQRコードを差し出す。
「はい、これ俺のだから、読み取って」
私が操作に手間取っていると、彼がサポートをしてくれた。
こうして無事友達リストに前野の名前が追加されてしまった。
まだ彼の言葉が飲み込めない。
友香の言った通りだということなのだろうか。
でも彼に言い寄られる覚えがない。
今までの彼の様子からして、どちらかというと私は嫌われていると感じていたからだ。
「じゃ、俺そろそろアポイントの時間だから」
彼は私の答えを聞かずに颯爽と去って行った。
私は放心状態で椅子から動けなかった。
◆
俺は休憩スペースを後にし、エレベーター乗り場に向かう。
(これでいいんだ、これで。
好きでもない人を口説くのは初めてじゃない。
いや、草太と再会してからは初めてか)
ズキンッ
俺は自分の目的のためだけに彼女をその気にさせようとしている。
負い目を感じないわけではない。
何度目かの後悔が再び蘇る。
部屋で蹲り、塞ぎ込む草太。
あの時のことは忘れられずにいた。
俺が傍にいたらもっと早く気づいてやれたはずだった。
あの時を繰り返さないためなら何でもする。
自分の想いも彼女の想いも踏みにじる事なんてどうってことない。
(アイツが諦めないから、しょうがないんだ。
これはアイツのためなんだ。
俺はアイツが笑ってくれてたらそれでいいんだ)
ズキンッ
それでもこの疼きは未だに慣れない。
きっとあいつが大切な人を見つけて、幸せになってくれるまで解放されることはない。
それまで何度だって耐えてみせる。
(俺が草太を幸せにしたい。でも、それは叶わないとわかっているから)
ズキンッーーーー