§ 7ー2 3月19日① 光の中へ
天体衝突まで、残り:5日。
--東京都港区・某テレビ局--
スタジオの舞台袖。着慣れない羽根があしらわれた白のスーツ。心臓がドクンッドクンッと激しく高鳴る。
右手には彼女の左手。薬指にはめられたピンクダイヤの指輪の感触。強く、強く握られたその手からは彼女の鼓動が伝わる。鼓動が交わる。
白髪で純白の羽根のドレスに身を包む彩。まるでチャペルで扉の前で待っているような2人。それでもいい。世界の最後になるけど、2人の姿を披露するんだ。2人の音を伝えるんだ。
「よし! 順番だよ、颯太。彩」
インカムで合図を送る舞衣。それは始まりの鐘の音。深刻な顔つきの彩に左手で軽くデコピンをする。「痛っ!」やっとこっちを見た彩に笑顔を送る。そんなに緊張しないで。
「さぁ行こう、彩。約束のときだ。最高に楽しもうよ」
彼女も笑う。「うん♪」と頷く。
そして、扉に手をかける。力いっぱいに押し開ける。
眩い光の中に俺たちは足を踏み出した。
♦ ♦ ♦ ♦
パンドラの衝突。世間はこれを既定事実と受け入れていた。宙には昼間でもぽっかり黒く穴が空いたような黒い星が嫌でも見て取れる。人々はそれを見ずにはいられず空を見上げ、その黒さが伝染したように心を黒く染める。
1年間、見えぬ恐怖に怯え続けたその元凶を眼に入ることで、それが現実に起こることだと認識してしまう。
先はない。将来はない。未来はない。何も残らない。
先のない世界の住民たちは生きる理由を失っていた。疲弊した心は死ぬ理由を探させた。痛みのない、安らかな終わりを求めるのは至極当然のことなのだろう。
これ以上の犯罪や暴動、または自死による疫病の流行などを防ぐため、政府は安楽死を認める特措法を公布し、即日施行した。しかし、これは焼石に水になった。
実施できる特定医療施設は、想定をはるかに超える数の要望に予約が即座に埋まり、希望が叶わなかった人々が感情剥き出しで施設の受付に押し寄せた。
そこは尊厳などない本能を露わにした無法地帯だった。死傷者まで出す暴動が各地で起こり、安楽死は実施を無期延期とした。
全人類を1つの生物としたとき、1人1人がそれぞれの細胞となる。その1つ1つの細胞が今、不健康になり弱体化し、壊死していく。もう、1つの生物として機能できないほどの人が命を絶ち、心を失くした。
食糧不足が感情的になる気力さえ奪う。どうすることもできないという諦めが、思考を奪い、ただ惰性で生きる。
終わりを受け入れた世界は、ただ静かに終わろうとしていた。
♦ ♦ ♦ ♦
--前日(3月18日)・喫茶ル・シャ・ブラン--
「よ~し、集まったなー」
白い両翼の最初で最後の活動。それについての作戦会議をしたいということでル・シャ・ブランに集められた。舞衣だけは予定があるということで欠席だったが、他のみんなは集まってくれた。
みんな少し痩せた印象を受ける。食料の配給も少しずつ減っている影響だろう。すでにスーパーや大手百貨店などは営業を止めている。都心部で生活するものは、務める企業が食料などを準備してくれたり、学校が子供たちのために調理したパンを配ったり、田舎から送ってもらったりと、『お金を払って買う』という選択が出来なくなっていた。自動販売機すらどの飲み物も【売り切れ】の表示になっている。
「この4週間。みんなホントに、ホントにありがとう。おかげで曲も完成しました。感謝してもしきれないです」
深々と頭を下げる。ただひたすら走り抜けた日々。こんなに音楽に向き合うのは初めてだった。
みんなやつれていたが、優しい笑みを浮かべてくれた。久弥とルミ先輩はテーブルに突っ伏しながら、手だけ振っている。世界が終わるというのに、自分ではない誰かのために頑張ってくれた目の前の全員に心から感謝する。
「ホントにみなさん、ありがとうございました。心から感謝してます。それで、お礼という訳じゃないんですけど、カレーライスを作ったので、後で食べてくださいね」
「カレー!?」
彩の言葉に、久弥が目覚める。
「ね、ねぇー。それって、今食べちゃダメ?」
「大丈夫ですけどー、今でいいのかな?」
彩が困り顔でこちらを見る。
「オサムさん、先に食べません? お腹満たさないと話が進まなそうですし」
「そうだなー。ルミも食べれば目覚めるだろうし、そうするか」
「よっしゃぁ!!」
一番頑張ってくれた久弥のことを無碍にもできない。早速キッチンに向かって準備をする。仕込みも終わって、昨日から準備をしていたので温めなおすだけでいい。お米も炊いてある。
カレーの材料は、母さんが先日長野から送ってくれた。ジャガイモ、にんじん、玉ねぎ、鶏肉、白米等々、段ボールいっぱいの食材の中に手紙が一緒に添えられていた。
【ちゃんと食べてますか?
彩ちゃんと一緒に食べてください。
どうか、お身体をお大事に。
母より 】
母さん、ありがとう。電話を掛けて感謝の言葉を母に述べる。久しぶりに聞いた母の声は懐かしく、少し寂しくなった。親父も凛も元気だと聞いて、こちらも彩と彩のお母さんが元気でいることを伝えると、母が涙声になっていた。
ただ生きている、というだけで心から嬉しく感じてしまう。今はそんな世の中なのだ。
みんなで食べたカレーライスは、少し辛めで心の底から温まる味がした。
…………
「じゃぁ、お腹も満たされたし、明日のことを話すぞー」
珍しくオサムさんが司会進行で話が進められる。にやけ顔なのが気になる。
「えー、まずは2人が歌う場所だが、テレビ○○の20時からの音楽番組・ミュージックアースの生放送になった」
「は?」小首を傾げる。彩も同じだ。
「全国放送だから、思う存分お前たちの音楽を伝えられるな」
『いい仕事しただろ?』としたり顔で、右手で親指を立てて、いいね、の形を作る。ルミ先輩までにやにやしている。
テレビ? 生放送? 全国放送? 理解が追い付かない。
「くっくっくっ……あっはっはっ♪ 豪徳寺理って男はこういう男なんだよ。諦めて腹括るしかないぞ、颯太。それに、私たちが協力したんだから、これぐらいの舞台でやってくれないと納得できないからな」
ルミ先輩まで楽しそうに言う。こういう展開のときは、もう諦めるしかない。何を言っても予定が変わることはない。この2人が決めたことがどんなに滅茶苦茶なことでも、決行するしかないのだ。とはいえ、テレビの生放送で演奏する……。考えただけで顔面蒼白になる。
「なんだ、颯太? ビビってるのか? この前言ったことはその程度で揺らぐものなのか? それに、彩ちゃんが言ったんだぞ。『すべてに伝えたい』てな。それならこれぐらいやらないとダメだろ?」
確かに言った。オサムさんにアドバイスをもらいに行ったときにだ。『叫んでやりますよ。好きだってね』と。
♦ ♦ ♦ ♦
--3週間前(2月26日)・都内・豪徳寺宅--
「まったく、しょうがねえ奴だなー、お前は。まあいい、ちょっとこっちは手が離せないから、こっちに来な」
そう言われて、まだ当たり前に動き続ける電車に乗り、地図アプリを頼りに指定された場所までやってきた。【豪徳寺】と書かれた木製の立派な表札がかかった玄関の先には、どこぞの大名のような屋敷が厳かに建っていた。「おう、来たか。鍵空けたから、勝手に入ってきてくれ」とインターフォン越しのオサムさんの声でカチッと鍵が開いた門扉を通る。石畳の入り隅を進み玄関を開けると、そこにはだらしない恰好でボサボサの頭を搔くオサムさんがいた。
「まぁ、上げれや、颯太」
お邪魔します、と上がり込む。こっちこっちと促されてついていく。縁側から見える窓の外には立派な庭園があり、池には大きな錦鯉が泳ぎ回っていた。
地下に続く階段を下った先には、楽器の揃ったスタジオがあった。外見に似合わないシックな内装には防音処置がしっかりなされている。「ほい」っと投げられたミネラルウォーターを受け取る。
「じゃぁ、早速話を聞こうか、颯太」
背もたれを前にして座るオサムさん。おれも置いてあった椅子に座り、ペットボトルの水で口を潤してから話を始めた。
「オサムさん。おれのギターには何が足りないんですか?」
「あー、ルミが言ってたことだよな? まぁ、そうだよな。音で分かるからな」
「音で、ですか?」
「そう」
そう言って置いてあるクラシックギターを手に取るオサムさん。
トゥルトゥルトゥルトゥル、トゥイィィ~~ン♪
軽く弾いただけなのに、空気が緊張感を帯びるのがわかる。オサムさんのギターの音。自分の音との違いなんて考えることすらおこがましいほどの存在感があった。
「颯太。おれはさ、ギターを弾いているなんて思ってないんだよ。弦を震わせるのは喉の声帯を震わせるのと同じ。音を鳴らすのは声を出してるのと一緒なんだよ」
「声を出すのと同じ?」
「そうだ。颯太のギターだって声を出してるだろ? 『みんな頑張れー。おれがバランス取るからさー』ってな。いつものベースならそれでもいいんだけどな、2人でやるならそれじゃダメなんだよ。わかるか?」
「それじゃダメ、ですか? ……おれは彩の歌に寄り添えるような音が出したいって思ってるんですけど、それじゃダメなんですか?」
「颯太ー。お前、あの娘を一人きりにするつもりなのか?」
「え?」
「寄り添うなんて、責任逃れをするなよ、颯太。お前が前に出るんだよ。彼女に任せるな。後ろからじゃなくて、横に並んで彼女の声に負けないギターで叫べよ! 彼女は相当だぞ? なんせ『世界のすべてに伝えたい』だなんて尋常な感性じゃ言えないからな。お前も彼女と対等で在りたいなら、もっと必死に叫べよ、颯太。思ってることを腹の底から吐き出すつもりで、一心不乱にギターを弾き込め。そこまでして、初めて伝わるんだよ、音楽ってのはさ」
青天の霹靂だった。そんなこと、考えたこともなかった。腹の底から叫ぶ。何を?
「ちゃんと舞台は整えてやるから、そこで目いっぱい叫んでやれ。彼女が好きですってな」
茶化して言ってる訳じゃない。真剣な目をしている。おれはその目に応えなければならない。オサムさんの瞳を見つめる。
「えぇ、叫んでやりますよ。好きだってね」
…………
帰り際に別の部屋に案内された。そこは応接間で、机の上には何やら装飾された箱が置かれていた。オサムさんが無造作に箱を開けると、そこには色とりどりの宝石が保管されていた。
「好きなの選びな。こんな世の中じゃ、なんの価値もない石ころだけど、お前が彼女に送るなら、価値が出るからな」
赤・青・緑・透明……。明らかに高価な宝石たち。数十万円、数百万円はするものなんじゃないか?(汗) 到底、軽い気持ちで選べるものではない。
「いやいや、そんなの選べませんよ」
「お前、そんなことで好きな女を口説けると思ってるのか? 甘い! 甘いぞ、颯太!」
『好き』とか『口説く』とか、恥ずかしくて顔が真っ赤になる。
「ち、ちなみにこの青いのは使うから、他のを選べよ。指輪にするから、後で彼女の指のサイズを測って連絡してくれよな。なるはやでな」
珍しくオサムさんが焦ってるように感じた。でも、世界が終わるんだ。最後になるかもしれないんだ。やれることがあるなら、思い切ってやろう!
「じゃぁ、お言葉に甘えて……。ん~、これ、なんていいかな」
指を刺した先にあるのは、薄いピンク色したダイヤモンドだった。
♦ ♦ ♦ ♦
TV局の番組の件は、オサムさんが無理やり捻じ込んだらしい。というか、本番当日まで騙しておいて、勝手に番組に出る算段とのことだ。
昔、オサムさんがいたバンド『Made In Earth』と舞衣がこの番組に出ることが事の発端になった。『Made In Earth』と舞衣の出番を、颯太と彩のユニット・白い両翼に譲ってもらうことになったのだ。番組サイドには内緒でだ。
『Made In Earth』のメンバーは「いいよー。オサムが言うならおもしろそうだしね」と簡単にOKがもらえたらしい。舞衣に関しては「も、もも、ももも、もちろん、い、いいですよ、オサムさん」と当然のようにOKが出た。また、その番組の司会をする女性アナウンサーに話をつけておくと舞衣が言っていたらしい。
衣装は3バカトリオの御三方が用意してくれた。白く派手なスーツにドレス。これを着るのかと恥ずかしくなる。
「「「エレガント~♪」」」
と言う御三方の折角の好意と、今からじゃもう準備が間に合わないことから、しぶしぶ着ることを了承した。しかし、さすがに背中の白い羽は取り外すことにした。
そして、作戦はもう1つ計画されていた。それは、相模原市にあるJAXAの設備を使って、放送される音を宇宙に送信するというものだ。
「だって、すべてに伝えるんだろ? じゃぁ、宇宙の果てまで、その音を届けるべきだろー」
さも当たり前だろ? と顔をするオサムさん。さすがにみんな「は?」と驚いた顔をする。
「ん? 大丈夫、大丈夫♪ 知り合いもいるし、余裕だって」
また決め顔をするオサムさん。どうせ最後だと、覚悟を決める。そして、当日は2つのチームに分かれることになった。
TV局班は、颯太・彩・久弥・てっちゃん・舞衣。
JAXA班は、オサムさん・ルミ先輩・3バカトリオの御三方。
この2チームで計画を実行することになった。
世界の最後。若者たちの最後の青春が動き出す。
白い両翼の、颯太と彩の音を世界中に、宇宙の端まで伝えるために。
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