§ 2ー4 6月22日 死の受容
天体衝突まで、残り:275日。
--神奈川県・某大学第四講義室--
「えー、みなさん。昨今進んでいるルートヴィヒ作戦は流石にご存知ですかね? 私たちの地球と同規模の大きさの天体パンドラとの衝突。各国のお偉いさん方や専門家たちと核兵器まで使用するのですから衝突なんてことは起きないでしょうけど、もし避けられないものであったらと仮定してみましょう。因みに、作戦名のルートヴィヒはジャジャジャジャーン! で有名な運命の作曲家ベートーヴァンのファーストネームなんですよ」
社会心理学を専門とする和泉寛次郎教授の講義は、現在の出来事を心理学とユーモアを合わせた解釈で学生たちから人気がある。63歳で白髪をオールバックにして細い目に黒縁の丸メガネ。知性と穏和な印象は、声にも単位の取りやすさにも現れている。
「さて、この天体が地球にぶつかると地球は割れ、生物は死滅すると言われています。当然、我々人類も滅びてしまいます。来年の3月に衝突するとのことなので、残り9ヶ月程ということになるわけですが、言い換えれば、これは寿命ということです。死の宣告にあなたたちはどのようなことを感じていくのでしょう。どうです? 私はとりあえず、講義をやめて好きなマグロをお腹いっぱい食べに行きますかね」
ハハハ♪ と講義室内の学生たちと同じように颯太も笑う。「おれはやっぱり肉かな」「フランスには行っておきたいよねー」と各々がざわめき出す。学生たちの反応に教授もふむふむと優しい目を忍ばせる。
「えー、では、ここで1人のアメリカの精神科医の女性について知っていきましょう。彼女はエリザベス・キューブラー・ロス。終末期医療の先駆者です。彼女が書いた『死ぬ瞬間』は死学の、死についての学問ですね、これはその分野では未だにテキストとして読まれています。
この著書で語られているのは、人が死を受容するには5つの段階があるということです。明日あなたは死にますよ、と言われて実際に死ぬまでに、5つの順序で心模様が変化するということです」
先ほどまでの賑やかな雰囲気は、朝靄が気付けば晴れていたように霧散し、みな真剣な眼差しで話しに聞き入っていた。教授は身を翻し黒板に向き、カッカッカッカッといくつかチョークで単語を書き出すと、それを学生たちに見えるような立ち位置で話しを続ける。
「1段階目は否認です。これは頭では理解しようとしますが、『きっと何かの間違いだ』と心がその事実を認めようとしない最初の段階です。
2段階目は怒りですね。死の事実をなんとか理解しましたが、『どうして自分が!』『悪いことをしたわけじゃないのに!』と怒りという心情に囚われてしまう段階です。これはやむを得ないことなので、身の回りの人がこうなっても嫌わないであげてくださいね。
次は3段階目の取引です。医学でも科学でも神でも仏でも、なんでもよいからすがりつき死を遅らせてほしいと願う段階です。全財産を渡すからやこれまでの行いを改めるからなど、取り引きをして死を回避または延命をしようとするんですね。
4段階目は抑うつです。諦めから虚無感に苛まれ無気力な段階です。神や仏がいないことを悟り、頭でも心でも死を理解します。
そして、最後の5段階目は受容です。死を受け入れ、人生の最後を穏やかに心静かに迎える段階です。死は当たり前の自然の摂理であり、個々に死生観や宇宙感を形成し、死そのものを受容するのです。私も最後は気持ち穏やかに眠りにつきたいものですね」
和泉教授の話。反応は色々だが大学生では実感が湧かず、へらへらした顔でコソコソ話をする者がほとんどだった。それはそうだろう。学生で死を実感できる体験をしてる者などそうそういないだろう。
そんな中、颯太は下を向き目を細めていた。そんな死の段階を踏めば、残された者の心の有り様も違うのだろう。父親を突然失った彩と彩のお母さんのことを思わずにはいられなかった。
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