第6項
「ワシも長年魔法を教えとるが、口から火球魔法を放つ者を見たのは、火竜以外では初めてですじゃ」とは、魔法講師のじいさんの談である。
あの獣じみた魔法開眼から数日、ヨシオは尋常ではないペースでその精度を上げていき、今日も鍛練と称して巨大な岩山の構造を作り替えている。
「そぉい‼」
少し間抜けな気合いの声と共に、つき出されたヨシオの掌から直径50㎝程の火球が放たれ、また少し岩山の形が変わった。
「うーん、どうも思うように撃てんなぁ。やっぱ口からの方が……。でもあれ舌が火傷するんだよな」
「いやもう、ボンボン撃ってるじゃん……」
ここは街から西方に外れた高原地帯。連日自分磨きに余念がないこの天才勇者を呆れ顔で眺める私と、その隣で慈愛に満ちた笑顔を浮かべる女神がもう一人。
「先程は雷電も放っていましたね」
「あー、あの雷出すやつ……」
もうそんな勇者っぽい魔法まで!この裏切り者!
情けない批判を胸に仕舞いつつ、私は隣の姫様に「魔法は詳しいんですか?」と問いかける。
「一通り魔法は修めていますけれど、特に治癒魔法と補助魔法が得意ですね。……実は剣の扱いは、あまり得意ではないんです。騎士としては半人前ですね」
エヘヘ、と照れくさそうにする姿もまた、人を惹き付ける魔力を秘めている。
そんな彼女に、私は以前から抱いていた疑問をぶつけてみた。
「はぁ。ではセシリア様は、いったいどうして騎士団に?」
「セシリーで良いですよ。それに、そんなに堅苦しい話し方では、私が領主の娘だとバレてしまいます」
そう言って笑う彼女は、今日も例の「領主」マークの鎧を身に付けている。
仮にバレたとしても、それは俺のせいじゃないよなぁと考えながら、「じゃあ失礼して……。セシリーは、なぜ騎士団に? お姫様なのに」と再び問いかけた。
「だって、楽しそうじゃありませんか」屈託のない笑顔で、セシリーは即答した。「お城の中の生活って、退屈なんですもの」
「(案外ざっくりした理由だなぁ……)で、でも、お父さんに反対はされなかったの?騎士なんて、危険な役目もあるだろうに」
「そうですね、最初は少し反対されました。母が早くに亡くなって、父は私を溺愛していますから。でも最後には『ま、イケるじゃろ! ワシの娘じゃし!』と承諾してくれたんです」
領主として普通はあり得ない判断だと思うが、脳内にはっきりとあの重低音が再生され、あの親父ならそれくらいは言うだろうなと納得した。
「でも、何も私だって騎士団長にしてくれと頼んだ訳ではないのですけど……。まったくお父様ったら」
呆れ顔で文句を言う彼女だが、とんでもない内容が含まれているではないか。
「えっ!? だ、団長!? セシリーが団長なの?」
「そうなんです。何度もお断りしたのですけど、『イケるイケる、ワシの娘じゃし!』と強引に押しきられてしまって」
確かに領主の娘が騎士団の下っぱでは格好がつかないかもしれないが、よりによって団長にしてしまうとはさすがの親バカである。
奴隷商人を打ち倒してから、妙にトントン拍子で事が進んだのには、こういうカラクリがあったわけだ。
「で、でも団長なら、こんなにのんびりしてて大丈夫なの?仕事は…」と私が尋ねると、セシリーは少し苦笑いを浮かべた。
「実は、団長としてのお仕事は、ほとんど副団長のセバスに任せているんです。私に下手に手を出されるより、その辺をブラブラしてもらっている方が助かるとかで」
あのムッツリ野郎、結構言うなぁ……。しかし、私とそう変わらない若さで騎士団の実質的なトップに位置するということは、ただのエロ本マニアというわけではなさそうである。
「そういうわけで、私の主なお仕事は街の皆さんと触れあって、騎士団への理解を深めて貰うことなんです!」
セシリーは誇らしげに言う。
要するに広告塔ということなのだろうが、イメージアップの為のキャラクターとしては、この上ない人選であると思えた。
「バーニング!」
先ほどから何やら首を捻ったりしていたヨシオが突然そう叫ぶと、一際大きな火球が掌から放たれた。
「お! これいい感じだ!」
そう言うとヨシオは、「バーニーング!」「ライトニーング!」と立て続けに魔法を放つ。
かつては私も、攻撃の際に技名を叫ぶことに言い知れないロマンを感じていた口であるが、今ではすっかりそうした情熱は消えた。
当たり前と言えば当たり前であるが、戦う相手に自分の手の内を晒して、良いことなどはほぼ無いと言っていい。
「パンチ」と言いつつ「キック」を繰り出すのならば、多少の効果はあるかも知れないが、そんな小細工をする暇があるのなら、目の前の相手に集中すべきであろう。いざという時、付け焼き刃よりも日頃の努力が実を結ぶものである。よくよく吟味すべし。
とはいえ、明らかにそれまでよりも魔法の威力が上がっているあたり、この勇者には常識がまったく通用しないということもまた事実であった。
「ホント天才型だよなぁ…」と呟いた時、私は違和感を覚えた。「……あいつ、ちょっと浮いてない?」
人間の枠からはとっくに浮いているヨシオであったが、そういう意味ではない。物理的に、地面から数㎝ほど浮いているように見えるのだ。
「あれは、浮遊魔法も同時に練習しているようですね。普通魔法の同時使用は、かなりの魔力を消費する高等技術なのですけれど……」
「高等って、初心者なのにそんなことして大丈夫なの?」
「まだまだ魔法の威力は成長途中ですが、ヨシオさんの魔力量は魔王に匹敵するかもしれません。あの異常なまでの身体能力も、きっと膨大な魔力の影響によるものだと思います。魔力が有り余って、体から溢れ出ているんですねぇ……」
「なるほどねぇ」
私は魔法のことはよく分からないのだが、魔法に精通している者が軽く引いている所を見ると、それが普通ではないことはよく分かった。
「……あ! おーいニイヤマ! あれ何だあれ!」
高原の向こう側に何かを見つけたヨシオが指し示す先には、巨大な猪のような生物が群れをなしているのが見える。
「あーあれは、ボアロっていう魔物だよー!」と私が声を返す。
ボアロはこの地域に広く生息する魔物で、近づかなければさほど危険はないものの、時折農作物が食い荒らされる等の被害が出ている。
「じゃあ敵か!? 敵だな! よーしオラァ! 試させろー!」
血に飢えた救世主が、魔物の群れに猪突猛進していくと、それに気付いた魔物達は生命の危機を感じ取ったのか、方々に逃げ惑う。
彼らがまだ何も悪さをしていない可能性は否定出来ないが、こうなってはもう仕方がない。南無。
「本当に元気なお方ですよね。さすがは勇者様です」
「魔物にとっては、あいつこそ魔王だけどね」
いい加減溜め息も枯れてきたところで、ようやく私は自分の方に意識を戻して、余計なことに気づいてしまった。
「(……二人きりになっちゃった)」
この世界で14年も生きていれば、女性の影が1㎜もなかったということは無い。
しかし、この世界を救うという崇高な使命を帯びていた私は、女性にうつつを抜かしている訳にはいかなかったのである。それ故、現在に至ってもこの操を守り通すことになるのだが、そこには一編の悔いもない。ないのである。断じて。
そんな私であるが、こうして女性と二人きりになることに関しては憎からず思うところでもある。それがたとえ、領主の娘という自分とは住む世界が違う存在な上に、才色兼備が花を咲かせたような女性であったとしても、億が一の希望を捨てきれないのが男というものではなかろうか。
何かお近づきなる話題はないかと目まぐるしく頭を回転させる私に、「ニイヤマさんは」と先に問いを投げかけてきたのはセシリーの方であった。
「あ、は、はい! 何でしょう?」
「ニイヤマさんは、どうして今回のお役目をお請けなさったんですか?確か、ヨシオさんとは会ったばかりで、それほど深い仲というわけではないと伺ったのですけど」
その純粋な瞳に他意はなく、素朴な疑問を言葉にしただけという様子であるが、「君のお父さんが怖いからだよ」と真正直に答える訳にもいかない。
「まぁ、最初にあいつを拾ったのが俺だからね。なんだか放っておけなくて」
「でも、ニイヤマさんこそご家族が心配なさるのではないですか?奥様とか」
「えぇ!? いやいや、奥さんなんていないよ」
予想外の問いかけに困惑すると同時に、私は言い様のない切なさに襲われた。
その正体は、恐らく年齢の差というものであろう。セシリーにとっては、私のような年の離れた男には所帯があって当然という認識で、男性として眼中になどあるはずもないのだ。
「あら、そうなんですね」と微笑む彼女に、一切の悪気がないのがまた辛い。私は話題を反らすために、
「セ、セシリーこそ、いい人はいないの?」と質問を返した。「綺麗だし、お姫様だし。放って置かれるわけないよ」
「そんなことないですよ」と言って、彼女は困ったように笑う。「それに、お父様との約束もありますし」
「約束?」
私が聞き返すと、セシリーは少し迷ったような素振りを見せてから話し始めた。
「……えぇ。ガワトーク家の女は、20歳を迎えるまでに必ず結婚しなければならないんです。勿論私も20歳の誕生日、つまり来年の春までには、お相手を決めなければならないのですが、そうしたら今のようにお城の外に遊びに出ることは出来ません。ですから、20歳を迎えるまでは、私の好きにさせてくれるようにお父様と約束したんです。」
良家のお嬢様と言えば、きっとなに不自由無く生きているものと思っていたが、どうやら実態は色々と複雑なようだ。
騎士団に入りたいという娘の我が儘を、ガワトーク公が容易く許したのもそういった事情があってのことなのだろう。
「そっか。お姫様も大変なんだね」
月並みな感想しか言えず、私は更に話題を移すことにした。
「でも、セシリーなら来年までにきっと素敵な相手を見つけられるよ」
「フフ、そうだと良いのですけれど」
「たとえば、ヨシオなんか良いんじゃない?勇者だし、イケメンだし」
セクハラすれすれの発言をかます私であったが、この場合その腹の内では「えー? でもあなただって素敵じゃないですかー」と言って欲しいのが本音である。
往々にして、男とは情けない生き物なのだ。これは別に吟味しなくてもよい。
「そうですね、確かに素晴らしい方だと思いますけれど。なんというか、ヨシオさんは弟のような感覚で、結婚というのは少し……」
本人の知らないところでフラれる形となってしまい、ちょっとヨシオに申し訳ないなぁと考えていると、「それに、」とセシリーが続けた。
「私、殿方より女性に興味がありますので」
「━━」
私の中で、何かが音を立てて崩れた。
これは男として、いや、1個の生命体としての敗北ではないか。
勿論人の趣向や性別に関してとやかくいうべきではないのだが、生命が誕生して以来脈々と受け継がれてきた大いなる意思そのものから、敗北の二文字を突き付けられたと言ってもいいのではないだろうか。
様々な感情が入り乱れるなかで、だがしかし、小さくも確かに光りを放っていたのは、なんとも言葉に出来ない多幸感であった。
「(……これはこれで、アリだな!)」
右手で拳を作る私の頬に、一筋の熱いものが流れた。そんな私を不思議そうに眺めるセシリーは、いつも通りの微笑みを浮かべていた。
「そろそろお茶の時間なので」とセシリーが帰った少し後に、魔物退治という名の虐殺を終えたヨシオが戻ってきた。
「俺達も、そろそろ帰ろうか」
先日の偽銀行屋事件の後、私達は家を買った。
これから旅に出るというのに、なんと無駄な!と思われるかもしれないが、あいやしばらく。銀行屋は偽物であったが、その情報は本物だった。私達は、土地や建物の値上がりに目をつけたのだ。
不動産ならば持ち逃げされる心配はないし、値段が上がれば売れば良い、上がらなければそのまま住めば良いと、資産の管理方法としてはもってこいだと判断したのである。
それに、魔王の討伐という途方もない任務の達成には、実際のところ何年かかるか分からない。そうした中で生活の拠点を持っているというのは、精神的にも大きな意味を持つと考えたのだ。
トーカンド郊外の住宅地、その中でも際立って大きな館が、我が安住の城Ⅱである。
犬が全力で駆け回れるほどの庭に、部屋数20を超す建物は、何処に出しても恥ずかしくない豪邸と言っても良いが、はっきり言って二人で住むにはもて余しに余しまくっていた。
しかし、目下問題となるのはそこではない。
家に着いた矢先に、ガンガン!と門を叩く音に「またか……」とゲンナリする。
門から顔を出すと、数人の集団が「新聞取って下さい!」「幸運の壺を買いましょう!」「恵まれない子供達と私達に寄付を!」「カミヲ、アガメナサイ」と詰め寄ってきた。
強引に押し入ろうとする彼らを押し留め、「もうお金はないんですよー! ホントですよー!」となんとか説得すると、彼らは「けっ! なんだよケチ!」「この守銭奴め!」「エンガチョ! エンガチョ!」と言いたい放題で渋々と帰っていった。
装備品の購入費や旅費以外のほぼ全てを当てて家を買ったため、もう余分な金は本当に手元にないのであるが、先程のような連中が「本当はあるんだろう?ジャンプしてみろ!」と連日押し掛けていた。
「はぁ……。あいつら魔物よりタチが悪いな」ヨシオがソファーに体を預けながら言う。
「このままだと旅に出る前に弱っちゃうなぁ……。早く準備を整えよう」
あとは注文した物が届くのを待つだけなのだが、それまではこんな毎日が続くと思うと、ヨシオの鍛練(憂さ晴らし)に力が入るのも頷ける。
一時の静寂を楽しむ我々であったが、それを嘲笑うように、「ピィーンポォーン」とインターホンの音が響き渡った。
「またかよ! ……あれ? でもこの家、インターホンなんか付いてたか?」
「あれ?」と私も首を捻る。
そういえば、これはおかしい。そもそもこの世界に、インターホンなどある筈がない。
また何か面倒事の気配を感じつつ、恐る恐る門を開けると、フードを目深に被り大きな袋を肩から提げた小柄な人間が、何かスイッチのような物を持って立っていた。