第14話 何となく面影があるような
ぶりぶり尻を振りながら前を歩く犬の陽気な歌声が、夕暮れ時のレンガートに響いていた。オサンポの歌らしい。
「オッサンッポゥ、オッサンッポゥ、一文字フセルト、不ッ思議ット、スッケベ~」
「ちょっと!? 変な歌を大声で歌うのやめてよね!? ――あんたも止めなさいよ」
「ええ……」
後頭部かわいいなあ。お耳がピンと立っている。
「なあ、犬。どこに向かってるんだ?」
「フン、フンフン? コレハッ!!」
犬が鼻を空に突き上げて、ヒクヒクさせ始めた。
そうして唐突に二足で立ち上がり、スタコラと走り出す。俺はレイリィナと顔を見合わせてからため息をついて、それを追いかけ始めた。
「ワッホ!」
犬が角を曲がると、そこには公園があった。もう夕方だからか、遊んでいる子供たちの姿はない。静かな夕暮れ時だ。今日の仕事を終えた遊具らが佇んでいるように見える。
こういう公園でアリサちゃんと過ごしたかったなあ……。
ふと見ると、公園の一角で露店を片付けている人間の男がいた。犬はまっしぐらにそちらに向けて走っている。周囲には甘い匂いが漂っていた。
「オッサァ~ン!」
「ん? ああ。雷神犬か。聞いたよ、おまえさん。すげえ逸材をふたり見つけて、ギルドを復活させたんだってな。やるじゃないか」
顔なじみだったのか。
男はしゃがみ込み、突撃してきた犬の顔を両手で挟み込むようにして受け止めた。そのままモチャモチャと犬の頬を引っ張ったり圧し潰したりして遊んでいる。
「ワッホ、コレコレェ……。フガ、アガ、フガ。アァ、気ッ色エエェェワァ……」
あがあが言いながら白目剥いてらぁ。今度俺もやってみよう。
歩きながら近づいていく。
「おい、犬。その人は?」
「アァァアアァァ……芋オジィ……」
「芋おじ……」
犬の顔面で遊びながら、中年の男が顔を上げた。露天商の割には小綺麗な男だ。形のしっかりしたハットを被っていて、身なりはまるで貴族のようだ。髭もきっちりと整えられている。
「おや? ふむ……。もしや雷神犬の集めたメンバーとは、キミたちのことかね? 先ほど火竜を殺してレンガートを救ってくれたという」
男の目がキラキラ輝いている。嬉しそうだ。けれども。
やべ……。仮面をつけてない……。
目立つわけにはいかない。俺は半世紀前に死んだはずの勇者だ。しかも生き残っていたなどと知られたら、いまの平和を壊してしまうことになりかねない。
有名人になると正体バレに近づいてしまう。
俺は苦笑いで両手を振った。
「あ、いや。俺はただの食客というか、ギルドに間借りしてる店子でして」
「あ、あたしも~……。で、でも、すごいですよね。竜を素手で倒しちゃうんだから」
「ふむ。そうか。違ったか。残念だ。うん、残念だ」
男は少し寂しそうに目を伏せる。
「オッサン、芋アル? 犬、芋ホシー!」
「ああ、芋な。今日も売れ残りがあるぞ。ほら」
犬から手を放した男が後ろを振り返って、露店の売れ残りを紙袋の上に置いて犬に差し出した。犬は嬉しそうにかぶりついている。
「お、おい、犬! 金ないぞ!?」
「あたしもだよ!」
レイリィナが慌てて犬を後ろから抱え上げ、犬を芋から引き剥がした。
「フガ、フガ、芋! 犬ノ芋ォ!」
「お願いだから我慢して」
「つってももう囓っちまってるけど……」
だが、男は首を左右に振ってレイリィナの手を取って解き、ジタバタしていた犬を受け取って芋の前へと置いた。犬がまた芋を食べ始める。
マテと言えば止まるのだろうか。この食欲の権化は。
焼き芋だ。黄色い断面には蜜がたっぷり見えている。
「いいのだ。どうせ売れ残りだからね。――そうだ、キミたちもどうだね? ひとつしかないから、仲良くふたりで割るといい」
そういうと、男は俺とレイリィナの前で焼き芋をふたつに割って差し出してきた。
戸惑ってしまう。俺も、レイリィナもだ。
「遠慮はいらないよ。そうだな。もし火竜を倒した雷神のメンバーに会うことがあれば、こう伝えてくれ。――生きていてくれて、ありがとう」
妙なメッセージだ。わからなくはないが、普通そこは「火竜を倒してくれてありがとう」や「レンガートを救ってくれてありがとう」になるのではないだろうか。
「ほら、せっかくの私の善意だぞ。受け取りなさい」
火竜の肉で結構腹は膨れているのだが、何か断りづらい。それに、周囲に漂う甘い匂いを嗅いで、俺の腹はこれを別腹だと認識し始めている。
「もらうよ。ありがとう」
俺は手を伸ばして芋を受け取ると、片方をレイリィナに手渡した。レイリィナが少し恥ずかしそうに芋おじに礼を言った。
「ありがとう。いただきますね。芋オジサマ」
「はっはっは。どういたしまして」
囓る。まだホックホクだ。店はもう閉まっているのに、どうやら保温の魔法だか魔術だかがかかっていたらしい。ねっとりとしていて、かなり甘い。
「うンま!」
「そうだろうそうだろう。何せ私の手作りだぞ。それも畑からのな。太陽と雨と大地の恵みだよ」
平民にしては小綺麗だし、仕草はまるで貴族のように優雅だ。それでいて傲慢さは欠片もなく、むしろ穏やか。
「さて、私はそろそろ帰るよ。レンガートの夜は少々危険だ。キミたちも早々に帰宅した方がいい」
「ええ。ありがとうございます。芋オジサマ」
「おまえ、その呼び方は失礼だろ」
「いいんだいいんだ。おじさん、若い娘さんに呼ばれるだけで嬉しくなるから、ネ!」
ウィンクが似合う、洒落たおっさんだ。
犬が不思議な間の手を入れた。
「ヨッ、スッケベーッ!」
「その通り! 今夜も妻をかわいがるぞ!」
レイリィナが笑うと、男は目を細くして手を振った。
人の好い笑みだ。暖かいな。この街の人々は。
引き車の露店を引いて去る最中、男が不意に振り返った。
「ああ、そうだ。せっかくの出会いだ。キミたちの名を聞いてもいいかい?」
「わたしはレイリィナ・ルシュコバです」
「おお、実に美しい名だ。キミにぴったりだね」
レイリィナが少し照れくさそうにはにかむ。
男の視線がこちらに向けられた。
「フリッツ・シュトルムだ」
「……ッ!?」
視線が凍る。目を見開いてだ。男は引き車を動かすことなく。
長い、長い時間だ。公園広場に風が吹く。犬が芋を貪るムッチャムッチャという音だけが響いていた。
「……? えっと……?」
「あ、ああ。いや、すまない。そうか。キミが。なるほど……そういうことだったか」
何やら戸惑いの表情から、何かを考えるような表情へと変化している。
「そうだな。そうだ。名乗っておこう。私の名はブライアン・アルフェリクトだ」
「アルフェ――!?」
アルフェリクト!?
王の一族しか名乗れなかった名だ。この五十年で世界が変わったのか、あるいはこの男がパドラシュカ国王アルフェリクトの孫か。
確かに仕草や面影を見る限り――。
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