第17話 夜に暗躍する者たち
エルフは少し困ったような顔で続けた。
「もう店を閉めようとしていたのだけど。見てくかい? 少しくらいなら構わないよ。一階の〝鉄〟のドワーフたちが店を開いている間だけならね」
ハッと気づいたように、レイリィナが首を振る。さらりとした金色の髪が揺れた。
そうして恥ずかしそうにうつむき、指先を合わせながらつぶやく。
「す、すみません。わたしたち、お客じゃないんです。えっと、その、いまは持ち合わせがあまりなくって……」
ギルド直営だが高級店だ。値札を見る限り、ここでは下着だって買えやしない。
レイリィナが足下にいた犬を抱えあげる。
「この子がお店に飛び込んじゃって、それで一階のドワーフさんたちのことが怖かったみたいで、二階に行くって聞かなくて」
「そ」
エルフは微笑んだままだ。未だに男か女かわからない。
エルフ族ってのは男女ともに線の細い身体をしているから。胸での判別もできない。
そんなことを考えていると、レイリィナの腕の中でワチャワチャと四肢を動かして、犬が再び床へと逃れた。
すっくと立ち上がり、右の前脚でトンと胸を叩く。
「犬、ユーカン! ドワフー怖ナイ!」
「と、言っていますが所詮はコボルトの世迷い言なのでお気になさらず。あはは~」
哀しいことを言ってやるなよ。コボルトかどうかさえアヤシい犬だが。ヘタすりゃちょっと頑張って喋れるだけの普通の犬かもしれないと俺は思っている。
だが犬は短い前脚を振り回し、身振り手振りでエルフに話しかける。
「犬、オ店、キタ! 犬、用アル! ピチピチ、ホシ!」
「ぴちぴち……? ぴちぴちの服がほしいのかな?」
エルフが俺に視線を向けた。「おたくのペットがわけのわからんことを言ってますけどー?」みたいな視線だ。
どうやら飼い主だと思われているらしい。どちらかと言えば、立場上、犬の方が俺たちの飼い主のようなものなのだが。
仕方がない。
「あ、あ~……。じゃあ、この犬に似合うピチピチの服を選んでくれ」
「かしこまり」
エルフがいそいそと店の奥へ入っていった。途端にレイリィナが俺を睨む。
「ちょっとあんたっ、持ち合わせがないって言ったじゃないっ」
「大丈夫だ。火竜の肉体を貫いたときに、偶然小さな鱗の欠片が袖の中に入ってたみたいだ。綺麗だから捨てずに持ってたんだ。街の人の話では用途の多いものらしいから」
懐から真っ赤な鱗をチラ見せする。
驚くべきことに、未だほんのり暖かい。炎晶石ほどの熱ではないから、コンロ代わりとはならないが。
「どれだけの価値になるかはわからないけど、俺たちの最低限の生活雑貨くらいは買えるだろ。……下着とか」
「ぅ……」
レイリィナが媚びるような瞳で俺を見上げてきた。
「か、返すからわたしにも少し貸してくれる?」
「イヤだね。取り分はイーブン。どちらかがいなければ墜とせなかったからな」
レイリィナが俺の耳に顔を寄せて囁く。
「ふふ、フリッツっていい人なのね。ずっと正体を隠しているから悪い人だと思ってた」
何だか桃のような甘い匂いがして、俺は少しむず痒くなった。
視線が合う。瞳が綺麗だ。肌も白く顔は整っている。でも、惜しむらくはタイプではないんだ。俺のタイプは大人っぽくて淑やかな女性だから。
アリサちゃ~ん……結婚したかった……。いまじゃ大人になりすぎて……。
気を取り直して、俺はレイリィナに囁く。
「帰りに安い仕立屋に寄ろう。まずは下着が必要だ。選ぶのを手伝うよ」
「うん。ん? ……ちょっと? どさくさに紛れて評価を覆したくなるようなこと言うのやめて?」
「あはい」
ジト目が心地いい。
そんなことをしていると、エルフが小さな服を持って戻ってきた。コボルトサイズの服だ。
よくあるな、そんなもの――とは思うものの、レンガートは人魔共存の街だ。あっても不思議ではないのかもしれない。あるいはただの子供服である可能性も。
エルフが俺たちの前で小さな服を広げた。
「これでどうかな? 二足時も四足時も対応できるような伸縮性に富んだ素材できているから、わんちゃんにはぴったりだと思うけど。ほら、フードにはちゃあんと犬耳もついてるし、尾も出せるよ」
正直、心の底からどうでもいい。
「いまはサンプルのブラウンしかないけれど、言ってくれれば作れるから。まずはサイズの微調整かな。着てみてくれるかい?」
そう言ったエルフの手から服を引っ張ってもぎ取り、犬がもぞもぞと袖を通し始めた。
「おや、お利口だね」
「犬カ!? 犬、カシコ!?」
「うんうん」
ピッチピチだ。
エルフの言う通り伸縮素材で作られているから着られただけだな。全身の毛皮をぴったりと抑え込んでいるせいか、やたらとスリムになった。
チョ~ンという感じで立っている。
もう少し大きなものを、と言いかけたとき、犬が嬉しそうに口蓋を開けた。
「犬コレスル!」
「ピチピチじゃないか。キツくないのか?」
「ソレガイイ! コレガイイ!」
まあ、本人がいいというなら。といっても、この鱗に価値がなければ買えるものも買えないのだが。
そんなことを考えながら取り出そうとした瞬間だった。
けたたましい音とともに、階下から怒号が響いたのは。
「な、なんだ!?」
次の瞬間、壁を突き破るような震動と、続いて剣戟のような音が響き始めた。尋常な様子ではない。まるで襲撃でも受けたかのようだ。
エルフが慌てた様子で早口につぶやく。
「いけない。時間をかけすぎたか。お客さんたちは隠れた方がいい」
「何が起こってるの!?」
「ゼルアータの襲撃だよ。キミたちもレンガートに住んでいるならわかるだろ。まさか別の街からやってきたのかい? だとしたら気をつけた方がいい。レンガートの夜は本当に危険なんだ」
そう言うなり、エルフは駆け足で階段を下っていった。
ゼルアータ。何かの名前だろうか。レイリィナに視線をやっても、知らないと首を左右に振られた。
どうしたらよいのかわからずに立ち尽くす俺とレイリィナに、茶色いピッチピチのスーツでキメた犬が、例の仮面をどこかから取り出す。
「プリッツ。レーナ。ヒーローノ出バン。正ギ、シッコ」
「お外でやりなさい」
「ソレチャウ。シッコ」
「たぶん正義執行じゃね?」
俺はレイリィナと顔を見合わせた。
階下から響く剣呑な物音は、断続的に聞こえてきている。金属音に破壊音、それに震動と悲鳴。
「どうする、フリッツ? やる? わたしたちが火竜を殺した仮面だって正体がばれちゃうけど」
「仕方ないだろ。どう考えてもヤバい状況だ。見捨てるわけにはいかないし、俺たちだって逃げ場がない」
「そうね」
はぁとため息が重なる。
俺たちが仮面であるとバレてしまうのは仕方がない。だが願わくば、仮面の正体がかつての勇者リンドロートであることまでは、エルフやドワーフの脳内で繋がらないことを祈るばかりだ。
仮面を装着した俺たちは、エルフを追うように階段を駆け下りていった。
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