§ 6ー2 2月10日 友情 ー別離ー
天体衝突まで、残り:42日。
真正面から立ち向かえば、
どんなことでも変わるというわけではありません。
けれど、真っ向から立ち向かわなければ、
何も変わらないのです。
ジェイムズ・ボールドウィン (James Baldwin)
♦ ♦ ♦ ♦
--神奈川県・新横浜駅新幹線ホーム--
「颯太、これ」大きくなったバッグから取り出し、放り投げる。
「あっ!」投げたものを颯太は両腕でしっかり受け止めた。
腕を広げて確かめると、それはグローブでその中にボールが入っていた。
「また、キャッチボールしような」
「……そうだな」
「それまでにちょっとは練習しとけよ。ひどい暴投だったからな」
「しょうがないだろ。野球なんて体育でしかやったことないんだからさ」
「次は本気で投げるから、覚悟しておけよな」
「匡毅の球めちゃくちゃ速かったのに、そんなの捕れるわけないって」
よかった。ホッとする。以前と同じように会話ができて。あのときの喧嘩以降、ル・シャ・ブランも辞めて関係が途絶えていたから。それなのに、颯太が見送りに来てくれたのは純粋に嬉しかった。
もう決心はできていたが、4年近く過ごしたこの街を出ていくのに淋しさが込み上げてくる。情けない気持ちもある。彩への気持ちも整理しきれていない。それでも、楽しいことはいっぱいあった。だから、これまでのことに感謝して顔を上げて故郷に戻ろうと胸を張った。
…………
昨年末に一度、熊本の実家に戻った。両親に現状と今後のことを話すためにだ。
緑に囲まれて、土の匂いが漂い、虫の鳴き声が溢れる自分の原風景。常に何かに追われ続ける日々だった4年近く。変わらないこの地に、何かソワソワするものを感じるのは自分が変わってしまったからなのだろう。
元旦の初日の出は、初めて綺麗だと思った。
おせち料理の味が、こんなにも豊かだったのかと驚いた。
おやじと飲む焼酎は、強くて二日酔いになった。
農作業の手伝いは、久々過ぎて筋肉痛になった。
成人式以来に会った旧友たちは、すっかり社会人になっていた。
夕暮れ時の畦道をゆっくり歩いた。
ここだけ惑星パンドラなんて接近していないような、変わらない平穏な日々。ニュースや帰郷したきた人たちの存在が、その事実を別世界の出来事のように伝える。
「なんにしろ、うちらはいつも通りに仕事をして生きていくだけたい」
そう言ったおやじの言葉が耳に残っている。上京していた間、『いつも通り』のおれでいたのだろうか? 自分の立場・責任に囚われ、彩に固執し、奪われた未来に自分のすべてを否定された。こうやって純朴な景色の中、畦道を一人歩いているとよくわかる。
自分の都合ばかりで生きていた。
この村では、みんなで一緒に生きている。自然に生かされ、その実りに感謝し、それを分かち合う。それが煩わしときもあるが、当たり前に共に生きれるという豊かさがある。
いつしか日々に追われ、私個人で生活するうちに、そんな感謝や豊かさを忘れてしまったのではないか。
日が沈む。見え始めた星空は息を飲むほどに煌めいていた。おれはこのとき、やっと決心することができた。
…………
やり残したことを済ますために住み慣れたアパートに戻る。ベランダから見える星空は、まるで別の世界のように暗く澱んでいるように見えた。自分の心も同じだったのだと思いにふける。
その次の日、久しぶりに彩に連絡をとった。今しかないと思ったからだ。うやむやにして、先延ばしにしてきたことに真っ向から向かい合えるのは。
木枯らしに厚手のコートが棚引く。港の見える丘公園の噴水の前に、彼女は待っていた。黒いロングコートに白いマフラー姿は実に彩らしい恰好だった。
「ひさしぶり、彩」
「久しぶりね、匡毅さん」
少し緊張した挨拶を済ませ、「少し歩こうか」と園内をゆっくりと共に歩く。冬の装いの園内は、熊本の故郷に戻っていたからか、酷く淋しく感じさせた。水のせせらぎが澄んで聞こえる。
緩やかな階段に「気をつけて」と手を差し伸べずに問うと、彩は「ありがとう」と微笑む。その微笑みに彼女もわかっていることを察する。
彩の笑顔はいつもどこか儚い。最初は彼女のお母さんのことが原因だろうと思っていた。でも、何度一緒に出掛けても、手を繋いでも、抱きしめても、その儚さは消えなかった。颯太に見せるような笑顔をいつか見せてくれると思っていた。でも、わかってしまった。あの笑顔は颯太だから見せるものだと。
公園の展望台。港を一望できるこの場所で、自分がこの4年近く過ごした街を見渡す。湿度の少ない冬場だからか、街はその輪郭をくっきりさせていた。
「匡毅さん……」真っ直ぐこちらを見ている。
「匡毅さん、私……、颯太とここに居ることにしたの。お母さんが戻ってくるまで私はここに居なきゃいけないの。だから、ごめんなさい……」
丁寧にゆっくりと頭を下げられる。前で組まれた手先が震えていた。こんな思いをさせたかったわけじゃなかったのに。自分がやってきたことが今彼女に手を震えさせるような思いをさせてしまっていることに、拳を強く握りしめる。
「お、おれさ、熊本に帰ることにしたんだ。だから、謝らないで。どちらにしろ彩とはもう一緒に居れなくなるからさ」
言いたくない言葉だった。初めて会ったときから、ずっと好きだった。今でも好きだから、彼女を苦しめるような自分を受け入れなければ……
頭を上げた彼女。目が潤んでいたが、涙は流さないように堪えているように見えた。きっと彼女も決意を固めてきたのだろう。
ちゃんとしよう。最後になるかもしれないから、はっきり言葉にしよう。
「別れよう、彩。今までありがとう」
微笑んだ彼女に、儚さはなかった。
…………
動き出した新幹線の車窓から見える街は感慨深い、いろいろな思いを胸に到来させる。大学生活、喫茶ル・シャ・ブラン、彩……。思ったような未来にはならなかった。それでも、過ごした日々は無駄だったとは思わない。
『いつも通り』の自分ではなかったのかもしれないけど、精一杯生きたんだ。負け惜しみでもなんでもいい。前を向こう。
窓に映る顔には、涙が溢れていた。
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