夏は嫌いだ。ハルが好きだから。
家紋武範様主催『約束企画』参加作品です。
…………夏が、嫌いだ。
『おっきくなったら結婚しよーね!』
暑い夏の日にそんなバカみたいな約束をしたことを、高校生になってもまだ引きずっている私はきっと大バカなんだろう……。
「あ、あのさ。フユって、彼氏いるの?」
「……いないよ」
「じゃ、じゃあさ。よかったら俺と、付き合わない?」
「……ごめん。彼氏はいないけど、好きな人ならいるから」
「そっ! そう、なんだ……」
「うん。ごめん」
高校生になって、告白なんてものをされたことがある。
自分なんかがそんな青春みたいなことをするなんて思わなくて、動揺してすごい冷たい感じになってしまった気がする。
でも、結果的に断ることに変わりはないのだから、変に期待させるよりはマシだろうと自分に言い聞かせた。
「フユ!」
「……ハル」
少し大きな駅の改札。その正面のバスロータリーの入口に立つ謎の銅像。
その前で幼馴染みのハルと待ち合わせた。
『遠き夢見し青年』とかいう題名なのに、なぜか四角い塊しかないよく分からないオブジェ。
「いやー。悪い悪い。久しぶりだったから迷っちまった」
幼馴染みのハルはそんな銅像の意味なんて考えたこともないかのような輝かしい笑顔で、手をぶんぶん振りながら走ってきた。
そうして私の前に到着すると、たいして悪いと思っていない様子で頭をぽりぽりかきながら笑った。
「……久しぶりって、春休みにも来たでしょ」
今の季節は夏。
私は半袖のワイシャツにチェックのスカート。まあ、制服だ。今は夏休みだからリボンはしてない。暑いし、めんどいし。
「そーだけどさー。日々、東京の路線図迷路と格闘している身としては、数ヶ月空くとここの電車の記憶なんてリセットされんのよ」
「……向こうでも、相変わらず迷ってそうね」
ハルは方向音痴だ。おまけに地図も読めない。子供の頃は山に迷い込んだハルをよく探したものだ。
半袖のTシャツにハーフパンツというラフな格好。靴だけがやたらとゴツい。どうして男子はこんな重そうで暑そうな靴を履くんだろうか。私は制服じゃなきゃ夏はほとんどサンダルなのに。
「そりゃーな! よく迷って遅刻して先生に怒られてるさ!」
「……自慢げにゆーな」
なぜか腰に手を当てて威張るハル。
「てか、おまえなんで制服? 学校あったの? あ、さてはバカ過ぎて補習とか?」
「……一緒にすんな。
私のは、その……めんどかっただけ。普段も長期休みによく制服着てるから」
嘘だ。
本当は前日に着ていく服を悩みすぎて決められなくて、結局前に会った時にも着た制服に落ち着いただけ。
こんな田舎の中学から東京の高校に進学したハルがどんな洋服が好みかなんて分からなかったし。聞けるはずもなかったから。
「ふーん……」
「な、なによっ」
ハルは私の頭の先から足先までをジロジロと眺めた。
どこか変な所でもあっただろうか。家を出る前に何度も鏡で確認したはずなのに。
「ま、おまえはなに着ても可愛いもんな」
「っ! ……おまえゆーな」
こいつはすぐにこんなことを言う。しかも無自覚だから手に負えない。
「んなことより俺腹へったわ! メシ食いに行こーぜ!」
ハルはそう言うと、一人でさっさと歩きだしてしまった。
「……ったく」
私からしたらそんなこと、じゃないのよ。
まあでも、たぶん赤くなってる私の顔を見られないのは好都合だけれど。
「俺、あれがいい!
令和軒のチャーシューメンとチャーハンとギョーザ!」
「……ホンット、よく食べるようになったわね」
昔は私の作ったクッキーも全部食べきれずに、『ごめんねごめんね』って泣きながら無理やり自分の口に突っ込んでたのに。
せっかく作ってくれたものだからって……そんな所は無駄に優しくて……。ま、それは今でも健在だけど。
「え、まだあるよな? 潰れてないよな?
最近、近所のラーメン屋が潰れてメンタルブレイクなんよ!」
「……あるわよ。生涯現役とか言ってたわよ、あそこのおじいさん」
「よっしゃ! まだ死ぬなよ、じじい!」
「ちょっと」
凄まじく不謹慎だけど、ハルが言うと嫌味がないのが不思議。
「んーなら、さっさと行こーぜ!」
「あ、待ってよ」
走り出すハルを慌てて追いかける。
昔は私よりもチビで、よく私のあとを頑張って追いかけてきてたハル。
そんなハルの背中を、私の方が追いかける側になったのはいつからだろうか。
せっかく久しぶりに会ったのだから隣を歩きたいという私の密かな希望など一瞬で打ち砕いて、ハルは颯爽とラーメン屋さんに向けて駆けていってしまう。
「おーい! 早くしろよー!」
「はぁはぁ。速いわよ」
でも、ハルはある程度距離が空いたらちゃんと待っててくれる。
私の好きな笑顔でしょーがないなと言いながら少しペースを落としてくれる。
「ほれ。フユ。ファイトー」
「っもう」
笑いながら小走りになるハルに、いつの間にか私まで笑顔にさせられる。
ホントは汗をかきたくないから走りたくなんてない。
ハルはそんなこと気にしないだろうけど、一応これでも私は女だ。ようやく慣れてきたマスカラやリップの仕上がり具合を気にするぐらいには。
目の前の幼馴染みによく見られたいと思う愚かなJKだ。
ちょっとでも可愛いと思ってもらいたいバカな女子だ。
「もーちょいだ! 頑張れ! フユ!!」
「……バカ」
でも、その笑顔に追いつきたいからと頑張って走っちゃう私は、ホントにバカだと思う。
恋って、ホントに厄介……。
「はー! うまかったー!!」
「おまけしてくれたね」
「おう! やっぱ最高の店だな!」
ラーメン屋さんに着くと、店主のおじいさんはハルのことを覚えていた。
ラーメンにそっとのせられた煮卵にハルは感動してた。
帰り際、「俺がまた来るまでくたばるなよ、じーさん」ってハルが言ったら、おもいっきり頭を叩かれてた。
そのあとに、「ならまた早めに来るんだな。年寄りはいつ死ぬか分からんからな」っておじいさんが言って、二人は笑ってた。
昔よりも陽気になったハルは、なんだかんだ人に気に入られることが多い。
昔は、私ぐらいしか遊び相手がいなかったのに。
「腹ごしらえは済んだし、次はどこ行くべー」
ハルはお腹をぽんぽん叩いて満足げだった。
久しぶりの帰郷だというのに、ハルはまず私との時間を作ってくれた。
というか、それが毎度のお決まりだった。
毎回、長期休みの間はしばらくこっちにいるようだ。明日は中学の時の友人たちと遊ぶ予定らしい。
「そーだねぇ」
一番に私との時間を作ってくれていることが何より嬉しかった。
ハルの、特別になれているような気がして……ま、実際はただの幼馴染み以外の何物でもないんだけれど。
「あそこ、行きたいな。公園」
「あー! いいな! 行こーぜ!」
私の提案に嬉しそうに同意してくれる。
ハルはだいたいこういう時に否定しない。
何でも楽しんでくれるから。
だから私は安心して自分のやりことや行きたいところを提案できる。
今度は走ったりせずに、二人で並んで歩く。
自分の後頭部に両手を回して呑気に歩いてることがちょっと恨めしい。
その手を下におろしてくれないと、たまたまその指に触れてしまうこともできない……。
「昔はよくあの公園で遊んだよな~」
ハルが遠い目をして語る。
かつての思い出に想いを馳せているのだろうか。
「あの頃は、あんたは泣き虫で気弱で、チビだったわよね」
「あー。そんなこともありましたね~」
軽い嫌みも笑って流してくる。
中学に上がってから、ハルはどんどん身長が伸びていって、性格も明るくなっていった。自分に自信がついたのだろう。
もともと顔は整っていたから、そこに身長とコミュニケーション能力が備われば怖いものなしだ。
それでも、私とだけは昔みたいに一緒につるんでくれたのが嬉しかったな。
そんなハルが私にとって特別になるのは不思議ではないだろう。
幼い頃に交わした『大きくなったら結婚しよう』なんて可愛らしくもバカバカしい約束を後生大事にするぐらいには、私はハルに惚れていたのだ。
そして、『おまえら付き合ってんのかよー』という周囲のバカみたいな野次に密かに喜ぶぐらいには、恋するバカな思春期の乙女なのだ。
「ブランコ空いてるぜー!」
「もう」
公園に着くと、ハルは子供の頃はうまくこげなかったブランコに走って向かった。
一応、周りに子供はいないようだから少しぐらいならいいか。
こういうのって、子供からしたら大きい人たちが遊んでると怖くて近付けないのよね。
ま、ハルならブランコで遊びたそうにしてる子供がいたら一緒に遊ぶぐらいのことは余裕でするだろう。
「ははっ! 久しぶりだと楽しいなっ!」
「まー、そーね」
何年ぶりかのブランコは確かにちょっと楽しかった。
まあ、私はハルが隣にいれば何でも楽しいんだけど。
「へい! そっちいったぜ!」
「……まったく」
その後はハルがサッカーをしていた男の子たちの所に混ざりに行ってしまい、私はその光景をのんびり眺めていた。
まあ、楽しそうにしているハルを見るのは好きだけれど。
このあと、息を乱しながら「楽しかったー」と言って私のもとに戻ってきてくれるのが楽しみなのは内緒だ。
「……あの、なんかすいません。うちのバカが」
私は一応、子供たちの母親らしき数人のグループに一言言っておいた。
学生っぽいとはいえ、知らない人間が子供の遊びに入ってきたら親としては不安だろう。
「あら。いいのよ」
しかし、母親の一人がハルの母親と知り合いだったようで、とくに咎められることもなかった。
「こっちこそごめんね。彼氏さんを取っちゃって」
「ち、ちがっ! か、か、彼氏なんかじゃ……ないです!」
「あらそうなの? さっきから仲良さそうだったからそう見えちゃったわ」
「……」
なんて返せばいいか分からなくて思わず黙る。
「……そっか。まだ、彼氏さんじゃないのね」
「ふぇっ!?」
「ふふふ。頑張ってね」
「う、うぅぅ……」
もはや何を言い返してもダメな気がした。
これが大人の女の余裕か。
「ふぇーい! 楽しかったー!」
「わっふぉい!!」
「ん? どしたん?」
動揺してる所にハルが帰還してきて思わず飛び上がる。
「な、なんでもなし!
ほ、ほらっ! もう行くよ!!」
「お、なんだよ。急に」
私は慌ててハルの手を掴んで公園の外まで引っ張る。
さっきの母親がなんだか嫌な笑顔で見送ってきた。
頑張れってか? 頑張ってるんよ、これでも。
運動してたハルの手は暖かくて、いつもは冷たい私の手も動揺で熱くなってて、繋がれた二人の手の中は、なんだかマグマみたいに熱く感じた。まあ、マグマなんて触ったことないけど。
「いやー。楽しかったなー。サッカーとか、わりと久しぶりかも」
「っ」
ハルがTシャツをパタパタさせる。
いつの間にか逞しくなったお腹がちょっと見えた。
これ以上、私を動揺させるようなことはしないでほしい。
顔から火が。口から心臓が飛び出しそうだ……いや、それはなんかキモいな。
「んじゃー、そろそろ帰るべ」
「……そだね」
いつの間にか日が暮れていた。
好きな人と過ごす時間はどうしてこうも早く過ぎてしまうのだろう。
できたら学校の授業にもその制度を導入してほしいぐらいだ。
「……」
公園からの帰り道。
二人でよく歩いた道。
あの信号を渡れば、すぐに二人のそれぞれの家だ。
日が沈みかけた茜色の道を、こうしてよく二人で歩いたものだ。
「あー、なんかもう腹減ってきたな~」
「……」
ハルがなんかバカみたいなことを言ってるけど、それに軽口を返すこともできなかった。
心臓がバクバク言ってる。
決めていた。
二人でよく歩いたこの道で、私はこの気持ちをハルに伝えると。
本当はギリギリまで二人でバカみたいなやり取りをしたかった。
つまらない女だと思われたくなくて。
でも無理だった。
いざその瞬間が訪れると、何も言葉が出てこなかった。
足が震えて、ちゃんと歩けているかも分からなかった。
「あー。ここの信号は相変わらず長いんだな」
「……そ、だね」
赤信号で立ち止まり、かろうじて漏らしたつまらない返事。
赤信号で良かった。
好き。
そんな短い言葉なのに、私の口と心はまだ覚悟が決まらなかったから。
「……あー、あのさ」
「……ん?」
過ぎ行く車を見送りながらタイミングを見計らっていると、ハルが頬をかきながら少し気まずそうに話し出した。
こんな顔のハルは初めて見る。
「えっと、フユにはさ。一番に言っておこうと思ったんだ」
「……なに?」
なんだろう。
なんだか、すごく嫌な感じが……。
「俺さ。彼女ができたんだ」
「……え?」
……え、と。今、なんて……?
「いや、高校の同級生でさ。
部活のマネージャーなんだけど、いろいろお世話になっててさ。部の買い物とかもよく一緒に行ったりしてて。それで、その、なんか良い子だなって思って。
それでいつの間にか彼女のことを目で追うようになってて……」
なんか言ってる。
ハルが少し照れながら、早口で喋ってる。
何を言ってるのか聞こえない。
たぶん聞きたくないから聞かないようにしてる。
ハルの声だけが遠くなって、車や周りの音だけがやけにうるさくて……。
あれ?
世界って、こんなにも色がなかったんだっけ?
さっきまで夏の暑い日差しも、蝉の鳴き声も、子供たちの賑やかな声も、全部が色づいて輝いていたはずなのに。
なんだか、モノクロの世界に一人きりみたい……。
「お。ようやく青になった。
とりあえず渡ろーぜ」
ハルがこっち見てなんか言ってる。
さっきまで、一言一句聞き逃すまいと思っていた私の大好きなハルの声が、今は遠すぎて何も聞こえない。
あ、信号変わったのか。
渡るのか。
足、動かないな。
でも歩かなきゃ。
変に思われる。
好きなんて言えない。
もう、永遠にハルに好きって気持ちを言えない。
……言えなくて良かった。
言わなくて良かった。
言わないままなら、せめて今の関係のままで、いられる……。
「フユ。おい。大丈夫か?」
「……へ?」
あ、そだ。
歩かなきゃ。
歩か……。
「きゃっ!」
「おっと!」
何とか足を踏み出そうとしていると、後ろから歩いてきた人にぶつかってしまった。
「あ、すいません」
「……ませ……」
「すんません!」
青信号なのに立ち止まってた私が悪い。
向こうも謝ってくれたけど、それに返せない私の代わりにハルがおっきな声で謝ってくれた。
「おい。ホントに大丈夫か、フユ?」
「……っ」
気付いたら、私はハルの腕の中にいた。
というか、転びそうになった私をハルが支えてくれていた。
心配そうに私の顔を覗き込むハル。
大丈夫。
大丈夫だから……。
そんな言葉を絞り出そうとする。
信号はいつの間にかまた赤になってた。
ここの信号は歩行者に不親切だ。
「……フユ?」
車が走り出す。
モノクロな世界に車の音が響く。
心配そうに見下ろすハルの顔。
熱いぐらいに暖かい、背中に回された手。
「……好き」
「え?」
「っ!」
ヤバい!
大丈夫って言うはずだったのに、優しいハルの顔をボーッと見てたら、つい……!
「……悪い。車の音で聞こえなかった。
大丈夫か?」
「!」
良かった。
ハルには聞かれてなかった。
良かった……。
うん、良かった。
良かったんだよ。
「……ごめん。大丈夫。ちょっと暑さにやられたのかも」
ようやく出た言葉と動いた体。
体勢を戻しながらハルから離れる。
きっと、もう二度と触れることのない……。
「悪い。公園で長居しすぎたな。帰ったら水飲んで休めよ」
「……うん」
ハルは何も悪くない。
悪いのはバカな私だ。
子供の頃のバカみたいな約束にすがっていた、いつまでも子供な私だ。
ハルに大きくなったら結婚しようと言われたとき、私はなんて返したんだっけか。
今さらながら、そんなことを考える。
そうだ。『私より背が高くなったらね』なんて、バカみたいなことを言ったんだ。
背なんて、中学の時にはとっくに追い越されてたのに。
ハルは、そんな約束なんてとっくに忘れて東京の高校に行ってしまったのに。
悪いのは、バカなのは私だ……。
「……」
「……」
再び二人で赤信号を待つ。
早く青になってほしい。
どうしてだろう。
好きな人といる時間はあっという間なはずなのに、今はどうして時が流れるのがすごく遅いんだろう。
どうして、私は早くハルと離れたいと思ってるんだろう。
それはたぶん、早くしないと泣いてしまうからだ……。
「……ごめん」
「え?」
私がうつむいていると、ハルがぽつりと呟いた。
顔を見られたくないから、ハルの顔が見れない。
ずっと見ていたいと思っていたのに。
「……さっきの、聞こえてた」
「……え?」
それって……。
「聞こえてたのに、聞こえてないフリしようとしてた。
でも、それはダメだと思った。悪い」
「……あ」
やっぱり、それのことだよね。
そっか。
聞こえてたんだ。
「……聞こえてないフリ、しててほしかった」
「……ごめん」
そんなこと出来ないハルだからこそ……。
「……ぜんぜん、気付かなかった。
フユはいつも笑ってくれてたし。一緒にいすぎて、いつからそう思ってくれてたのか……」
……始めっから、だしね。
「それに、中学に上がるぐらいにはちょっと素っ気なかったし」
それは、どんどんカッコよくなっていくハルに近付くのが恥ずかしかったから。
周りの目も気になりだす年頃だしね。
「……あの頃に言ってくれてたら……いや、東京の高校に行くって言った時に、俺が素直に言えてたら……」
「……え?」
「……いや、ごめん」
……。
「……それはずるいよ」
そんなこと、今さら言わないでよ。
「……ごめん」
「謝ってばっかだぞ」
「……ごめ、あ……えーと」
「ははっ」
言葉に詰まってしまったハルに思わず笑みがこぼれる。
笑えたことに自分でも少し驚いた。
「それに、そんな後悔の仕方は彼女さんに失礼だからね」
「……そうか」
「そうだよ」
そんな、彼女と出会ったことを後悔するような言い方はするな。
それは私が好きになったハルじゃない。
「……そうだな。俺は、彼女を好きになったことを後悔なんてしない。
これからも、きっと、ずっと」
「……うん」
それでいい。
それでこそハルだ。
私が大好きなハルだ。
チクリと刺さる胸の痛みなんてシカトしてやる。
「……青だ」
ようやく信号が再び青に変わる。
「行こ」
「……ああ」
今度こそ歩きだす。
二人で、並んで。
隣にいるのに、そこには分厚い壁があるみたいだ。
信号を渡れば、私たちの家への道は左右に分かれる。
もう交わることはない、別々の道に。
「……」
「……」
信号を渡り終わる。
その間、互いに無言で。
たぶん、二人とも最後になんて言うか考えてたんだと思う。
「……約束、守れなくてごめんな」
「……っ」
こいつは、ここでそれをぶっこんでくるか。
「……とっくに忘れてるんだと思ってた」
「忘れてた、で、いま思い出した」
「あははっ!」
だよね。
「ま、子供の頃の約束なんてそんなもんだよ」
「……」
「その約束にすがりついてたバカな女がいたなんてことはないから安心しなよ」
「……フユ」
謝んなよ。
「ごめん……」
謝るなって。
「大丈夫。たぶん夏休み中、ずっと泣き続けるけど大丈夫だから」
「……いや、なんて返せばいいか分かんねーよ」
「あははっ」
これぐらいのイジワルは許してよね。
ずっと、好きだったんだから。
「……もう、会わない方がいいのか?」
それも聞いてくるんか、あんた。
「……彼女さんのためにもね。
てか、ハルがそう思ってる時点でそうした方がいいんだと思うよ。
少なくとも、今はまだ私はハルのことが大好きだから。友達とは、まだ思えないからね」
「……っ!」
びっくりしてる。
私もびっくりだよ。
さっきまで言えなかった好きの言葉が、こんなにもあっさりと出たことに。
「……そっか」
「うん……」
ああ。終わったな。
お互いにこくりと頷いた所で、私の恋は終わりを告げたのだと感じた。
たぶん、ホントに夏休み中は泣きはらすけど。
「……彼女さんのこと、大事にしないと許さないよ」
「……分かってるよ」
ハルなら、言われなくても分かってるだろうね。
「泣かせたりしたら、ハルの家のポストにラーメン入れまくるから」
「いや、近所迷惑!」
「ふふ」
「ったく」
うん。これでいい。
これぐらいでいい。
これぐらいを、私は忘れない。忘れてない。
ついさっきまでの、こんなバカみたいなことで笑い合う関係を忘れない。
友達としての、二人の関係を。
「……いつかさ」
「うん?」
「いつか、ハルの彼女さんを紹介してほしい」
「!」
「友達として」
彼女的には嫌かもだけど。
でも、その時は全力で彼女の味方をしてやろう。
ハルが恐れるぐらいに彼女の味方になろう。
「……分かった!」
ハルは少ししてから嬉しそうに頷いた。
「ま、しばらくはそんなん無理だし、毎晩泣くけどね」
「……だからリアクションに困るて」
「困れ困れ」
こっちは何年片想い拗らせてたと思ってるんだ。
最後に困らせるぐらい許してやれ。
「……じゃあ、帰るか」
「……ん」
頭をぽりぽりした手で、ハルはそのままバイバイと手を振った。
私が好きな笑顔で。
「じゃあね」
私はそれに笑顔で手を振り返し、くるりと踵を返して歩きだした。
振り返りはしない。
ハルもきっと歩きだしただろう。
きっとハルも振り返ったりはしない。そういう奴だ。
私も振り返らない。
万が一にもハルがこっちを見ていたら、涙が溢れた顔を見られてしまうから。
最後は笑顔の私でいたかった。
ハルの思い出に、笑顔の私でいたかったから。
夏が嫌いだ。
暑いし、ダルいし、苦いし、切ないし苦しいし……。
夏は嫌いだけど、今はまだハルが大好きだ。
いつか、ハルも夏も同じぐらい好きになれた時、ハルに彼女を紹介してもらおうかな。それで彼女さんと二人でハルのことをいじめてやるとするかな。
ハルの子供の頃の恥ずかしい思い出をたくさん教えてあげたい。
私が知ってる彼女さんの知らないハルをなくしてあげたい。
そう思えるように、今日はまずいっぱい泣こう。
今はまだ、夏よりもハルのことが大好きだから……。
七海いと様作