第22章 傷を負い
徳島と和歌山を結ぶ紀伊興産オーシャンフェリーの甲板で、章良はディフォルミスと戦っていた。黒雲でなければ、ディフォルミスへの攻撃に意味が無いため、絶望的な状況だ。
とても現実とは思えない光景。暗闇が周囲を包み、明るさは船の照明頼み。消防斧を振るい、果敢に……いや無謀に戦う章良だが、時間を稼いでも助けなど来るはずもなく、自暴自棄になりかけていた。ディフォルミスは本体から攻撃を仕掛けてくることはないが、周囲の霧というべきか黒い風のようなものが、時々鋭利な刃物のように豹変して、章良の皮膚を傷つける。
章良は、皮膚に切り傷をいくつもつくり、避けなければ服も切り裂かれていく。ディフォルミスは、依然として会話を求めているように声をかけてくる。
「どうすればいい……この状況からどう打開すれば……」
頭の中だけで考えることをやめ、章良は口に出して状況を整理する。
「そもそも和歌山まで辿り着くかどうかも不明。ここが日本ではなく、別の空間や世界の可能性もあるが、ここがどこかは考えるだけ無駄。船の上からは逃げられない。この斧もディフォルミスに対しては、攻撃力がゼロ。対話を求めている割には、風で周囲を切り裂くような攻撃がある。こんな攻撃パターンあったか……?」
新たに傷をつくりながら戦っていると、また不気味で複数人の声が聞こえてくる。
「ドウカ……ワタシタチヲ……」
ディフォルミスの声。今まで無視していたが、
「お前が誰かなんて興味ないし、俺たちから色んなものを奪った。今更命乞いなんて、図々しいにも程がある」
違う。章良は即座に気付いたことがある。なんでこの状況で命乞いするんだ? 相手は無敵だ。寧ろこっちが命乞いする立場だろう、しないけれど。
「お前はあの日、健とともに消えたはずだろ。また俺たちの前に現れて、殲滅するつもりか!?」
「チガウ……キイテ……」
「そうじゃないって!? どの口が言ってんだよ!」
この苛立ちは消えることはない。今更、許すつもりはないし、助けるつもりもない。
「ワタシ……タチノ……ヨウニ……」
会話はすべきではなかった。章良は自分の判断に後悔しつつ、もう一度この場からの脱却を考え出す。
「斃せないならば、一度、船内に戻るか……」
「キミハ……ナラナイデ……」
ディフォルミスの言葉に耳を傾けるつもりはなかったが、不穏な言葉に、脱却の考えを遮られる。
「クロイ……イワニ……ノミコマレル……」
「黒い岩……? 黒雲か……?」
章良が知っている黒雲は岩ではないが、黒雲はもともと鉄隕石だったことは知っている。
「ドウカ……ワタシタチヲ……タオシテ……」
最後の一言とともに、章良の目の前が真っ暗になる。
*
悪夢と言うべきか。目が覚めるとフェリーの甲板で横たわっていた。声が聞こえる。複数人の声だが、先ほどまで聞こえた不気味な声ではない。
最初は何て言っているか聞き取れなかったが、次第に心配して声をかけていると分かった。
「大丈夫ですか!?」
耳元で大きな声でハキハキと声をかけられている。遠くの方からは
「担架を持ってきたぞ」
「こっちへ! 毛布やタオルも」
誰かに指示しているようだ。
「急に動かすと危ないから。安静にしたままのほうが」
担架で動かすかどうかの話をしているのだろうか。
「念のため、お水も用意しますか」
と、遠くへ走って行く足音がする。
さらに、自動音声が聞こえてくる。
”心電図を調べています。患者に触れないでください。解析中です。”
自動音声の主は、AEDだ。AEDを使うのは、突然の心肺停止となったときに、心臓に電気ショックを与えて心臓を正常に戻すためだ。
”ショックは不要です。”
という、AEDの自動音声が流れた。すぐさま、
「胸骨圧迫、再開します!」
と、1、2と数を数えながら、胸骨圧迫を行う。……誰に対して?
生死を彷徨っていたのが自分だと分かったのは、もう少し後だった。
章良は、ようやく意識を取り戻して咳き込むと、周囲の人々が
「大丈夫か、意識が戻ったぞ!」
「良かった」
「気が付いたんだな」
「包帯と絆創膏はまだか!?」
と、安堵の声や指示が飛ぶ。
「なにが……」
章良が立ち上がろうとすると、周囲の人々から
「動くと危ないよ」
「いろんなところを怪我してるんだ、安静にして」
と止められた。視線を動かして、右手を見ると傷だらけだ。あれは夢では無かったということだろうか。
「お客さん、大丈夫ですか。意識を失っていたところ、AEDとこの方が心肺蘇生を」
乗組員と思われる若い男性に言われ、事態を把握した。自分は意識がなくなって、AEDと心肺蘇生で意識を取り戻したのだ。危うく、死ぬところだった。しかし、なぜそんな状態に陥ったのかは思い出せない。ディフォルミスとの戦闘はどうなったのだろうか。
心肺蘇生を率先して行ったと思われる人物は、
「切り傷が多いけど、あまり血は出ていないから大丈夫だから。だけど、動くと傷口が開く恐れがあるし。だから、安静にしてて」
その声に聞き覚えがあった。それとともに、章良は言葉を失った。ゆっくりと、その人物の顔を確かめる。声は若い女性で、ハキハキと喋っており、まるでアナウンサーのようだ。そう、まるで……
近くでは、乗組員の男性が、協力のお礼を周囲の人々に言っているようだが、章良の耳には届いていない。何人の人が協力し合っていたのかは分からない。それよりも、自分の横に座っていた人物を見て……
「えっ……?」
やっと、声が出た。しかし、それだけで、ちゃんとした言葉にはなっていない。
「なに? もう大丈夫だから。……ん? 顔になにかついてる?」
と、化粧が崩れないように、優しく自分の顔を指で確認する。遠くから
「包帯とガーゼ、救急箱です!」
という声がして、女性は包帯を受けとる。包帯を章良の右腕から巻き始めた。
章良の視線の先には、恵菜がいる。でも、なぜ?
To be continued…
【登場キャラ】
・光規 章良。恵菜の姿をしていたディフォルミスを追って、紀伊興産オーシャンフェリーに乗船した。体中に切り傷を負い、一時は生死を彷徨った。
・一条 恵菜。ディフォルミスによって意識不明の重傷のはずだが、章良の心肺蘇生を率先して行ったのは、恵菜だろうか。
・ディフォルミス。恵菜の姿を手に入れた。誰の姿でもないときは、複数人の声で喋ることが判明した。
「第22章 傷を負い」に関して
章良が黒雲の剱を持っていない時点で、ディフォルミスに対して勝ち筋はなく、引き分けか敗北のみ。敗北は即ち、死去を意味しており、恵菜だけではなく章良も非常に危うき橋を渡った感じです。よく生き残ったなと思いつつ。現在はイオも危うい状況下ですが……。
さて、第二部の終わりに近づいております。次回は、異世界パートの予定です。
結局、章良を救った恵菜と思われる人物とは……?




