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異世界指南書  作者: 鬱ゴリラ
第1章 地の巻
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第4項

 大きな薄碧色の瞳と、背中まで伸びた美しい金髪が印象的なその女性は、染み一つない白地の洋服の上に軽装の鎧を纏っている。年齢はヨシオより少し上くらいだろうか。


「フッ!」


 彼女はチンピラの短剣を受けているスモールソードを翻し、ぐるっと1回転させるように下から上に巻き上げると、弾かれた短剣は宙を舞って隣の民家に突き刺さった。

 さらに勢いそのままに、「えい!」と剣の底で相手のみぞおちを打つと、再びチンピラは無意識の海に溺れていった。


 鮮やかな手並みと、真珠貝から生まれてきたのかと疑うほどのその美貌に私が見惚れていると、彼女はまさに女神のような笑顔で手を差し伸べてきた。


「危ないところでしたね、お怪我はありませんか?」


 小鳥のさえずりとも、竪琴の音色とも例えられないその声が、心地よく私の耳を打つ。


「あ、ありがとうございます……。助かりました」私は絞り出すように答えた。

「命は一つです。どんな時でも、油断は禁物ですよ?」


 柔らかに、そして優しく諭すその言葉の余韻に浸っていると、残ったチンピラ共を片付けたヨシオが駆け寄ってきた。


「すまんすまん! 夢中になってた。大丈夫か?」

「ああ、この人が助けてくれたよ」


 ヨシオは彼女に視線を移すが、その美しさよりも服装に感心があるらしく、


「うお! 凄いな! まるで西洋の騎士みたいだ!」と一人はしゃいでいる。

「変なとこではしゃぐなって……失礼だろ」と私がたしなめるも、

「いやだって、普通着ないだろこれ!」と興奮冷めやらない様子である。


 そんな私達のやり取りをニコニコ眺めながら、彼女はまた優しい声で話し始めた。


「お二人とも、見事な働きでした。あの者達の処置は後ほど騎士団の方が行うので、私はこれで失礼しますね」


 そう言うと、私の命の恩人は名も名乗らずに後ろを向いて立ち去ろうとした。


「あ、ちょっと待ってくれよ。名前くらい……」


 と引き留めようとするヨシオを、私がまた引き留める。


「あー待て待て。あの人はたぶん、どっかの貴族とか、良家のお姫様かなんかだよ。ああいう高貴な人が身分を隠してこんな所にいるからには、何かのっぴきならない事情があるもんなんだ。下手に詮索しちゃまずいよ」


 権力者の娘が、刺激を求めてお忍びで市井をうろついているというのは、漫画やアニメではお馴染みの場面である。

 身なりや物腰といった不確定な要素からその身の上を推測することも可能ではあるが、そんな知恵を働かせずともはっきりそうであると私は確信できた。


「ふーん。しかし、なんでそんなことが分かるんだ?」

「いやなんでって、そりゃあ……」


 そういや、こいつはまだ文字が読めないんだったなと考えながら、私の視線は去っていく彼女の背中に注がれる。

 この世界の騎士達は、鎧や盾に自分の家の家紋などが入った刻印を刻むのだが、彼女の鎧の背中には、大きな円の中にデカデカと「領主」と刻まれていた。



 美女が去り、むさ苦しい男だけになった我々は、とりあえず変わり果てた我が家の片付けをすることにした。まだ救い出せる物があるかも知れない。


「まさかいきなり家無しになるとはなぁ。……でも、そんなに大事なお宝でもあったのか?」


 相変わらず失礼な奴である。確かに殺風景で寂しい男の一人部屋ではあったが、大事なものの一つや二つはあるものだ。

 むしろそんな環境だからこそ、男にとっての「お宝」と呼んで相違ない書物が存在する。「えー! いい年してキモーい」と罵るならば罵るがいい!そんなことで、男のロマンは止められないのだ。

 しばらく捜索すると、ようやく我が秘宝が瓦礫の中からその姿を現したが、表紙も中身もズタズタでとても読めたものではなかった。


「やっぱりダメかぁ……。はぁ……」


と落胆する私に、ヨシオは「なーんだエロ本か! また買えばいいじゃないか」と聞き捨てならないことをほざく。

「んバッキャロい!!」と私からの予想外の一喝を受け、「えぇ……」とたじろぐこの現代っ子は、何も分かっていないのである。

 この世界では印刷技術があまり発達しておらず、特にこのような類いの書物は、いくら金を積んだところで再び手に入るとは限らないのだ。


 そんな至宝を失い落胆する私を、背後からジっと見据える視線に気付いた。

 振り返ると、全身を鎧で身を包んだいかにも気難しそうな男が、こちらを注視しながらゆっくりと歩いてくる。

 身なりからして多分騎士だなぁ。そうぼんやり考える私は、同時に、ボロボロのエロ本を持ちいかにも火事場泥棒といった体裁の自分の状況を自覚し、愕然とした。

 弁解の言葉を考える間もなく、その憮然とした表情のまま騎士風の男は私達の目の前でビタっ!と直立した。


「いや、あの、我々は何も悪いことはしてませんで……」


 言っていることは正しいのに全く説得力のない主張だったが、返ってきたのは意外な反応であった。


「存じております。賊を討伐なさったお二人ですね?」


 私は震えて見ていただけなのだが、「あ、まぁ、はい」と生返事をする。


「私はトーカンド騎士団副団長のセバスと申します。実は此度のお働きに対し、我が主である領主ワガトーク公が、直々に謝辞を申し述べたいとの仰せで、こうして伺った次第です。つきましては、居城までご足労願いたいのですが」

「えぇ……」


 これは異常な事態である。確かに街を騒がす不届き者を捕らえたことは大きな功績であるが、その程度のことでこの地域一帯を治める領主自身が、わざわざ庶民相手に時間を割くなどあり得るだろうか?

 これ以上ない名誉であることは確かだが、あまりに現実味のない申し出に、何か裏があるのでは?と勘ぐってしまうのは致し方ないことである。

 しかし、躊躇う私にそっと近づき耳打ちしたセバスのその言葉が、「この男を信頼しよう!」と決心させた。


「その本でしたら私、2冊持ってますので、よろしければ後ほどお譲りしましょう」



 桟橋を抜け、巨大な門をくぐった先のその西洋風の城は、まさに白亜の巨城といった風情である。

 謎の絵画やドデカい壺を横目に眺めながら、私達は謁見の間の扉まで案内された。


「この先に領主イェモーチ·ワガトーク公爵と、そのご息女セシリア様がお待ちである。くれぐれも粗相のないように」


 年老いた執事にそう念を押され、唇がより一層渇いてくる。

 ゴクリと唾を一飲みしたところで、ゴゴゴ……と扉が開いた。

 一際広いの部屋の中ほどまで進むと、赤い絨毯が伸びた先の玉座に初老の男性が座っており、そのすぐ側には、ドレスを着た若く美しい女性が立っていた。


 ワガトーク公爵であろう男性の風貌は、領主というより中世貴族のようで、白みがかった金髪が肩までカールしている。

 女性の方は、その、とても美しく、どう美しいのか説明出来ないではないのだが……。

 まぁはっきり言うと、案の定さっき私を助けてくれた碧眼·金髪の美女である。


 私は、きっと複雑なものであろう彼女の事情を察して、気づかないフリをしていたのだが、ヨシオのアホは「あれ?さっきの!」とはっきり口に出しやがった。


「ん? セシリアよ、この者達を知っておるのか?」


 当然の流れである。これでは、彼女がお忍びで街に出ていたことがバレてしまう。だが、


「ええ、お父様。実は私も、あの悪人達の討伐に協力しましたの」


 私の心配をどこ吹く風と、彼女はあっさりとその事実を認めてしまった。


「つまり、また無断で街に行ったのだな?」


 低く、腹の底から鳴り響くその声は力強く、「嗚呼、まずいことになった」と私は頭を抱えた。

 しかし、公爵は「まったくこやつめ!仕方がないのう! ヌハ! ヌハハハ!」とまさかの上機嫌である。私は、何やらおかしなことになってきた気配を感じた。


「さて、此度は賊の討伐、大儀であった。あやつらは強力な武器を持っている上になかなかシッポを出さぬ故、騎士団の方も難儀しておったのだ」


 通常、騎士団の戦力の多くは、北方を中心とした魔物の攻撃からの防備に回されている。そのため、力技で武装集団を壊滅させるには数が足りず、現行犯でその頭目を捕らえたことは、まさに価千金の手柄であった。 

 先程からホクホク顔の領主の態度といい、壊された借家の補償くらいはしてもらえそうだなと淡い期待を抱く私だったが、やはり一瞬の安堵も許してくれないのがこの問題児である。


「あのヤクザ者達、そんなに厄介だったんだなぁ。……それにしてもこのおっさん、なんでこんなに髪クルクルなんだ? そもそも、世の中にまだ領主だの貴族だのなんてのがいるのか?」


 衝撃の発言に、一瞬時が止まったかに思えた。何故こいつの口を完全に塞いでから来なかったのかと心の底から後悔したが、ワガトーク公爵は笑みを浮かべたまま、「ヌハハハハハハハ!」と笑う。

 もしや、この公爵様はとてつもない器の持ち主で、少々の粗相など気にもとめないお方なのでは?私は一筋の希望の光を見いだした。が、


「よし、死刑」


 先ほどまでと変わらぬ笑みを浮かべたまま、ふと思いたったように言い放つ領主の言葉に、私の見いだした光は雲散霧消し、目の前が真っ暗になった。

 往々にして、笑顔の大人の方が実は怖いということがある。よくよく吟味すべし。


 そんな私の窮地を救ったのは、またしてもこの女神であった。


「ウフフ、お父様ったら。今のは冗談ですわ」

「なんだそうなのか? ヌハハ! 異人の勇者殿は面白いのう! どうだ? 娘を嫁に取らんか?」

「もうお父様様ったら、普通にキモいですわ」

「相変わらず手厳しいのう! んヌハ! ヌハハハハ!」


 笑顔でやり取りするこの親子の距離感も、もうわけが分からない。

 ヨシオは絶対に本心を述べただけだと思うが、まぁどうにか助かった。あとはこのアホにこれ以上余計なトラブルを起こさせないことだが、こいつもまた意外な行動に出る。

 ヨシオは静かに片膝を着き頭を垂れると、いかにも勇者らしい爽やかな声色で口を開いた。


「無礼をお許し下さい。やはり閣下は寛大なお心をお持ちでいらっしゃいました。試すような真似をして申し訳ございません」


 ただのアホだと思っていたが、こういう空気の読み方も出来たとは。なら最初からそうしろよ……。


「よいよい。救国の勇者と言えど、遊び心も必要よの」

「私は山田ヨシオと申します。先ほどから気になっていたのですが、その『勇者』というのがよく分かりません。どういうことなのでしょう?」

「なんだ、もしや何も知っておらなんだか?」

 


 ワガトーク公からの状況説明を受けて、ようやくヨシオはここが異世界であることや、自分が人々から特別視される存在であること、魔物の驚異に晒されるこの世界の現状などを理解した。


「なるほど、そういうことか。まるで漫画やゲームの世界だ。でも自分、そういう話には疎いんだよな」


 いくらそういった物に縁がなくても、今どきネットなどで嫌でも情報が入ってきそうなものである。きっとこいつは、今まで部活にばかり精を出してきた類いの人種なのだろう。


「実はわざわざ来てもらったのは他でもない。そち達には、敵の首魁である魔王の討伐を依頼したいのだ」


 魔王は文字どおり魔物の王であり、その強大な力によってこの世全てを掌握しようと目論んでいる存在である、とされている。


「お言葉ですが、私は出来るだけ早く元の世界に帰りたいのです。それにそんな強大な敵ならば、人類の全戦力を投入して討伐すべきでは?」


 お約束の流れをぶち折る話だが、確かにまっとうな意見である。わざわざ勇者一人で敵に挑まなくとも、皆で乗り込んだ方が勝率は高そうに思える。


「それがだな、魔王がおるであろうの敵の本拠地の所在は、未だに分かっておらぬのだ。それに我がトーカンドを含め、各国とも大量の兵を遠方に派遣する余裕はない。つまるところこの任務は、魔王の居城を捜索しつつ、各地の拠点を撃破する遊撃に他ならない。それには強力な少数部隊が適任というわけだ」


 風の噂では、各国の領主の中には、魔物による攻撃を利用して他国の領地を狙っている者もいるという。人間同士の中でも、なかなか足並みが揃えられない現状がある。


「それにな、早く故郷に帰りたいというのならば、この依頼はそちにとっても悪い話ではない。異人の召喚は、魔王の力が関係しているというのが通説である。すなわち、いずれにしろ魔王を探し当てねば、帰るための手がかりは掴めぬのだ」


 これは私にとっても重大な話である。魔王と相対する以外に元の世界に帰る方法がないというのなら、結局私のような弱者は、この世界で細々と生きていくしかったのではないか。

 今更、この14年間はなんだったのか……と空しさが込み上げてくるが、私は、自分にとって更に重大な情報がすでに発せられていることに気付いた。


 先ほど公爵は「そち達」と言った。彼の視線の先には私とヨシオしかいないので、それには私も含まれているということである。

 おそらくヨシオは依頼を受けるだろう。つまりこのままでは、魔王討伐の旅に、私も組み込まれてしまうではないか!

 逃げねば!今!素早く静かに!


「そう言うことでしたら、お受けするしかないようです。若輩ながら、死力を尽くしてお役目に挑みます」


 しっかりと勇者キャラを徹底するヨシオの言葉に、小声で被せるように、


「あ、話がまとまったようですので、私はこれで……」


 と迅速に摺り足で部屋を出ようとする私の背を、


「道具屋よ」


 と、公爵の冷淡でゆっくりとした声が呼び止める。

 ギギギ……と振り返ると、公爵はやはりあの笑顔で、「そちもしっかり、励むのだぞ?」と拒否権のない問いかけを投げつける。

 見えない刃物を突きつけられ、私は「はい喜んで!」とガチガチの笑顔で応じる他なかった。



「うむ。それでは、旅の準備に何かと入り用であろう。此度の功績への労いを含め、幾らか仕度金を用意した」


 とんでもないことになってしまったが、金銭の援助は実にありがたい。

 荷馬車や各種装備を整える費用も合わせて、300万ゼニンほどあれば、当面の仕度金としては十分である。


「本来ならば潤沢な資金を援助したいところではあるが、トーカンドの財政も余裕がなくての。少々物足りないかも知れぬが、理解してくれ。何分余裕がないのだ」

「お父様ったら、二回言ってますわ。キモい」

「ヌハハハハ!」


 この親子、本当は仲悪いのだろうか。


「あー、というわけで、二人合わせて三億ゼニンを与える」


 ……んん?

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