第24話 領主ブライアンと謎の犬
ブライアン・アルフェリクトはハーブティーの入ったカップを片手に、領主の館から夜のレンガートの街並みを眺めていた。
館の庭には、趣味の芋畑が広がっている。芋を利用した酒を造るために始めたことだったが、いまでは焼いた芋を屋台で引くことも、それなりに楽しんでいた。趣味で始めたこの事業は、いまでは街の声を集めることにも一役買っている。
今日はおもしろい情報を入手した。まさかその名を耳にする日がこようとは。
「フリッツ・シュトルム……」
レンガートは夜であっても闇に包まれることはない。光晶石を利用した街灯を、犯罪抑止のために一定間隔で置いたからだ。もっとも、それで収まる犯罪者だけではないのが、この人魔共生実験都市レンガートなのだが。
それよりも、あの若者だ。
まさか祖父や父から聞かされていた偉大なる者の〝偽名〟を、ここで聞くことになるとは。あの墓石の下は、てっきり空だとばかりに思っていたのだが。
祖父は〝偉大なる者〟に犠牲を強いた。それを由とはせずとも。結果として彼は、リンドロートという若者の人生を五十年も奪ってしまった。
目を覚ましたとき、勇者リンドロートはこの世界を見てどう感じただろうか。奪われた年月に絶望しただろうか。祖父を憎んだだろうか。孤独を嘆いただろうか。
いや、いや。火竜の一件を鑑みるに、リンドロートは愛したのだろう。一目惚れだ。
自身の死が招き形作ったこの街に。彼は恋をした。だから人々を守った。
「あなた、おかわりはいかが?」
妻の声に振り返り、空になったカップを持ち上げる。
「いただこう。今年のハーブはできがいいね。とても香り高い」
「ふふ。頑張りましたから」
彼女が両手を拳にして、笑顔を見せた。丸顔の人懐っこい笑みだ。
妻は貴族からではなく、農家から娶った。芋を育てることも、ハーブを育てることも、互いの趣味だ。本来ならば税収だけで十分にやっていけるのだけれども。
妻がポットからハーブティーを注ぐ。
「今日は機嫌がいいですね」
「ああ。街でおもしろい男女に遭ってね。先日レンガートを火竜から救ったふたりだ」
「まあ!」
「〝雷神の祝福〟の食客らしい」
むろん、その正体は最愛の妻にだって話せない。迂闊に話せば勇者生存の報が魔族側に伝わってしまう。そうなれば第三次人魔戦争に突入だ。
「あら。そこはあなたにずいぶんと借金をして、夜逃げをされたギルドなのでは?」
ブライアンが困ったような笑った。
「はっはっは。完全には逃げてはいないよ。小さくて可愛らしい犬系の魔族がひとりで残っているからね」
「まあまあ。尻尾切りかしら。それでは返すのも大変でしょうに……」
「そうなのだよ。だから私は彼に言ったんだ。この土地を接収させてもらえるなら、逃げたご主人に貸していたお金のことは忘れるよって。だがあの犬はこう返してきた。自分はここにいなければならない。迎えることができなくなるから」
「夜逃げした犬さんのご主人のことかしら? ほら、雷神の元マスターさん」
ブライアンが肩をすくめた。
「当時は私もそう思ったのだがね」
もしかしたら違ったのかもしれない。結果論ではあるが、フリッツを待っていたとも考えられる。いや、いや。それは些か飛躍しすぎか。
湯気の立つカップを妻から差し出されたブライアンは、それを受け取ってニヒルな笑みで夜のレンガートに視線を戻す。
「ま、雷神に貸したお金のことはかまわんさ。火竜の一件で帳消しにしても釣りがくる」
「そうですね」
妻がホッとしたような顔をした。
優しい女性だ。
「わたしもそのおふたりに会ってみたいわ。そうだわ。今度お招きしてはいかがかしら。みなさんでお食事会をしましょう」
「いいね。そのときに話そう」
「何をですか?」
ブライアンには構想がある。
あの得体の知れない犬は、飼い主に逃げられたときにこうも言ったのだ。
もうすぐ〝雷神の祝福〟は、傭兵ギルドではなくヒーローギルドへと生まれ変わると。それはきっと、この人魔共生実験都市にすぎなかったレンガートの在り方を、世界に広めるための手助けとなるだろう、と。
……たぶん、そのようなことを謎の犬語録で。当時はまったく理解できなかったのだけれど。
しかし、あり得るだろうか。
アルフェリクト家が背負った宿願と、あの犬の予言が重なっていただなどと。しかし知性の低い限界魔族の世迷い言だ。本当は大した意味はなかったのかもしれない。
それでもあの日、ブライアンは犬にギルドマスターとしての権限を与えた。気まぐれか、あるいは運命か。その結果が今日という一日だ。
ハーブティーを啜る。爽やかな香りが鼻に抜けていく。
「ヒーローギルドへの変更の認可だ。活動には費用がかかる。給金は税収から出している自警団とは違い、しばらくは様子見として、私のポケットマネーからだな」
「あら。足りますか? そうだわ。必要でしたら、わたしの作るハーブや紅茶の売却費用も――」
パン、と両手を合わせて嬉しそうにそう言う妻に、ブライアンは目を細めた。
「問題ないよ。どのみち、犬を含めてわずか三名だ。多少増えたところで、芋の収入だけでも十分に払ってやれるさ。もうすぐ芋酒の試作品も完成しそうだしな」
それに、増えはしないだろう。なぜならあの勇者リンドロートに匹敵する人材など、そう簡単には見つからないだろうからだ。
夕方のあの少女が何者かは知らないが、リンドロートの横に並び立つなど大したものだ。なぜか力を隠しているようだが、火竜を墜としたのは食客の男女一組だと聞いているから、彼女で間違いはないはずだ。
「芋酒というのは? 聞いたことがないわ?」
「ああ、これも犬から聞いたのだ。ここではない別の世界の酒らしく、正式名は芋ショッチュというものらしい。私もまだ飲んだことがない」
「あら、それは楽しみですわね。……その犬さんは何者なのかしら」
「さてね。確かなことは、私の友人だよ」
顔を見合わせて笑う。
レンガートの夜が更けていく。
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