第1章 錆れた剱
東京都内。アスファルトからもジリジリと暑さがはね返され、少し歩けば忽ち汗を掻く。今日の最高気温は35度超えで、猛暑日となる予想だ。日付は、8月2日の午後1時。最寄り駅から5分も歩いていないのに、もう歩きたくなくなる。
(なんで、こう日本の夏ってこんなに暑いんだか……)
そんなことを思いながらも、日本に来て5度目の夏になる。光規 章良は、今年で27歳だ。現在は、Webメディアの記者兼カメラマンとして働いている。顔立ちは良いが、余計な一言で印象を悪くすることが多く、上司からよく注意された。
章良が向かうところは、オフィス街の一角、日本を代表する大手テレビ局であった。取材ではなく、私用で。
(何気に、ここに入るのは初めてなんだよな……)
ガラス越しにエントランスが見える。建物の看板には、テレビ日本放送とあり、ロゴマークの”テレニチ”とイメージキャラクターみたいなものが書かれていた。
(受付に行くより、電話するか……)
章良は、ポケットからスマホを取り出して、電話帳をスクロールする。ア行だからと適当にスクロールすると通り過ぎて、少し戻す。取材で連絡先がどんどん増えて、登録数は多い。
目的の名前を見つけて、タップし電話をかける。2コール鳴ったところで、路上から悲鳴が上がる。章良はすぐに呼び出しコールを切り、悲鳴のした方を見ると、
通りすがりのサラリーマンが「人が刺された!」と叫ぶ。事態を察した章良は、逃げ惑う人や尻餅をついた人を避け、走る。
「どうしました!?」
と、逃げ惑う人々に聞くが返事を聞く前に、目の前の光景を疑った。会社員と思われる女性が倒れ込み、太ももから流血している。女性には意識があり、動けないようだ。章良は駆け寄って、その女性に声をかけようとすると
「あの人に刺され……。後ろ!」と、他の人からも「後ろだ」「危ないぞ」と複数の声が飛ぶ。
章良が振り向くと、そこには血の付いたナイフをもつ男が立っており、振りかぶって!
被害者の女性も目を瞑り、生暖かいものが顔に付いた。女性は意識せずとも、それが血であると認識し、悲鳴を上げる。どうやら、先ほどの悲鳴も、この被害女性だったようだ。
ゆっくりと瞼を開くと、通り魔の男が振りかぶったナイフで、章良が血を流している。
しかし、予想とは裏腹に、飛び散った血は章良の右手の血だった。章良はナイフを右手で掴み、通り魔の男の足を払う。通り魔の男は声を上げてその場に倒れ、駆けつけたテレビ局の警備員が取り押さえる。
「おっさん。危ねぇな……」
章良は自分の右手の傷口を確認しつつ、ポケットにハンカチがないか探すが見つからず、それよりも先に
「危ないのは、章良のほうだと思うんだけど……」
声をかけたのは、テレビ局から出てきた女性アナウンサー、一条 恵菜。恵菜は、自分のポーチからガーゼと包帯を取り出す。恵菜は被害者女性にやさしく声をかけて、手早く処置する。どうやら、テレビ日本放送の関係者だったようだ。
「あくまでも、救急隊が到着するまでの応急処置ですので」
「俺は?」
章良が左手で自分を指差して、怪我人をアピールすると、恵菜は黙って適当な長さにカットし、章良に投げ渡す。それを左手でなんとか受けとった章良は、怪我していない左手と口で傷口の処置をする。
*
テレビ局の報道部デスクを通り抜け、会議室へ。章良は、あのあと到着した救急隊に再度処置してもらい、右手は包帯でグルグル巻きだ。また、警察へ事件当時の説明をしたため、気付けば午後3時である。
章良は適当に着席して、給湯室へ行った恵菜を待つ。1、2分ほどで、恵菜も入室し、お茶を2つ机に置く。その際に
「なんか、段々と健に似てきてない?」
「ん? 俺が……健に?」
「そう。昔の健を見てる感じだった。何かあれば、駆けつけるような。危険を顧みず、無謀と言えば、無謀なんだけど……」
「そう?」
章良は全然、気にする様子もなく、お茶を飲む。
「章良と直接会うのは、久しぶりだね。最近、仕事が忙しくなってきたし……」
「それは、俺もそうだけど。テレニチの女子アナウンサー、一条 恵菜。朝の情報番組でレギュラーになって、最近はバラエティーにも出て、人気らしいな」
「章良の方はどうなの? Webメディアの”トティック”だっけ?」
「”トティック”は、局アナと違って、何の縛りも無いから、自由にさせてもらってるよ。自分でアポ取って、機材持って。時にはキャスターのスケジュールも抑えて。動画の場合は再生回数や評価、記事の場合は閲覧数とコメント数重視らしいけど、全然気にしたことないな……。なんか、社長が期待してるとかって噂もあるから、安泰だな」
恵菜はお茶を飲みながら章良の話を聞いて、特にコメントせず流した。章良は喋り終えると、椅子に深く凭れ、天井を見て
「結局、何の情報も得られないまま、時間だけ無情にも過ぎていった……ってだけな気もするな」
「まだ諦めてない? 大丈夫?」
恵菜が心配そうに聞くと、章良は
「どんだけ時間がかかろうが、諦めきれるかよ……。まだ終わってないんだ……。あの戦いは……」
「そう。その気持ちは錆びれてないみたいだけど……」
「ん?」
「昨日、イオから受けとったアレ……」
恵菜はそう言って、席を立つと、会議室を一度出て、小包を1つ持ってきた。それと一緒に、一枚の写真を見せ、
「章良が持ってたご自慢の剱。もう錆びて使えないって」
「あぁ……。流石にそれを持って入国はできなかったし、手入れできないからなぁ……。それにしても、錆びるのが早くないか?」
章良が昔使っていた剱の現状を収めた写真。剣先に錆が発生していた。日本では、当然ながら銃刀法違反になるため、母国に置いてきた。
恵菜は一度開封済みの小包から箱を取り出すと、
「それと。遅くなったけど、今日の本題は、コレ」
そう言って、箱を開けるとA4サイズの1冊の本が入っていた。それを見て、章良は
「これって……」
「ご存じ。健が持ってた”封解の書”。未来の予言を特定の人物だけに伝える不思議な書物。改めて考えると、現実から乖離のあるすごくファンタジーなものだけどね……。これをイオが見つけて、こっちに送ってきたみたい。私の勤務先宛てで届いてたけど」
「確実に受けとるには、ある意味、それが一番だな……。日中、仕事している俺らが受けとるのって、タイミングによっては数週間かかるからな……」
章良は箱から封解の書を取り出し、表紙から順番に捲る。真っ白なページが何ページにも続くが、1ページだけ文字が書いてあった。
「”汝、約束の地より出立す。仲間との再会の時は近し”」
たった1行。だが、それがどれほど大きな意味を持つか。章良は封解の書を置くと、左手を力強く握りしめ、言葉にできないほど歓喜に沸いた。
恵菜も、無意識に一粒の涙が頬を流れていた。
「イオからも手紙が同封されてた。”恩人への再会の時は近し”だったそう。私も、同じような表現だった」
恵菜は、封解の書に書かれた文字を直接表現はしなかったが、同様に再会のときを記していたのだろう。封解の書には、何度も世話になったことがある。そして、その予言が悪いとき、回避することは可能だったが、必ず起きていた。つまり、
「やっと、確実な情報を掴んだ……。健たちは、生きている。今もどこかで……」
嘗て、強敵との戦いの最中で、健たちと別れてしまった。勝利を掴み取ったように思えた母国には、平和が訪れたが、一向に帰ってこない仲間。戦死した仲間……。残された章良と恵菜、そしてイオの3人は、強敵とともに姿を消した健の捜索を目標にしてきた。そして、ようやく掴んだ情報。健は生きていた。
*
どこかの国の、どこかの豪邸だろうか。明け方と思われる時間帯。ベッドから起き上がって、違和感を覚える。その違和感の正体を確認するために、姿見の前に立つ。そこには、齢12歳ぐらいの少年の姿が鏡に映っており、
「これ……、誰だ……」
状況が飲み込めず、その場に立ち尽くす……
To be continued…
【登場キャラ】
・光規 章良。現代パートの主人公。27歳男性。嘗ての行方不明となった仲間を捜索しており、手がかりを求めて、日本でWebメディアの仕事の傍ら、情報収集をしている。
・一条 恵菜。27歳女性。章良と同じ目的で、テレビ日本放送の女子アナウンサーとしての仕事を熟しながら、情報収集をしている。独身だが、とある理由で婚姻届は出していないけれど、結婚紛いな対応をしたことがあった。なお、当時無断で名前を借りた人物は戦いに敗れた。医療知識があり、いつも持ち歩いているポーチには、応急処置用のガーゼや包帯などが入っている。
・健。名字は不明。この世界で生きていれば、27歳男性。強敵との戦いの最中、行方不明になったが、事実上の生存を確認。しかし、どこで生きているかは不明。
・イオ。20歳の青年。健や章良たちに救われ、仲間であり恩人でもある。章良と恵菜が日本で活動しているため、イオは海外を中心に各国を渡り、情報収集している。”封解の書”を発見し、恵菜の勤務先宛てで発送した。なお、なぜか送付元は羽田空港第3ターミナルであった。もしや入国している?
・被害女性。安藤 智子。テレビ日本放送の人気番組でディレクターを勤める。恵菜と一緒に仕事をしたこともあり、面識がある。
・加害者男性。藩 当真。通り魔。
・テレビ日本放送の警備員。汐海 順一。テレビ局入口の警備に当たる。事件発生時、駆けつけて通り魔を取り押さえた警備員。
【特記】
・封解の書。健が所持していた書物。本を開くと、その大半が白紙のページである。特定の人物を対象に、未来の予言が記される。その予言は対象の人物しか読めず、他人が見ても読めない。例え、同じ語学力の人物同士でも読めたり読めなかったりするため、単純な文字ではないことが推測される。さらに、欲した情報が記載される訳ではなく、封解の書の気まぐれであり、頼りになるのかならないのかよく分からない代物である。ちなみに、この書物の仕組みは、全くの謎である。
「第1章 錆びれた剱」に関して。
新装して、『黒雲の剱』(以下、黒剱)の新たな物語が始まりました。旧作については、特に触れずに今作でイチから説明をしますので、新しくなった『転生の楔』をよろしくお願いします。
さて、第1章のタイトルは、やっぱりこれだなと、今までの旧作と同様のタイトルを採用しました。色々と変わっても、『黒剱』は、これでスタートしないと。なお第2章以降は、全く異なります。さて、現代パートは、日本が舞台のため、キャラクター名が漢字に変わりました。先に言うと、異世界パートは、基本的にカタカナになります。使い分ける理由はあるのですが、それについては、少しずつ明らかになっていくかと。
通り魔にするかトラックにするか考えた結果、通り魔に刺されるという展開はやらねばと思い、盛り込みました。ただ、転生するのは章良ではないので、死者は出ていないです。本編で名前が出ていないのに、あとがきの登場人物で名前があるのは、『エトワール・メディシン(以下、エトメデ)』で同じ事件を取り扱ってます。今日更新の『エトメデ』第79話にも、章良たちが登場していますので、ご興味があれば、そちらもよろしくお願いします。
『転生の楔』は、あとがきで登場人物の列挙を毎回やろうかなと思ってます。それにより、本編では触れていない部分も書き出せますし、総集篇をせずとも、あとから振り返りやすいですし。
1話目に長々と後書きを書くと、以降のネタがなくなるので、この辺りにして……
第2章以降も、よろしくお願いします。次回は、異世界パートです。