第20話 男が女に言われて最も傷つく言葉
俺はレイリィナと背中を合わせながら口を開く。
「剣を置いて去るなら追うつもりはない。通報はするけどな。あとこの店の弁償と俺たちへの迷惑料の請求もする」
「そうよ。財布を置いていますぐ去りなさい」
垣間見える必死さよ……。ヒーローとは……。
さて、どう出るか。サイクロプスのあの様を見てかかってくるほどバカではないだろうが。
……と思ったのだが。
「自警団が来るまで時間がないッ! 殺せ!」
誰かがそう喚いた直後、五名の賊が同時に売り物の剣を抜き、鞘を捨てた。
バカなのか。あるいは何か退けない理由でもあるのか。
「うおおおお!」
そのまま気合いの声をあげて迫りくる。
だが、ただ剣を出鱈目に振り回すだけの素人の動きだ。足下もドタバタしすぎている。
俺とレイリィナが床板を蹴って同時に左右へと散った。視線を右と左に泳がせた男は、迷った末に中央に踏み込み、左から右へと薙ぎ払うように真横に剣を振る。
織り込み済みだ。というかこれはそうさせるための移動だ。目配せをするまでもない。
俺とまったく同じ動作でレイリィナが剣をかいくぐり、床に両手をつきながら下段の後ろ回し蹴りで男の足首を払った。
「イッ!?」
つんのめった男が顔面から地面に倒れて、その手の中から剣が転がり落ちる。立ち上がったレイリィナが男の頭部で片足をあげた。
「おやすみ」
「ひ……っ」
結果は見るまでもない。歯の折れる音だか顎の砕ける音だかには耳を塞ぎたくなった。
俺は正面から剣を突き出してきた男の一撃を片足を引いて半身になることで躱し――ながらやつの右腕を自身の右腕で絡め取りながら押さえ込み、強引に背中へと回して躊躇いなく関節を外した。
「うぎッ!?」
ゴギッという嫌な音が響いて男が悲鳴をあげる。
ちなみに、その際やつが持っていた売り物の剣はドワーフたちの方へと蹴って滑らせた。
腕を押さえて中腰で逃げ出そうとする男の外れた方の肩をつかみ、むりやり押しとどめる。
「待て待て待てって」
「アダダダダダ!? は、放せ! 放してくれ!」
腕がぷらっぷらだ。壊れた玩具のようだ。俺はその腕をあえて動かす。
「しなりが鞭みたいだ。大丈夫?」
「やめ――イイィダアァァァッっぐぎぃぃ!!」
「フリッツ!」
「ん?」
呼ばれて振り返ると、白く健康的なレイリィナの大腿部が広がっていた。目と鼻の先だ。頭上でドンと鈍い音が響き、次の瞬間眼前にあった足が一瞬で遠ざかる。
俺の背後では顔面に蹴り痕をつけられた男が仰向けに転がり、意識を失っていた。鼻血がドクドクと溢れだしている。鼻血が出そうなのはむしろ俺なのだが。
レイリィナがスカートを押さえて顔を苦々しく歪めた。
「あなた、油断しすぎよ」
「いや、想定内だったよ。レイリィナが俺を助けてくれたこと以外は」
「はあ……?」
「こいつの腕をぷらぷらさせて遊んでたのは、相手を怒らせた上でわざとこちらの隙を晒し、俺を背中から襲わせるためだ。そう動くってわかってたら対処が容易になるだろ」
敵の行動を絞らせる。これができなければ、魔力体力ともに人間の遥か上位にいる魔族を相手に勇者など務まらなかった。
当時はもちろんのこと、いまだって言うまでもなく人間の俺よりも魔人のレイリィナの方が魔力に優れているし、単純な力でも絶対に敵わないだろう。
それでもかつて魔王討伐の旅の中、ただの人間にすぎなかったはずの俺だけが、徐々に魔族全体の脅威となっていったのには理由がある。
あの頃の俺は、魔族との絶望的な力の差を埋める手段をいつも考えていた。考えて考えて導き出した答えのひとつが、火竜やサイクロプスを倒したときのように魔力を体内に宿すこと。それでもようやく魔王を含めた上位の魔人と互角の肉体性能を得られるだけにすぎない。
そしてもうひとつが、相手の行動を絞らせるということだ。あえて隙を晒してでも、こちらにとって予測のつく行動を敵に取らせる。
かつて勇者と呼ばれた人物たちの中には、俺より剣術や魔術に優れた達人もいた。だが魔族から脅威と判断されて条約締結の際に名指しで命を奪うよう要求されたのは俺くらいのものだ。皮肉なことに、この戦い方が正解だったという証明となった。
「フ、必殺、誘い受けだ」
天井を見上げたレイリィナが眉間に皺を寄せた。
「なんかネーミングセンスがヤダ。あなた、若いくせに思ったより老獪な戦い方をするのね。助けるんじゃなかったわ」
「いや、ありがとな」
「何がよ。心配なんて必要もなかったでしょ」
「いいもの見せてもらったなって」
俺が親指を立てながら満面の笑みでそう言うと、レイリィナは逆に額に手をあてて苦笑いでうつむいた。
「もう、鼻の穴膨らませんなーっ。火竜騒ぎの前にも見たでしょうがっ」
背後から忍び足で迫った男が、レイリィナが繰り出した顎への後ろ回し蹴りで膝を折った。一撃だ。白目を剥いて崩れ落ちる。
魔法だけじゃあない。薄々わかってはいたが、体術の方も凄まじい使い手だ。ただ自然に生まれただけの魔人ではないだろう。この平和になった世でも、きっちりと戦う術を身につけている。それも相当ハイレベルでだ。
さらに言えば、早速俺の話した戦法を取り入れやがった。これではもう、武器なしでは俺はレイリィナには敵わないな。頭のいい娘だ。
そして俺は頭の悪い発言をする。
「何度見てもいいんだ。だから今後も遠慮はしないでくれ」
「あなたが遠慮しなさいよ。言っとくけど、次はもう助けないからっ」
「ええ、そんなこと言うなよ。トモダチだろ?」
なぜそんなことを口走ってしまったのか、自分でもわからない。そのせいで返事がくるまでしばらくの間、俺は不安に駆られた。
楽しいと感じていた。レイリィナとの会話が。アリサちゃんとは違うよさがある。
俺は斬りかかってきた男の剣の腹を掌で押して払い、鳩尾に拳を突き上げる。閉じた口から胃酸が飛び出し、白目を剥いてうつ伏せに男が倒れた。
これで五人だ。とりあえず全員の無力化は終わった。
「ふう。ふふ、トモダチって。あははは、バカみたい」
一息ついたレイリィナが楽しそうに笑った。
バカみたい、か。そうだな。子供みたいなことを言ってしまった。
「男はみんなバカなんだ」
「ま、そーね。じゃ、あらためて。――これからよろしく、オトモダチのフリッツくん」
それは意外な言葉だった。
ああ、ああ。
彼女は赤面も何もしていないが、いまはこの距離感が時代に置き去りにされてしまった俺にとっては心地いい。不意打ちすぎて目頭が熱くなる。
「うわっ、笑いながら泣いた! キモ!」
「そ、そんなこと言うなよ!? 男が女に言われて最も傷つく言葉だぞ!?」
今度は少し照れくさそうに。
「冗談よ。……さてはあんた、トモダチいなかったの?」
「いたよ!?」
「記憶喪失設定は?」
意地の悪いやつだ。
「じゃあ過去なんて聞くなよ! そんな性格じゃおまえこそトモダチいなかっただろ!」
「い、い、いたもん」
目が泳いでいる。これはまずいことを言ってしまったかもしれない。
でも、彼女の笑顔もまた、対話を楽しんでいるように見える。
いいところのお嬢であることは間違いなさそうだから、おそらくだが、これまで窮屈な暮らしをしてきたのかもしれない。
この頃はまだ、そんなふうに考えていた。
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